匂い

「そんなもんさ」で済ませられるように
時が過ぎるのを待っていた
「僕はこうなのさ」で逃げられるまで
目を逸らしてうつむいた
水面に映る顔が問いかけても
もう暗いからと後にした

息さえ出来ればいいさと
ひとつひとつ夢を投げ捨てた
本当のことはみんなもう
埋め立ててしまった

命綱が焼き切れて
底へと落ちる間だけ
僕は心残りと出会う

君に言えなかったこと
僕に言わせなかったこと
聞こえないふりをしたこと
見なかったことにしたこと

知りたくなかったこと
いちばん知りたくなかったこと
決して認めたくないこと
気が狂うほど耐え難いこと

それも今は
沈黙が受け止めてくれる

漆黒の水面に
ひとつひとつ放り込む
音もなく吸い込まれて
忘却の川は垂直に落ち続ける

忘れたいのは感情の全て
覚えていたいのは記憶の全て

君の手の長さも
爪の形も
今はもう思い出せない
そうやって過去になる
母さん あなたもいつか

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