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ショック・イック

家庭教育の中でも『子供の学習』に関してはどなたも熱心で、リビングで勉強させるといいとか、天井が高い方がいいとか、部屋の明るさ家具の配置、歴史文化には興味無いけど『風水』は取り入れてみるとか、まぁ色々とあれもこれも貪欲に取り組んでおられる。

そのくせ『食事』に関しては、スマホ見ながら片肘ついて食べてたり、まるで底の抜けた鍋のようでございます。

勉強が出来るとか、有名な会社に勤めているとかその前に、先ずは食事に関して、『いただきます』はもちろんのこと、今日も食べることが出来ることに対して感謝する。それが家庭教育の最重要課題かと思います。

世界には今日食べるものが無くて死んでしまう子供だっています。なのに日本人は沢山の食べ物を世界中から輸入しておきながら、当たり前のように捨てます。

日本が買わなければその子の口に届いたかも知れないのに…

『ヴィーガン』

動物の肉でなくとも『命』を奪っておいて、それを食べずに捨てるのは文化のある人間にとってとても悲しく恥ずかしいことです。

お店で注文したものが思ってたより沢山で、お腹いっぱいでもう食べられないということもあるでしょう。『お客さんには腹いっぱい食べて欲しい』というお店の思いでしょうね?

『残してごめんなさい』という気持ちがあればいいとは思いますが、『食べられないほどの量を出す店に責任がある』と開き直るのは人として最低ですし、食育が乏しく学習環境に貧しい家庭で育った哀れな人間なんでしょう。

『食育』

ちゃんと座って、今日の糧に感謝する。『食肉はダメだ』とか『プロテインとサプリでいい』とかじゃなく、家で食おうが店で食おうが、食べ物にこそ礼節を尽くすべきでしょうね?

食うことは即ち『命』なので。

それはどんな幼い子供だって同じですし、むしろ子供の頃からやらないと、大人になってからではできません。『刑務所に入る』くらいの生活が激変でもしない限り。

なので子供を『貧しくて哀れな人間』にしたくないなら、親が毎日の食事の中で、子供に対して繰り返し出来るまで教えていくしかないでしょうね?

『メシ食うぐらいそんな大げさなものか?』とか、『こんな小さな子供に言ってもわからんだろ!』とか、『食べるときくらい楽しく食べたらええやないか!』とか、祖父母はそう言うかも知れません。

可愛い孫を『貧しくて哀れな人間』にしたいなら精いっぱい甘やかしてやればいいと思います。

どうせその頃にはアナタたちはもうこの世にいないし、アナタの可愛い孫が世間様から『どうやったらあんな汚い食い方が出来るんや?』と陰で嘲笑されているのをあの世から観てればいい。

命に感謝が出来ないと、きっとこの先、食えなくなって困る時がやってくる。その時に心を入れ替えても手遅れですからね?

家庭で一番大事な教育は、いただきますと言ってきちんと座って美味しく食べることを習慣にすることです。

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