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無力な自分には何ができるのか? ~STU48『そして人間は無力と思い知る』~

聴いた瞬間に何やら心に突き刺さってくる曲。

歌詞を眺めてみると、何か大変な事態が起きているのだけれども、自分には何もできないという、そんな己の無力さに打ちひしがれているような内容なのですよね。

風はなぜに泣いているのか?
誰か僕に教えて

人々の悲嘆にくれている声が聞こえてくるけれども、一体何が起こっているのか?
台風や地震などによる大災害が起きたのか、疫病が蔓延しているのか、はたまたテロか戦争か?

この曲は、『花は誰のもの?』公演のために書き下ろされた曲で、公演タイトルにもなっている『花は誰のもの?』という楽曲と無関係というわけではないのでしょう。
『花は誰のもの?』は、言わずもがな、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて作られた曲なのですけれども、平和への願いを込めて、理想世界を美しく歌い上げた楽曲ですよね。
それに比べて『そして人間は無力と思い知る』は、およそその対極にあるような、やりきれない現実を歌った楽曲になっている。

1サビに入る前の歌詞には、

今 僕にできることって
夕凪(ゆうなぎ)を待つことだけかい?

とある。
何もできない自分は、ただただ平穏な世の中に戻ってくれることを待つことしかできないのだろうかと自問している。
そして、サビに入り、

ああ
そして人間(ひと)は無力と思い知る
何を語ろうとそれは止まらない
ああ 偉そうに聞いてても無駄だとわかる
どうであろうと 僕は風を無視できない

となる。
己の無力さを痛感し、諦めの気持ちへと傾いていきそうになるけれども、どうしても無関心ではいられない。
そこで、2サビでは、

ああ
だけど人間(ひと)は何かをしたくなる
それが何(なん)なのか わからないままに…
ただ 見過ごすことできずに 耳をそばだて
気配探す 風はどこから吹くつもりか?

となり、何かできることはないのだろうかと苦悶するわけです。
けれども、続く歌詞に、

たとえ僕が 瞼(まぶた)を閉じようと
どこで泣いてるか 見当つかない
もう 他の人のことなど考えるなと
おせっかいな僕に耳打ちしてくれてる

とあるように、結局どうすることもできず、再び諦めの気持ちに傾いていく。
そして、ラスサビは次のような歌詞になっている。

どこで誰が泣き声 上げようが
僕はそれを思いやる余裕がない
こんな情けない自分の聞き違いだと
納得をして 風の中を歩き出そう

自分は無力だ。
見なかったこと、聞かなかったことにして、背を向けるしかない。
そう受け取れますよね。
ここでこの曲は終わっているわけですから、何とも後味が悪いと言いましょうか、希望もなければ救いもない。
けれども、現実には、おそらく私たち一般の人たちの置かれている立場は、まさにこの通りなのではないでしょうか。

『花は誰のもの?』では、国境がなくなれば争いもなくなって、人はみんな幸せになれるだろうにと、理想的な世界を歌っている。
けれどもそんな理想世界を謳っていても、現実には、忌むべき理不尽なことが今日も世界各地で起きている。
それに対して私たちは何も為す術がないと歌っているのが、この『そして人間は無力と思い知る』ということになるわけです。

『花は誰のもの?』は、その歌詞がタイムリーな内容であっただけに、世間一般でも多少なりとも話題になりましたけれども、もしかしたら、この2曲はセットで聴くべき曲なのかもしれませんね。
理想と現実とは、こういうことだという……。

どこかで起きているテロだとか戦争だとか、そんな忌まわしい大きな出来事に対して、現実の私たちは無力で何もできない。
けれども、だからといって目を背けて無関心でいられるわけではない。
理想を掲げて、何ができるか考え続けることが大切なのかもしれませんね。
たとえ今は願うことしかできないにしても……。

引用:秋元康 作詞, STU48 「そして人間は無力と思い知る」 (2022年)


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