人生の最期に作るとしたら
昨日の投稿で、坂口恭平さんの「本人が自信がないものにしか興味がない」という話に触れました。
千葉雅也さんと熊本市現代美術館で行なわれたトークイベントでの話題ですね。
自信を持てないものって、なかなか作れない。
何かと似ている度合いを自信と呼ぶのなら尚更に。
一旦できたものを壊して、自分をも壊した上で、絶望した世界を笑って好きだと叫べるか。
これもまた先達のパッチワークで、用意された倒錯ではありますが。
今回の新作『Gate Sketch』の作曲に時間が掛かってしまった理由は、この他にも、大きく二つあったと考えられます。
一つは、完成しかけたタイミングで、このまま作り続けても先駆者の評価を高めるだけだろうと立ち止まってしまったから。
どんなに工夫したところで、結局は何かしらのフォロワーになってしまうんですけどね。
それでも。
世界が終わりに向かう中で、「何がしたいか?」ではなく「私なら何をするか?」をたっぷり考えられたのは貴重な時間だったと思います。
もう一つ。
人生の最期に作るとしたら、どういう曲がいいかを考えていたから。
次があると信じられなかったら、なかなか決断を下せないもの。
あ、別に深刻な話じゃなくて。
「毎回遺作のつもりで作れ」みたいな常套句がありますよね。
それを本気でやってみたら、結構大変だったというだけの話。
これにはきっかけがありまして。
作っている最中に、現代音楽の過去作へのお問い合わせを頂いたんですね。
当然ながら、その演奏機会まで自分が生きている保証はないので、これを聴けば(2024年以降の)私が作ろうとしていた音楽がわかるような、名刺というよりも遺言代わりになるものにしたいと考えました。
まあ、同じ作家の曲であろうと、ポジショニング(立地)が違うものは聴いていただけないものですが。
楽譜だけ読んで解釈に悩むようであれば作者本人に訊いて欲しいのですが、もしかしたら、作者の声を知っているだけで理解が進むのではないか。
「こういう声の持ち主だから、こう考えて生きている。だから、こういう喋り方なんだ」みたいな受け止め方を疎かにしない。
これからの時代、その人が持つ「物語」を安く見積もらない方がいいと実感している人は少なくないのでは。
従来の創作の評価基準とは異なる話。
なので、自分の声の代わりとなるような作品にしたいという欲もありました。
騙りと譬えは紙一重ですけどね。
作曲って、こんなに難しいものだったかしら?
いまのきもちです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?