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絶望の淵で知る一番大切なもの ~NGT48『絶望の後で』~

この曲は、例の騒動後初めてリリースされたNGTのシングル『シャーベットピンク』のカップリング曲になります。
『シャーベットピンク』は、前作のリリース以来約1年9カ月ぶりのシングル。
表題曲はオシャレなタイトルではありますけれども、カップリング曲のタイトルは、『絶望の後で』、『後悔ばっかり』、『嫌いなのかもしれない』と、いずれも意味深なものばかり。
とりわけ『絶望の後で』は、絶望の淵に突き落とされたメンバーたちへの秋元Pからのエールのメッセージとなっています。

騒動後、NGTはほとんど活動不能な状態に追い込まれてしまい、多くのメンバーがグループを去りました。
限られた青春の時間を無為に過ごすわけにもいきませんから、新天地を求めて去っていった彼女らを責めることはできないでしょう。
そんな危機的な状況の中、覚悟を決めてグループに留まり続けることを選択した者たちは、この先どうなるのかもわからないいばらの道を行くことになるわけです。
そんな彼女らに、秋元Pは渾身のエールを送ったわけです。

1番Aメロ前半

心の中を全部 吐き出せたのかい?
言葉の残滓(かす)はもう残っていないかい?
カッコなんかつけなくていいんだ 本当の気持ちをさらけ出せ!
僕らは天使なんかじゃない

騒動後、メンバー同士やメンバーと運営スタッフとの間などで何度も話し合いの場が設けられたそうですけれども、そこでは積りに積もった思いなども、それぞれのメンバーから吐露とろされたのではありませんかね。
みんな聖人君子でもなければ無垢な天使でもない。
心の内にはドロドロとした感情が渦巻いている生身の人間なわけです。
カッコつけたり良い人ぶったりせずに、この際お互いに腹を割って全部吐き出してしまえば良い。
そう秋元Pは言っているのでしょう。

つづく1番Aメロ後半

そう誰だって口汚くなるよ
感情的になっちゃいけないのか?
生まれてからずっと信じて来た 大切なものに裏切られて
冷静になれるわけない

「生まれてからずっと信じて来た大切なもの」というのは、人と人との信頼関係ということではありませんかね。
あの騒動において、様々な関係性の中で、ある局面では人に裏切られ、また別の局面では人を裏切ってしまい、そういった人と人との信頼関係が壊れてしまったということなのでしょう。
そんな状況の中で平静でいられるわけがなく、思わず感情的になってしまうのも仕方のないことかもしれません。

ああ 真実とは?
誰も開けちゃいけないパンドラの箱か
ああ ああ 知りたくなんてなかったよ
正義はどこにある?

「知りたくなんてなかったよ」とあることから、知ってしまったのでしょう。
何かしらの真実を。
そして、そのことが苦しみの原因になっているということでしょうかね。
真実を知ることが苦しみをもたらすのであれば、それは必ずしも正義であるとは限らないということになってしまう……。
ここで言っている真実とは、現実社会の中では人と人との信頼関係は簡単に壊れてしまうものだということを指しているのではありませんかね。
あんなに応援してくれたり支持してくれたりしていた人たちが、騒動後、手のひらを返したような態度をとってくる……。
そういった現実社会の酷薄さを目の当たりにして、途方に暮れているといったところでしょうか。

愛よ どうして 優しげに微笑んで近づく?
僕から 何を奪おうと企んでるんだ?
これ以上 もう誰も信じたりはしない
今すぐ 絶望すれば楽になれるさ

愛はいつでも優しく微笑んでくる。
けれども、そんな愛にすがるよりも、誰も信じず、へたな希望など持たずに絶望してしまったほうが、よっぽど気が楽なのではないか。

見てないふりをすればよかったのか
誰も傷つくことなかったのか
口をつぐんだって関係なく この世の中は回って行くんだ
何事もなかったように…

何事も起きていなかったかのように装っていれば良かったのか?
そうすれば、もしかしたら誰も傷つかなくて済んだのか?
そう問いかけているようにも受け取れますね。

ああ 青い空は
何の迷いもないまま 晴れ渡っている
ああ ああ 雲はどこに隠したんだ?
憂いは捨てたのか?

晴れた青い空というのは、絶望の淵とは対極に位置しているもの。
青い空は何の屈託(くったく)もなく晴れ渡っている。
目障りなものは雲が覆い隠してくれている。
けれども……。
ここは、前段のAメロの歌詞を受けているのかもしれませんね。
見たくないもの知りたくないことには目をつぶって、美しいものだけを見ていれば心は晴れるのか?
それで、心の中のモヤモヤは解消できるのかと問うているのでしょう。

愛は どうして 悲しみを追い払えるのだろう?
痛みをそんな簡単に忘れられるか?
誰かをもっと恨んだっていいんだよ
希望は 絶望の淵 見上げるものだ

愛はいつでも悲しみを追い払ってくれる。
けれども、心の痛みはそんなに簡単に癒せるものではない。
良い人ぶらずに、いっそのこと他人を恨んでしまえば良い。
とことん落ち込んで絶望のどん底まで行けば、そこから見上げた先に希望の光が見えてくるかもしれない。
そう言っているのではありませんかね。

すべてを一度失えば 暗闇の中で見えて来る
諦めたのは何なのか 欲しかったものは何なのか
ああ… おお…
何も持ってない掌(てのひら)開いてみせろ

何もかも失ってしまえば、本当に欲しかったものは何なのか、これまで一体何を諦めてきたのか、そういったものがはっきりとわかってくる。
今、何も持っていないこの手で、もう一度本当に欲しかったものをつかみに行けと鼓舞こぶしているのではありませんかね。

そして歌詞の最後に

奪われてから初めて気づく
失ったもの

とあります。
ここで言っている奪われたものと失ったものとは別のものを指しているのでしょう。
では、何を失い、何を奪われたのか?
失ったのは、お互いの信頼関係。
メンバー同士やメンバーとファン、メンバーと運営、ファンと運営、グループと支えてくれていた地元のサポーターなどなど、一連の騒動により、お互いの信頼関係が失われてしまったのですよね。
そして、奪われたものは、自分たちの活動の機会ということになるのでしょう。
自分たちの活動の機会が奪われるという事態に立ち至って初めて、これまでに築き上げてきた様々な信頼関係が、もろくも崩れ去っていたということに気づいたというわけです。
そう、一番大切なものは、そういった人と人との信頼関係なのですよね。
一度失った信頼関係を取り戻すのは容易なことではありません。
大変な時間と労力を要するけれども、「でも、やるしかないよね」と秋元Pは言っているのかもしれませんね。

メンバーたちは、この曲をどう解釈し、どういう思いで歌っていたのでしょう……。
この曲がリリースされてから3年、NGT48は地域密着のグループとして、地に足をつけた地道な活動を続けています。
必ずしもすべてがうまくいっているわけではないのでしょうけれども、少しずつ信頼を取り戻し、着実に前へ進んでいるのではありませんかね。

引用:秋元康 作詞, NGT48 「絶望の後で」(2020年)


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