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青春とは、儚く切なく、そして美しいもの ~NGT48『僕はもう少年ではなくなった』~

味わいのある良い曲ですね。
夏の終わりの夕暮れ時にでも聴くと、ノスタルジックな気分に浸れる曲。

それぞれ故郷を離れて東京に出ていった「僕」と「彼女」が、夏休みに帰省して故郷の夏祭りに出かけたところ、久しぶりにばったりと出くわしたというお話。
そこで「僕」は、青春の儚さや美しさを痛切に感じることになる。

サビの前半

あんなに好きだった彼女が
僕の知らない世界の住人で
こっちから手を振ってみたけど
他人行儀に軽く会釈をした
遠くに枝垂(しだ)れ柳

「僕の知らない世界」というのは、一般の人が通常では関わることのできない何か特別な世界、例えば、それこそ芸能人になったとか、政治家になったとかといったようなことを指しているわけではないのですよね。
子供のころには、共に過ごした街や学校など生活圏を共有していて、その土地の習慣や遊びだとか話題だとかも共有していた。
けれども、お互いに故郷を離れて、それぞれ別の街に住み、別の仕事に就いている。
もしかしたら、それぞれに家庭もすでに持っているのかもしれない。
つまり、もはやお互いに共有しているものが何もないという意味で、「僕の知らない世界」と言っているわけです。

「遠くに枝垂(しだ)れ柳」というのは、直前の歌詞で表現されている「彼女」のそっけない様子を喩えているわけです。
枝垂れ柳の枝は細いため、強風が吹いても折れることなく受け流してしまう。
「彼女」の他人行儀な態度を、そんな手応えのない様子に喩えている。
さらに、「遠くに」とあるように「彼女」との心理的な距離感をも表しているわけです。

サビの中盤

夜の空に花火が上がり
それはいつまで明るいのだろう?
全ては一瞬の出来事
だから美しいのかもしれない

言うまでもなく、「花火」は「青春」のメタファー(隠喩)になっている。
青春とは、人生における一瞬のきらめきであり、儚く美しいもの。
それを花火に喩えているわけですね。

サビの後半

僕はもう少年ではなくなった
あの夏に…

「あの夏」とは、夏祭りの夜に「彼女」とばったりと出くわした日のことを指している。
「彼女」と久しぶりに会って、青春時代の甘美な気持ちが蘇ってきたけれども、それはもう遠い昔の思い出でしかない。
「僕」も「彼女」も、年齢的なものだけでなく、心のありようまでもがすっかり大人になってしまっているという現実に、自分はもうあの頃のような「少年」ではなくなっているのだなと痛感する。
それを示す歌詞が、1番Bメロの

知らぬうちに僕らは
金魚掬(すく)いしなくなり
ヨーヨーも綿飴も
りんご飴も忘れてる

であり、2番Bメロの

大人になってしまった
僕らは夜店のどこでも
何だって買えるけど
ワクワクしなくなった

であったりするわけです。
そして、2サビには、

夜の空に上がる花火は
やがて暗闇へと消えるけれど
瞼(まぶた)に残るあの夏だけは
ずっとずっと消えることないだろう?
僕はもう少年ではないんだ
永遠に…

とあり、自分の青春は、あの花火のように一瞬の輝きを放って儚くも消え去ってしまった。
青春が美しい思い出となってしまった今、自分はもう永遠に少年に戻ることはないのだということに寂しさを感じているわけです。

青春とは、かくも美しく、そして儚いものだということを切なく歌い上げた良い曲。
前サビ後、Aメロ歌い出しの小越春花の特徴的な歌声がクセになりそうな曲でもありますね。

引用:秋元康 作詞, NGT48 「僕はもう少年ではなくなった」 (2023年)


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