見出し画像

牛乳

「答えはもうわかっている」

秋、図書館近くの道路で車に轢かれてカマキリが死んでいた。陽と風にさらされて、その体は乾いている。
数日経ってもう一度見にいくと死んだカマキリの体は消えて無くなっていた。
僕がそのカマキリに出会ったとき、もう生命はどこかに行っていた。助けてあげることはできない関係だったんだ。

『銀河鉄道の夜』を公園のベンチに座って読む。読み終わる。やっぱり、読んでも僕の思いは変わらなかった。

「答えはもうわかっている」

カムパネルラがいた。ジョバンニがいた。無数に存在がいる。人間もだ。全ては関係している。

僕は20年間ひきこもっていた。家から出られない日々。統合失調症という疾患があった。
僕の人生はとても小さくて狭かった。楽しみは本を読むこと。僕の中の宇宙が広がっていく。
痛みを抱えながら外の世界に出て思う。「ここはとても広いところだな」

真っ暗な夜空の下で、ようやくできた親しい人と星空を見た。
大空と町が存在価値を逆転する。「この幾つもの星空が本当だ」って感じた。

たくさんの人と接し、たくさんの本を読み、遠い場所を旅した。
「自分だけが幸せでいることは本当じゃない。本当はみんなが幸せになることだ」
僕はつぶやく。「当たり前でしょ、そんなの」

「終わりはない。完成はない。未完成を完成へ、それが永遠に続いてる」
僕はやっぱりつぶやく。「当然だ」

カムパネルラは生命を燃やした。本当の幸せの答えがわからないまま、川に落ちたザネリを助ける。
ジョバンニは微笑むだろう。ジョバンニは幸せの答えをわかっている。わかっているのに問うている。「本当の幸せってなんだろうね」って。

ジョバンニは僕だ。カムパネルラも僕だ。宮澤賢治も僕だ。星空も僕だし、死んだカマキリだって僕だ。

僕たちはこの宇宙を歩いている。
僕たちは歩いては気づき、気づいては迷い、迷っても歩き、死んでも気づいてく。
 
もう完成している。この未完成の前進が全てだ。登場人物は、少年少女であり、自動販売機の中のコカコーラであり、大統領であり、糞便であり、笑顔であり、ペッパー君であり、羽虫であり、e=mc²であり、柔らかい包帯だ。

「わからない」って言ってもいい。あの人の生命のために、僕の生命を燃やす。
「その調子でいいんだよ。順調さ。気づいたところから、やっていけばいい。宇宙はそうやって進む。僕はそうやって進んでいる」

車に轢かれて死んでいたカマキリ。大丈夫だ。泣けばいい。
僕は『銀河鉄道の夜』の感想を書いて、リビングにいる母に言う。「牛乳あるけど、飲む?」って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?