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大切なものを失うということ ~SKE48『愛のホログラム』~

この曲は、SKE48の32ndシングルの表題曲になります。
アップテンポの失恋ソングです。

1番Aメロ

TOKYOはホログラムみたいで
街灯りも現実感がないよ(光と影)
知らぬ間に 雨が降り出して
雫が頬に触れた時 冷たかった

ホログラムというのは、正確には立体映像の記録媒体、つまりアナログ写真で言えばフィルム、デジタル写真で言えばメモリカードに相当するものの呼称ですから、ここで言っている「ホログラム」というのは、その記録媒体から呼び出して映し出された映像である「ホログラム映像」のことを指しているのでしょう。
その映像は、平面映像に比べるとはるかにリアルなものとして目に映るわけです。
とは言え、あくまでもそれは映像であって、そこに実体はないわけです。
言うなれば、幻のようなものですかね。

「東京」ではなく「TOKYO」と記されているのは、現実感の希薄さを醸し出すためのレトリックなのでしょう。
「街灯りも現実感がないよ」と言っているように、この主人公にとって東京の街並みは、あたかもホログラム映像のごとく現実感の乏しい幻のようにその目に映ったのでしょう。
これは、失恋した主人公の虚ろな心境を物語っているわけです。

「知らぬ間に 雨が降り出して 雫が頬に触れた時 冷たかった」とありますけれども、これは主人公の悲しみを表現しているのでしょう。
実際に雨も降り出したのでしょうけれども、主人公も涙を流していたのではありませんかね。
少なくとも、心の内では涙を流していたはずです。
そして、「冷たかった」と言い表されているわけですから、その涙は熱い涙ではなく冷たい涙だったわけです。
つまり、心の寒さ、孤独感や寂しさを表しているのではありませんかね。

かように、このAメロの部分だけで、この主人公の失意の程が言い表されているわけです。

1番Bメロ

人の波は どこへと流れて行くのだろうか?
自分の意思じゃなく 流されたい

何か目的を持って自分の意思で行動するのではなく、人波に流されてあてどもなく彷徨さまよい歩く。
それで構わないという、なにやら投げやりな気分といったところでしょうか。
悲しみの感情に流されて、冷静で合理的な思考ができなくなっているのでしょう。
それほどまでに、その悲しみは深いということです。

1サビ

君がいないなら こんな世界は何も面白くない
目に見えるものの全ての色を失った
僕の人生 照らしてたのは 君という名の太陽
愛は暗闇の中でも 確かに生きているのに…

世界がどう見えるかは見る人の認識の産物であって、同じ世界を見ていても、人によって見え方は異なるし、同じ人物が同じ世界を見ても、その人の心の在り様によって見え方は違ってくるもの。
失恋の失意の淵に立っているこの主人公にとって、目に映る世界は無味乾燥なモノクロの世界でしかないのでしょう。

この主人公にとって、目に映る世界にいろどりを添えてくれていたのは「君」という太陽のような存在だったわけです。
そんな「君」を失い、世界は暗闇の中に沈み込んでしまった。
その暗闇の中にあっても、「君」への思いは変わることはないし、「君」の姿をリアルに思い浮かべることもできる。
けれども、それはホログラム映像のような実体のない幻でしかない……。

2番Aメロ

人はなぜ 孤独を怖がり
誘蛾灯を目指してしまうのだろう(群れを求め)
肩先が濡れ始めてから
傘を差してない自分に気づいたのさ

「孤独」というと、とかくネガティブなイメージと結びつけて語られることが多いように思われますけれども、「孤独」そのものは決してネガティブなもではなく、場合によっては効用もあるわけです。
例えば、自分を静かに見つめ直したいときだとか、何かに集中したいときや何かを深く考え抜きたいときだとかには、雑音を遠ざけて孤独に身を置いた方が良い場合もあるわけです。
ただ、この主人公のように、失恋して寂しさに暮れている状況で孤独に身を置くと、その寂しさのあまり心の平衡を保つことが難しくなってきてしまう。
心が押しつぶされるのを避けるために、明るくにぎやかで気を紛らわせることのできる場所に向かうということはあるのでしょう。

続くフレーズの「肩先が濡れ始めてから 傘を差してない自分に気づいたのさ」というのが、この主人公の寂しさ、孤独感を際立たせる表現になっているのではないでしょうか。
ここのフレーズを隠喩いんゆととらえて解釈するならば、涙がこぼれているのに、それを拭いもしていない自分に気づいた、ということにでもなるのでしょうかね。
いずれにせよ、この主人公の心は涙に濡れているわけです。

