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渋谷を歩く

加藤シゲアキの「できることならスティードで」というエッセイが好きだ。
「できることならスティードで」は「旅」をテーマにした12のエッセイと3つの掌編小説が収録されたエッセイ集だ。「旅」といっても旅行の話ばかりがあるのではなく、釣りのエピソードや体を鍛える中での脳内旅行、キッチンで完結する世界旅行など、「旅」の種類は多岐にわたる。

NEWSを好きになった時、加藤シゲアキの人柄を知りたくてまずこの本を手に取った。ちょうど文庫本が発売になるタイミングだったのも良かった。
どのエピソードも大好きなのだが、特に印象深いエピソードがいくつかある。

釣行

作者の愛する趣味の1つである「釣り」に関する一篇。幼少期父親の友人に釣り道具をプレゼントされ、釣りへの憧れを募らせていた彼はマネージャーに誘われて初めての釣りに挑む。
他のエピソードに比べてユーモラスな文面が目立つ。彼の釣りへの愛が伝わってくる。

小学校

以前放送されていたテレビ番組「NEWSな2人」でメンバーの小山慶一郎と共にとある家庭を訪れた彼は、小学校に行く意味を見出せない少女と対峙し、学校に通う意味について考える。

浄土

作者にとって「もう一人の父」と呼べる存在を喪った際の一篇。彼の心の中には、ある種の恐れすら感じさせる恩人へのわだかまりが残されていた。

私が「浄土」が忘れられないのは、多分彼があの人に最後にかけられた「You最悪だよ」が、私の好きなSixTONESのメンバーである森本慎太郎という奴が最後にかけられた「Youブッサイクだね」と被るからだ。
口が悪くて自分勝手な人。私の中のジャニー喜多川という人の印象はそんなものだ。勿論あの人が居なかったら私は大好きな人達に出会えていないので、感謝はしている。でも、何かしらの意図があったのだとしても、彼は自分勝手だったと思う。色んな意味で。
彼の性加害疑惑については勿論承知している。もし本当なのだとしたらとんでもない事だ。被害者は救済されるべきだし、タレントがスポンサーから外されたのは仕方なかったのかもしれない、とも思う。
でも、どんなに鬼畜だ何だと言われていても、私の思い出す彼は「慎太郎やまっすーが楽しそうに思い出を語っていた愉快なおじいちゃん」なのだ。まっすーに
「シーザードレッシング作ったの僕なんだよ」
と嘘を吐いたお茶目なおじいちゃんなのだ。そんな事ばかりを覚えている。
こんな事を言ったらグルーミングだと言われてしまうだろうか。
本当は、デビューに至る経緯とか楽しい思い出話とか、あの人抜きに話せない事が沢山ある。でもきっと、そういう事を変わらず話せていて欲しいと思ってしまうのは私のエゴなのだろう。そういうの聞く度に被害者の方は傷つくのだから。被災地に支払う義援金すら寄越せと言ってくる彼らは正直訳のわからない人達に見える。それでも彼らは傷つけられて良い訳のない人達なのだ。
いつだかの雑誌で「ジャニーズで居るのに重要なのはジャニーさんへの恩だ」と語っていた慎太郎は「夢の中であの人に『You最高だね』って褒められたらきっと泣くだろう」とも言っていた。いつだか特技を訊かれた増田貴久はたった一言、「ジャニーズ」とだけ答えた。

慎太郎もまっすーもシゲさんも光一くんもあんたの事大好きだったんだよ。何やってるんだよ。

戦争のない世を望んだ、自分勝手な天才。
彼は、自分勝手な人だ。

渋谷

昔から引っ越しが多く、「地元」と呼べる場所のない作者の帰属意識についての一篇。地元と呼べる場所を持たない彼は、学校のある渋谷とそこに集まってくる学友達に居心地の良さを感じる様になる。

私は物心ついた頃からずっと同じ場所に住んでいるけれど、家の近所の小学校ではなく少し遠い小学校に通っていた。中学も高校も大学も家から遠いところなので全然地元に居着いてないし友達も地元に居ない。思い入れもない。だから彼の地元がないという感覚はほんの少しわかる気はする。諸事情で引っ越しをする話が出た時も、そこまで悲しさはなかった。寧ろ大学に近いところに引っ越せるなら好都合かもしれないと思った。
ただ、住み慣れた家を離れるのは寂しいだろうな、と思った。
そんな淡白な人間だけれど、推しの地元の話を聞くのが好きだ。地元の友達と今でも遊ぶ話や、中学校の同級生が自分のグループの持ち曲を大合唱してLINEで送ってくれた話などを聞くと「愛されてんなあ」と思う。良い友達に恵まれたのだなと思う。そんな彼らが、ほんの少しだけ羨ましい。

平日の昼間、大学の帰りに「できることならスティードで」片手に渋谷を歩いた事がある。どんよりとした曇った日だった。
高校の頃、大学受験の勉強の為に渋谷のとある塾に通っていた。毎週の様に行っていた筈なのに、渋谷は騒がしくて何処かよそよそしい街だった。塾とその周辺の飲食店、コンビニくらいにしか行った事がなかったからかもしれない。
大学生になって、たまに渋谷のタワーレコードに寄る様になった。ガチャガチャを回したりもした。それでも寄る機会の激減した渋谷は、よそよそしさの度合いを増していた。
渋谷駅の改札を抜けると見慣れた交差点が見えた。マップに「恋文食堂」と打ち込むとない筈なのに場所が表示されたので、まずはそこに行ってみる事にした。
彼の匂いを探してあちらこちらを歩いた。
結論から言うと、彼が「渋谷」の章に書いていた通り、彼の慣れ親しんだ渋谷の面影は殆ど残っていなかった。彼の寄り込んでいたHMVはなくなっていたし、彼が同級生や小山慶一郎を含む仕事仲間と足繁く通った恋文食堂の跡地は洋服屋になっていた。そびえ立つ洋服屋を眺めながら「できることならスティードで」を読み、「おでかけ子ザメ」という漫画の子ザメの人形のガチャガチャを回した。

スマホで調べて、登場した尾崎豊のレリーフが今も残っている事を知った。そこに行ってみる事にした。
何処にあるのかわからず、右往左往しながら目指した。その場所はビルの2階の庭の様になっているところにあった。
彼の言う通り、レンガには尾崎豊へのメッセージや彼の楽曲の歌詞などがビッシリと書き込まれていて圧倒された。その光景に何だか恐ろしさすら感じさせられた。
暫くメッセージを読んだ後、私はその場を後にした。
来て良かったな、と思った。

人が多くて騒がしくて、よそよそしい街。
それでも彼の生きていた街は、何だかそれまでより少しだけ温かい気がした。

何気なくマップに「恋文食堂」と打ち込んでみたら、渋谷の居酒屋が3件表示された。どれも恋文食堂のあった場所とは見当違いの場所にあった。
彼の慣れ親しんだ渋谷がまた一つ遠かったのだと思った。

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