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認知症介護小説「その人の世界」vol.4『本当は食べたいです』

ばちあたりな話であることは百も承知です。

「はい、ウメちゃーん。あーん」

この掛け声の後には、いつも決まって大きな銀のスプーンがわたくしの視界に入ります。視界に入る時はまだ良いのですが、突然唇に当たることもあります。

「ウメちゃん、お口開いて。ごはんだよ」

実はわたくしは、一日のうちでこの食事の時間が何よりの苦しみなのです。どんなに命令しても従わないわたくしの手は、指先で微かに宙を掻いております。どうしてこうなってしまったのかは分かりませんし、いつからなのかも定かではありません。

「はい、あーん」

自分の力で動けなくなると、子どものように扱われるものなのでしょうか。何しろ身体じゅうのどこに力を込めてもわたくしの思いは声になりません。お姉さん、唇をスプーンでつつかれると、むしろ閉じたくなるのですよ。お姉さん、わたくしにはきちんと『梅子』という名前があるのですよ。お姉さん、お姉さん……。

「ほんとウメちゃんの食介って、やりにくい」

口を開かずにいると押し込まれてしまいます。甘味も辛味もどろどろと口の中で混ざり合い、とても飲み込めたものではありません。

「すぐ溜め込むし」

こんな時、お姉さんはどなたか別の方に話しかけています。どうやらその方もお食事をされているようです。飲み込めずに頬を膨らませている時、わたくしの願いはただひとつです。早く天に召され、夫や両親の元へ行きたいのです。こんなことを考えるのはばちあたりであると分かっています。けれど、わたくしがこの世に存在する意味はどこにもありません。

「梅子さんの食事介助、替わります」

初めて聞く声がして、わたくしは隣に座る人の気配に変化を感じました。

「お食事の続き、お手伝いさせて頂きますね」

新しいお姉さんはそう言って、わたくしの手にそっと触れてくださいました。その温もりに、わたくしは指先で応えました。

「梅子さん、手が動くんですね」

お姉さんはわたくしの手にスプーンを握らせると、一緒に口元まで運んでくださいました。

「かぼちゃですよ」

かぼちゃは大好きです。けれどわたくしの口は、銀のスプーンが入るほど開きませんでした。いや、本当は入るのです。先ほどのお姉さんのように押し込めば。

「これじゃない方がいいですね」

お姉さんは一度席を離れるとすぐに戻られました。

「赤スプーンならどうかな」

お姉さんは改めてわたくしにスプーンを握らせてくださいました。今度はプラスチックの長細いスプーンでした。

「梅子さん、かぼちゃですよ」

わたくしはお姉さんと一緒にスプーンを口へ運びました。開いた口にスプーンが滑り込むと、わたくしはそのねっとりとした感触を逃さないよう唇を閉じました。お姉さんに委ねた手がスプーンを引き抜くと、わたくしの歯は、舌は、顎は、かぼちゃを味わおうとして意識せずとも動くのでした。途中、お姉さんがわたくしの鼻水を拭ってくださいました。すると、舌で感じた甘味は鼻から抜けると同時にうまみに姿を変えました。

「お味はいかがですか」

その時、瞼の裏によみがえったのは母の笑顔でした。腰から下に白いエプロンをかけた母は、幼いわたくしにかぼちゃのケーキを焼いてくれました。お母さま、あの頃わたくしはとても幸せでした。

「梅子さん、美味しくないですか」

お姉さんの言葉で、わたくしは自分の目尻から熱いものが流れたことに気づきました。いいえ、お姉さん。とっても美味しいです。わたくしは今もなお、こうして母の愛を感じることができるのです。どうしたらこの気持ちを、お姉さんに伝えることができるでしょう。

「あっ……」

お姉さん、ありがとうございます。こんなに美味しいお食事は本当に久しぶりでした。

「梅子さんが、笑ってる……」

こんなわたくしですけれど、これからもよろしくお願いしますね。

※この物語は、介護施設を舞台に書かれたフィクションです。

【あとがき】
この物語では、認知症の原因疾患名を特定しないことにしました。読まれた方それぞれが、身近にいるどなたかを思い浮かべてくだされば幸いです。

悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。より深い理解を得るために、物語の力を私は知っています。

※この物語は、2015年11月に書かれたものです。

私の作品と出逢ってくださった方が、自分の世界をより愛しく感じられますように。