2番Bメロ

夜の空は 月とか星とか見えるはずもなく
期待できないとわかったんだ

まあ雨が降っているわけですから、空を見上げても月とか星とかは見えませんよね。
ここでは、そういった情景描写を通じて、この主人公の内面を映し出しているのではありませんかね。
涙に暮れている目には、キラキラした星も明るい月も見えやしない。
つまり、楽しさや明るさなど、今の自分には無縁なことであって、そういったものを感じ取ることなどできやしないということなのでしょう。

そして、「期待できないとわかったんだ」というのは、直前のAメロや後に続く2サビの歌詞とのつながりを考えると、寂しさを紛らわせるために明るくにぎやかなところに行ったところで、決して心は晴れることはないということを言っているのではありませんかね。

2サビ

君がいてくれたら どんな日々でも もっと明るくなれる
バラ色の世界 僕にはそう見えるだろう
始発電車が動き出すまで アスファルトを歩こう
同じような景色の中 記憶を置き忘れたい

苦しいことや辛いことがあっても、「君」という存在が「僕」の目に映る世界にいろどりを加えてくれる。
そう、「君」さえいてくれたなら……。

「始発電車が動き出すまで アスファルトを歩こう」というのは、じっとしているのも、いろいろなことが頭をよぎってきて耐えられないということなのでしょうかね。
ここで「記憶を置き忘れたい」とありますけれども、ここで言っている「記憶」とは、いかなる記憶なのでしょうか。
ここまで歌詞の内容を見てきた限りでは、よもや「君」や「君」との思い出のことではないでしょう。
そうなると忘れたい記憶、つまり拒否したい現実は、「君」を失ったことなのではありませんかね。
「君」を失ったことさえなかったことにすれば、「僕」の目に映る世界にもいろどりが戻ってくる……。

Cメロ

雨はいつ止むのか? 夜明けはいつやって来るか?
どっちが先だって 愛は消えない

涙はいつ枯れ果てるのか、心はいつ癒されるのか……。
いずれにしても、心の中にある「君」への思いは変わらない。
未練がましいと言われればその通りではあるのだけれども、それほどまでに失ったものが大きかったということなのでしょう。

大サビは1サビと同じ内容になっています。

この曲の歌詞を眺めていて、最初に感じたのは、この主人公はもしかしたら相当にヤバイ奴なのではないかということです。
と言いますのも、「ホログラム」という、実体のない幻のようなものの比喩ともとらえられる言葉がキーワードとなっていることもさることながら、この主人公が失った「君」の現実感の乏しさがあって、もしかしたら、この失恋はこの主人公の妄想で、「君」というのもその妄想の産物なのではないのかと思えてしまったからなのですよね。
もしそうだとしたら、STUの曲の「そして僕は僕じゃなくなる」で描かれている主人公並みかそれ以上にヤバイ奴ということになるわけで、さすがにそれは極端な見方になってしまうなと、思い直した次第で……。

ただ、主人公と「君」との関係がどういったものだったのか、どういった事情で「君」を失うことになったのかの情報は何もないのですよね。
付き合っていたのか、それともこの主人公の片思いだったのか。
「君」と付き合っていたというのであれば、何かしらのエピソードが語られていても良さそうなものですし、片思いだったとしても、もう少し「君」の輪郭について何かしらの描写があっても良さそうなものですよね。
けれども、そういった描写は一切なくて、「君」を失ったということだけが記されているわけです。

ひょっとしたら、秋元Pは意図的にそうしたのかもしれませんね。
「君」の描写に現実感を持たせてしまうと、失恋という出来事に生々しさが生じてきて、そちらがクローズアップされてしまう。
秋元Pの意図としては、失恋のストーリーでありながらも、聴き手が必ずしも「失恋」ということにとらわれずに、何か自分が大切にしているものが失われたときの心境ということで共感してもらえたなら、ということなのではありませんかね。

確かに、「君」を何か自分が大切にしているものに置き換えて、それが失われたときの自分の心境を考えてみたり、実体験があるのならばそれを思い返してみたりすれば、この主人公の気持ちは痛いほどよくわかるのではないでしょうか。

つまり、この曲は、失恋をテーマにはしているけれども、もっと広く自分の大切にしているものが失われるというのがどういうことなのかを歌った曲だと言って良いのかもしれません。

引用:秋元康 作詞, SKE48 「愛のホログラム」(2024年)


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