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困難を乗り越えた先に、どこにたどり着けるのか? ~NGT48『渡り鳥たちに空は見えない』~

アネハヅルは、繁殖期をモンゴル高原で過ごし、越冬するために8000m級の山々が連なるヒマラヤの大障壁を越えてインドに渡る、小型の渡り鳥です。

アネハヅルは、いくつかのグループを組んで山越えをするのですけれども、必ずしも1回のトライで首尾よく山越えに成功するわけではありません。
中には生後数ヶ月の若鳥もいて、途中で脱落してしまうこともある。
あるいは、強風で山越えができずに押し返されてしまうこともある。
そうした場合、いったん引き返して、グループ一丸となって何度でもトライする。
山越えができなければ越冬できませんから、決して諦めるわけにはいかない。

群れを成して飛ぶときにはV字型の編隊を組むのですが、それにより、前を飛ぶ鳥の羽ばたきで生じる空気流を利用して、後続の鳥は体力をセーブしながら飛べる。
逆に言えば、グループを牽引する先頭の鳥には大きな負担がかかることになる。
そこで、先頭の鳥が疲労してくると、後ろを飛んでいた仲間の鳥が次々と交代しながら飛び続けるわけです。
見事なチームワークですよね。

そんな映像を何年か前にNHKのBS放送か何かで見たことがあって、とてもドラマチックで感動した覚えがあります。
NGTの8thシングル『渡り鳥たちに空は見えない』を聴いたときに、そのときの記憶がまざまざと蘇ってきました。

この曲、曲調といい歌詞の内容といい、NGTの初期の曲に回帰したような印象を受ける。
一説には、『Maxとき315号』の続編ともいえる曲なのではないかとも言われている。
疾走感あふれる、これぞ青春讃歌といった感じのとても良い曲。

目的地を目指して死に物狂いで飛び続けている渡り鳥たちには、頭上に広がる空は目に入らない。

つまり……、
夢や希望を抱き、目指すべき場所だけを見据えて、もがき苦しみながらただひたすら前へ進もうとしている若者たちには、周りに広がる世界に目を向ける余裕などない。
分別や合理的な思考に基づくのではなく、ただ、ほとばしる情熱だけを頼りに突き進んでいく。
それが青春というものだ、ということなのではありませんかね。

頭上に広がる空に目を向ける余裕が持てるようになったとき、すなわち、分別もつくようになり、合理的な考え方ができるようになったときが、すなわち大人になったということなのでしょう。
大人になると、どういった道筋をたどるのが効率的なのか、何を避ければよいのか、どうすれば手っ取り早く結果を得られるのか、といったようなことを冷静に計算できるようになり、とても要領が良くなる。
それが成熟というものであり、人としてあり得べき成長した姿なのでしょう。

けれども……、
なんだか、味気ないと言いましょうか、つまらないと言いましょうか。
分別臭くなってしまった自分に寂しさを感じてしまう。
確かに、情熱だけを頼りに突き進んでいけば、余計な回り道をすることになるかもしれません。
失敗したり傷ついたりすることも多いでしょう。
楽しさよりも苦しさのほうが多いかもしれません。
それでも、そういった事々の経験が人生の彩となるのではありませんかねぇ。
少々ほろ苦い彩ではありますけれども……。

今、青春真っただ中にある若者たちにしてみれば、早く満足のいく結果が欲しいと、焦りばかりが募ることでしょう。
もちろん結果も大事なのだけれども、本当に大事なことは、何かを求めてただガムシャラになっているというその経験なのではありませんかね。
そしてその経験は、青春の時期にしか得られない貴重なものでもあるのですよね。
今は、まったくそんなふうには考えられないかもしれませんが、大人になってから、ある日ふとそのことに気がつく。
ああ、あのときは本当に苦しくてつらかったけれども、本気になって何かに打ち込んでいたあの頃は、とてつもなく幸せだったのだなと。

記憶の底(沈殿している)
甘く苦い(忘れられぬ痛み)
疲れ果てても休めなくて
無理した遠い日々
「今になってわかることがある」

歌詞の中にこういったくだりがあるのですが、もしかしたら、これはそういったことを歌っているのではありませんかね。

さて、この楽曲ですけれども、

どこまで行けば 夜明けが見える?

で始まって、

夢見るか 諦めるか?

で終わっている。
そのことの意味とは……。

騒動の後、NGTはマイナスからの再スタートを余儀なくされていたところにもってきて、コロナ禍でダブルパンチを食らってしまったわけですから、この期間の活動は、とてつもなく厳しかったはず。
それでも地道に地元での活動を増やしていき、少しずつ信頼も取り戻してきたわけです。
現在では活動も正常化して、NGTは復活したと言って良いのかもしれません。
とはいえ、この間にメンバーもずいぶんと減ってしまっている。

そもそも48G全体が、かつてのような勢いはありませんし、NGTとしても、復活したとはいっても、依然として厳しい状況は続いているわけです。
そうした中で、グループとしてもメンバー個々人としても、これから先どうしていけば良いのか、もがき苦しんでいるところなのではありませんかね。

そういった現状を理解したうえで、秋元Pはサビの詞で次のように綴ったわけです。

渡り鳥たちに空は見えない
飛んでいるのはどこなのか?
今 風に逆らい
進もうとしている
渡り鳥たちに地図なんてない
ひたすら本能的に
いくつもの(海流)荒波を(越えて)
大陸を目指している
青春の群像

これは、これから先もさまざまな困難が待ち受けているだろうし、苦しい思いもすることになるかもしれないけれども、情熱を絶やすことなく、目指すべき場所を見据えて、グループ一丸となって突き進め、という秋元PからのNGTメンバーたちに対するエールのメッセージなのではありませんかね。

ラスサビには、最後に一行

夢見るか 諦めるか?

という詞が付け加えられているのですけれども、これは、歌詞の冒頭にある

どこまで行けば 夜明けが見える?

とつなげて考えるべきなのかもしれません。
つまり、「どこまで行けば光明が差してくるのかわからないけれども、それでも君たちは夢を捨てずに前へ進んで行けるのか、それとも、もう無理だと諦めるのか?」と問いかけているわけです。
かなり厳しい問いかけではあるけれども、要するに「覚悟」が問われているのですよね。

引用:秋元康 作詞, NGT48 「渡り鳥たちに空は見えない」 (2022年)


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