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まぁまぁライオン

『ライオンがウサギを狩るのに手加減したりしない。』

元サッカー日本代表監督、故・イビチャ・オシムの名言です。

『オスのライオンはほとんど働かない』とか『狩りは主にメスの仕事』とかライオンのリアルな生態はさておいて、世界には捕食する側とされる側ってのが存在してて、そうして生態系を構成して、それがバランスを保ってるおかげでみんなが生きていられる。

もしライオンがヴィーガンになれば、狩りをしなくなる代わりに草食動物の餌場を荒らすようになるだろうから、ライオンがハンティングしてたぐらいの頭数の草食動物が死ぬことになるでしょうね?

なので、肉食う動物は肉を、草食う動物は草をそのまま食ってくれればいいバランスなんだと思います。

人間は残念ながら『野生』でなく『社会』で生きてる。だから『野性的』って言葉があったり、その『野性的』な魅力には本能的に惹かれたりするのかも知れませんね?

『自然の節理』はそれとして、人間は社会の中でそれぞれの『ルール』に従って生きる。国には国の、地域には地域の、会社には会社の、家庭には家庭の『ルール』が、ざっくりとまたは事細かに設定されている。

そしてその『法律』であったり『経典』であったり『掟』であったり、それぞれの国のそれぞれの人間が大事に守ってきたものを後世に引き継いでいくことによって私たちもまたその長い歴史の一部になる。

何もできない生まれたばかりの赤ちゃんに対しても人間としての尊厳をもって接するし、どの子にも平等に愛をもって支援をする。人間として生きる条件でしょうね?

ライオンはオス1頭に対してメス2頭を基本としてファミリーを形成し、メスが連携してエサを獲ったり子育てをしたり、シンプルな弱肉強食の世界にあって機能的に効率よく生きる。

野生なので、命の次に生存競争がある。負ければ終わる。人間みたいに『オリンピック逃したけどワールドカップに向けて頑張ろう』とかモチベーションを維持したり、名誉挽回の機会すらも無い。

全ては『強い種だけを残す』という自然の摂理にのみ従って生きる『野生』であるからこそ、姿かたちは変わっても、何万年も確実に繋いできた命のリレーのそのものに価値がある。

その節理の中には『アルビノ』であったり『奇形』であったり、遺伝子の『エラー』がある一定量、必ず出るようになっている。

もしも繋いできたその命が、極端な環境の変化に対応できなかったり、未知のウイルスに冒されてしまったりして、その壮大な命のリレーが途絶えてしまわないよう遺伝子は必ず『エラー』を作る。

これは種と命を未来へ繋ぐ遺伝子に最初からプログラムされているものであって、決して地球温暖化のせいでも、原発事故のせいでも、ましてやCO2排出量のせいでも無い。

人間も一定量のエラーが出るような仕組みになってる。科学とか倫理とか、人知のレベルではどうにもできない、言うなればこれも『自然の節理』なんでしょう。

社会に生きるとは言いつつも、人間は地球の中の完璧なサイクルの中でしか生きられない。そして、英知の限りを尽くして絞って絞って培ってきた今の仕組みを受け入れて、その中で生きるしかない。

そこに生きる人間の『感性』やら『個体差』こそが『社会』という仕組みにとって『大問題』ともなるし、また『奇跡』をも生む。

エラーも出るしアウトもする。そして遺伝子の堂々巡りは命ある限り終わらない。

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