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歌ってみた

新曲『Gate Sketch』をお聴きくださり、ありがとうございます。Bandcampで無料ダウンロードできますので、まだの方はぜひ、お聴きいただければ幸いです。投げ銭も大歓迎!

https://sevenashroom.bandcamp.com/track/gate-sketch-binaural

さて、今日は長文です。

お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、今回、歌ってみました。初挑戦です。

3日前の投稿で「時代に棹さす作品(逆らう意味ではない)を、どんなに呆気なくて心許ないものでもいいから作っておきたい」と書いた通り、時代の流行に乗ってみました。

どういう流行か。ジャンル等の話をしているのではありません。『プロセスエコノミー』の著者、尾原和啓さんの言葉をお借りすると…

AI時代は 偏愛と世界観の原液しか勝たん

https://x.com/kazobara/status/1801043641055523265

自分にとって、腐れ縁と呼べるもので作曲したい。そこで採用したのが、自分の声。正確には、小学生の頃から今までずっと憧れているギターの弾き語り。使ったのはギタレレですけど。

容姿と一緒で、自分の声は付き合っていかなきゃならないもの。愛憎こもごも。今でこそ受け入れていますが、昔は大嫌いでした。

最近も初めて入ったお店で「かわいい声だね。親に感謝しないといけないね」と言われ、スンって微笑んでしまった。中学校では「もっと男らしい声にならないと誰も話を聞いてくれないよ」と指導されたし、歌も苦手で、ミュージカルの稽古場で劇中の新曲を披露して「君が歌っても伝わらない」とキャストを困惑させたこともありました。

そんな声を一度使ってみよう。最も敬愛する作曲家である佐藤聰明さんの例もありますし、machìnaさんもご自身の声をオシレーターとして使っていましたね。

声もギタレレも加工しています。ギタレレは、窓を開けて外の音も一緒に録っていて、一緒にぐしゃぐしゃにしました。使ったのは、UVI FalconのIRCAM MULTI GRANULARなど。音が現れるタイミングは、数の簡単なルールに基づいています。ちょっとだけ、リヒターの作品が頭にありました。

最初は、他の音も沢山入れていました。留守の間、部屋でレコーダーを回し続けると、窓がフィルターになってくれて、正体不明の音が録れて面白いんですよね。

しかし、聴き映えはするんだが、単一化してしまう。フィールド・レコーディングも、いずれAIが世界中のライブラリーから組み合わせて、人間も自然も超えたものを作るようになると思うと、今回は食指が動かなかった。

聴き映えがするものは、音楽とはこうあるべきという思考が、無意識であれ徹底されている。AIが得意とするところだ。ならば、そういった要素を一つずつ削ぎ落してみよう。それでも聴けてしまうことは救いだ。音楽には救いがあり過ぎることを懺悔しなくてはならない。

今更、アナーキーもないだろう。だから、使えるものは使う。現代に生きる以上、人は偶然性を日常の中で飼い馴らしている。音楽の聴き方が変わったこともそう。良いか悪いかでも、好きか嫌いかでもなく、現実として受け止めなきゃ。

こうやって出来たものは、とても呆気なくて心許ないものでした。ここで、音楽とはこうあるべきという方向でケアしたら台無しだ。

坂口恭平さんの「人に見せられないものだけを出すべきだ」という姿勢は、非常に厳しい。これを聴かせる勇気があるか。坂口さんの「どんなことでもやった方がいい」という言葉に背中を押していただきました。

Bandcampを始めた時、「こうすれば売れるようになるよ」といったDMが多く届きました。顔見知りであろうと、実績も現在の作品もよくわからない人の助言は流石に聞けない。西野亮廣さんより人を楽しませていますか?

ただ一つだけ、YouTubeで喋るという提案は引っ掛かった。コロナ禍でYouTuber化した音楽家の死屍累々は見ているんだが、相手の声や喋り方を知っているかどうかで、文章や楽譜の解釈はきっと大きく変わる。FMラジオのスタッフを15年間務めた中で、声を届けることの大切さは知っているつもり。

結局、音声配信はやりませんでしたが、このことも『Gate Sketch』を作るきっかけの一つでした。

ナンセンスとか、作家としての美意識とか、踏み越えちゃいけない一線を攻めなきゃいけないと考えました。自分にとって不快で、危険で、自傷行為となるような創作。新しい試みは楽しくて、わくわくします。

声とギタレレ、どちらの音か判別できないものもあるかと思います。同一の音が門をくぐると、それぞれ違う存在になるイメージ。割れ門。イニシエーション。

そのイメージは、神話や叙事詩を一つ書けるくらいのものであるか。私の体を突き破るくらいの宇宙が広がっているか。『えんとつ町のプペル』がそうだ。物事を捉える視座の深度。その域に到達できていない反省から、SFの古典的名作を読み始めました。

最後に、千葉雅也さんの昨日のポストを引用します。

現在やるべきやり方でやるべきことをやることで忸怩たる思いが何もないのであれば、作品を作る必要はない。

https://x.com/masayachiba/status/1801231937929175398

声で自作自演する作曲家たちに敬意をこめて。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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