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鬼は外、うちはうち

よその家の教育論なぞほとんど価値がない。

賢く育てようが丁寧に育てようが適当に育てようがほったらかそうがそんなものは勝手にやってくれればいい。

そうやって手塩にかけて育ってきたまだ何も成し遂げてもいない孵化したての我が子を自慢したいのならすればいい。

『よそはよそうちはうち』

東大に合格したとか、結果が出てるなら評価もされるだろうが、そもそも全ての家庭に当てはまるワケ無いし、その通りやったら東大に合格するなんてそんなトースターで食パンを焼くくらいの話じゃ無いことは普通に考えればわかる。

『よし!うちも今日からリビングで勉強させよう!』

先ずはそのリビングを片付けて、いつもきれいにしておくことはいいことだとは思うけど、そこで勉強するかどうか、ちゃんと勉強するかも含め『子供の選択』だし、『そもそも勉強が好きなの?』って話だと思うけどね?

結局『勉強しなさいバカになるわよ将来どうすんの』の速射砲を食らわすばかりだと、その『東大合格メソッド』も元の木阿弥でございます。

そうやって出来上がった子供が他人に迷惑をかけるとか、協調しないとか、唯我独尊であるとかだと社会で生きてくのが大変になる。

でもそれは家庭での教育が『そうなる』ものであったのと、その子のポテンシャルに『そうなる』素地があったってこと。つまり、ネガティヴな方向に上手くかみ合った結果である。

まぁ結局は、我が家のライフスタイルと価値観、ポテンシャル、一日の行動パターン、子供の夢、我が家に渦巻く色んな要素を丁寧に分析して、『どこまで行けそうか』のルート設定をして、あとは微調整しつつやってくしかないんじゃないんすかね?

であってもやるかどうかは本人次第であります。


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