江ノ島小景

その前日、音楽の階段教室で、ももさんとわたしは「明日学校をサボろう」と、小さな冒険を企てた。

高校3年の2月。進学する大学も決まり、学校の授業も音楽や家庭科が中心の消化モードになっていた。

6年一貫の女子校で、品行方正にやってきたというよりは、悪いことに誘われる機会も想像力も持ち合わせず、のほほんと高校生活を送ってきた。

一度、学校をサボるというのをやってみたかった。

決行当日、わたしたちは、学校をサボることを家族に気取られぬよう、何食わぬ顔をして、それぞれの自宅を出た。

もちろん学校に行くものと思っている母が、いつも通りにお弁当をもたせて駅まで送ってくれた。

私は車の助手席に乗りながら、これからサボるのに全然バレないものだな、と思っていた。当たり前なのだが。

制服姿の革靴で、通学カバンとお弁当の入ったサブバッグを持って、わたしたちはいつもと違う電車に乗った。

コートだけはさすがに、二人お揃いの制服の紺色コートではサボっていますと言わんばかりなので、大きなトートバッグに私服のコートを詰め込んで出掛けた。

横浜駅のホームで待ち合わせをして、コートを着替え、わたしたちはまず、野毛山動物園に向かった。

野毛山動物園に行った理由は覚えていない。どうやって行ったのかもよく覚えていない。

覚えているのは、象を見たこと。

乾いた冬の薄水色の空に、象色に乾いた象の皮膚。

黒くつぶらな目と、にんじんを巻き上げた鼻。間近で見上げた二頭の象の大きさと、ももさんの楽しそうな顔。ももさんの辛子色のコートと、赤っぽいチェック柄のマフラー。

サボり初心者のわたしたちは、学校をサボっても、一体何をしたらよいのかわからなかった。

行き先の想像力がない中戸惑いながら、動物園の次は確か、野毛山図書館に行ったと思う。

立派な図書館で、わたしたちは、しばし本棚を見て回ったり棚の本を読んだりした。

でも、しばらくすると図書館でやるべきことはなくなり、わたしたちは図書館を後にした。

それからわたしたちは江ノ電に乗った。江ノ電に乗ったのは、学校の校外学習で鎌倉に来て以来だった。

実はわたしたちは二人とも、藤沢から鎌倉まで通しで江ノ電に乗ったことがなかったので、はじめからおわりまで江ノ電に乗って車窓の景色を見ることは、この旅のひそかな目標でもあったのだ。

わたしたちは、藤沢から鎌倉まで「とおし」で江ノ電に乗れることに心を躍らせた。

鈍色に光る広い海や、まちなかの道路の真ん中を電車が通り、個人宅の軒先すれすれを走る車窓が嬉しくて、二人ともはしゃいだ。

行きの車窓から見かけたリスがまだいるか確かめたくて、鎌倉に着くとわたしたちはすぐさま反対側のホームに回り、反対方向の江ノ電に乗った。リスはもちろんいなかった。

それから、せっかくだから海を間近で見てみようと、海に近そうな適当な駅で降りた。

駅のそばにはよろづやのような小さな売店があり、そこで午後ティーレモンの500パックを買った。学校でもいつもそれを飲んでいたから。

そして海のほうまで歩いて行った。

海辺は浜になっていて、右手に江ノ島が見えた。

波と追いかけっこをして少し遊んだが、足元はローファーの革靴に黒のタイツだったので、濡れないように気をつけなければならず、すぐにやめた。

空はぼんやりとした薄曇りだった。

波が寄せるコンクリートの水路には、たくさんのゴミや澱んだ泡が打ち寄せられていた。

海もグレーに煙り、浜辺は想像していたような素敵な景色ではなかった。

わたしたちは海辺でお弁当を食べることにした。いつも教室で開くお弁当箱と、教室で食べることを前提に拵えられたお弁当のおかず。

腕時計を見ると、ちょうどクラスメート達が教室で机をくっつけ合ってグループを作り、お弁当を食べている時間だった。

購買部で売っているパンや、自販機のパックのジュースや、教室に一つずつ備えつけられた大きなやかんとお昼にお茶を配られるほうじ茶のことが心に浮かんだ。

なぜか今日わたしたちは、こんな海のそばで、曇った空の下で、母親が拵えたお弁当を食べている。

それぞれの母親は、わたしたちが学校にいるものとばかり思っている。

わたしたちは自由だった。

朝から知らない土地に来て象を見たり立派な図書館を見たり海を見たり、だいぶ見慣れないものばかりに囲まれ続けたので、いつものお弁当箱やいつもの箸箱やいつものおかずを見たらちょっと安心した。

その感覚は何か変な感じだった。

お弁当を食べ終わったわたしたちはその場にとどまり、色々な話をした。

ももさんは保育や介護の道を志していて、そちらの方面の大学に進学を決めていた。

わたしはといえば、ぼんやりと夢や志のようなものはあったが、進学はそれとは直結していなかった。簡単にいえば、志望校に落ちたのだ。それでも、6年通った女子校を巣立って制服を脱ぎ、新しい世界に進んでいく未来は光っていた。

わたしたちは進路を決める時期にも色々と話をしていたが、その日の海辺でもまた、将来について飽かず語り合った。

少し離れた砂浜には、寒いのにレジャーシートを敷いて一人座って海を眺める女性がいた。わたしたちが海辺に着いた時にはすぐ近くに座っていたが、近くにわたしたちが来たのが嫌だったのか、少し離れた場所に移動していった。

失恋でも癒しに来ているのかもしれない。ドラマでもあるまいし本当にそんな人がいるんだとちょっと驚いたが、それが外の現実の世界だという気もした。

それくらい、わたしたちの世界は、学校と家と予備校だけだったのだ。

浜辺でわたしたちは恋話もしたと思う。恋話の中身はとてもふわふわとしていて、何をそんなに語ることがあったのか、今となっては覚えていない。

相手が生身の人間であってもまだそれがどうなるわけでもない状況の中、わたしたちの恋は芸能人やアニメキャラクターに対するそれと変わりなかった。


帰りがあまり遅くなると家にバレてしまうので、学校がひけるのと同じくらいに帰宅できるよう、わたしたちは時間を計算して海を後にした。

女性はまだレジャーシートに座っていた。陽が落ちかけて、江ノ島の影が一段と濃くなりつつあった。

海を去るとき、振り向いて江ノ島と海とレジャーシートの女性に心の中でさよならを言った。

それからわたしたちは再び江ノ電に乗り、藤沢に出てそれぞれの帰路に着いた。

学校に行かなかったことが家にバレるかとドキドキしたが、ただいまを言っても空のお弁当箱を流しに出しても、母の反応は拍子抜けするほどいつも通りで、サボりがバレることはなかった。

次の日学校に行っても、ももさんとわたしが示し合わせて学校をサボったことは誰にもバレていなかった。あっけなかった。

束縛は、わたしたちが勝手に心の中に作り出した檻で、いつでも簡単にそこから出られるものだった。むしろ檻なんてなくて、それは存在しない架空の壁だった。


後日、インスタントカメラを現像に出した。その頃はカメラといえば、写ルンですなどのインスタントカメラだったのだ。

そこにはあの日の象や空や海が確かに写っていた。

わたしたちにとっては、はじめての、自分たちで決めて行動した、小さすぎる冒険。

高校後半の受験一色の日々の中、どうやって毎日を過ごしていたかはあまり覚えていないのだが、あの日の海の色と、二人のコートとマフラーの色、ももさんの笑顔だけは、克明に覚えている。

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