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自分の人生は自分で前へ進めるもの ~STU48『ペダルと車輪と来た道と』~

この曲は、STU48のCDではなく、AKB48の51stシングル『ジャーバージャ』に収録されているカップリング曲になります。
夢や目標に向かって努力し続けている人たちを前向きな気持ちにさせてくれる、疾走感溢れるロック調の曲です。

1番Aメロ前半

いったい誰のために
走り続けてるのか?
ふと疑問に思って
立ち止まりたくなってしまう

夢や目標に向けてガムシャラになっているときというのは、心の内ではある種の熱狂状態になっているわけです。
そんなときには、周りも良く見えなくなっていますし、苦痛ですら喜びになっていたりもするものです。
けれども、何かのきっかけで、あるときふと冷静になってしまうことがある。
「いったい自分は何をこんなにムキになっているのだろうか?」
「こんなにしてまで自分は何を求めているのだろうか?」
「いったい誰に認めてほしいというのだろうか?」
そんなことを考えてしまって、自分のやっていることに疑問を抱くようになってしまう。

1番Aメロ後半

こんなつらい思いして
どこへ向かっているのか?
わからなくなる
平坦で楽な道とかあるだろう

「こんなに苦しい思いをして努力しているけれども、自分の夢や目標に本当に到達できるのだろうか?」
「もっと簡単で楽な方法もあったのではないのか?」
そんな不安や疑問がよぎってくるわけです。

1番Bメロ

挫(くじ)けそうな時には
風を味方にして
背中を押してよ

挫けそうになったときには、誰かに背中を押してほしい。
そんな気持ちにもなりますよね。

1サビとラスサビ

ペダル漕いで
回った車輪の分だけ
夢に近づけばいい
呼吸は乱れて
汗が溢れ出す
急な坂道は続いてる
もっと もっと 先へ

ペダルを漕げば、そのぶんだけ自転車は確実に前へ進む。
どんなに遠い夢や目標であっても、歩み続けていれば確実にその夢や目標に近づいて行けるはず。
苦しくても、一歩また一歩と前へ進んでいくしかないのです。

2番Aメロ前半

そろそろこの辺りで
足をついてしまおうか?
弱音を吐きたくなる
もうこれ以上走れないよ

どれだけ頑張っても夢や目標になかなか近づくことができないと、つい心が折れそうになってしまう。
もしかしたら、これが自分の限界なのではないかと思ったりもしてしまう。

2番Aメロ後半

僕たちの自転車は
なぜに急いでいるのか?
ただがむしゃらに
理由聞いたとこで何(なん)になる?

「自転車」は「青春」の隠喩いんゆになっているのでしょう。
悩みや迷いを抱えながら、ただひたすらに青春を駆け抜けて行く。
それを、自転車のペダルを必死に漕いでいる様子でたとえているわけです。

青春時代には、その若さと溢れんばかりのエネルギーを持て余してしまい、それを何かにぶつけずにはおられないものです。
そこに何か理由や目的を求めても、意味はないのではありませんかね。

2番Bメロ

目指してるゴールは
いくつの谷と山を
越えればいいのだろう

夢や目標を目指して進んで行く先には、さまざまな困難やいくつもの壁が待ち構えている。
それらをどれだけ乗り越えて行けばゴールにたどり着けるのかわからない。
けれども、つべこべ言わずに乗り越えて行くしかないということでしょうかね。

落ちサビ

ペダル止めて
休んだ車輪の分だけ
チャンス 遠ざかるもの
太陽は沈み
星が輝いて
明日のその道を照らすよ
次は

人生に与えられた時間には限りがあります。
ましてや、青春時代などあっという間に過ぎ去ってしまう。
その限られた時間で何かをなそうと思ったら、立ち止まっている暇などないのですよね。
立ち止まっている間にも時間は過ぎ去っていくわけですから、そのぶんゴールにたどり着ける可能性は低くなってしまう。
つまり、立ち止まっていると、距離が縮まらないのではなくて、むしろゴールまでの距離は遠ざかってしまうということです。

「明日のその道を照らすよ 次は」というのは、立ち止まって遅れたぶんを取り戻すため、より一層力を入れて突き進んで行かなければいけないという決意の表れでしょうかね。

2サビ

生きることは
ペダルを踏み続けること
誰も苦しいものだ
自分のためだと
答えは出ている
どんな道のりも人生だ

どんな困難や苦難にぶつかろうとも、自転車を漕ぐように前へ進んで行かなければならないのが人生というもの。
自分の人生は自分自身で前へ進めていくしかないのですよね。
それがいかなる道のりであろうとも。

引用:秋元康 作詞, STU48 「ペダルと車輪と来た道と」(2018年)


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