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飛べない鳥

数ヶ月前に、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」という映画を観に行った。

全てにイライラしている高校生(原作小説では中学生)の百合(演じているのはまいんちゃんとしても知られている福原遥である)は、ある日母親と衝突、家出して防空壕跡に逃げ込み、そのまま1945年6月の日本にタイムスリップしてしまう。
百合はそこで出会った彰(水上恒司が演じている)という青年に恋をするが、彼は特攻隊員で…
…とまあ、そんな話だ。
公開直後はTwitter上で批判的な評価も散見されたが、出演者や監督が日本アカデミー賞にノミネートされるなどそれなりに高い評価を得た様だ。
戦争をテーマにした作品は多い。そして、登場人物が戦死する作品も多い。NEWSのメンバーで小説家でもある加藤シゲアキの最新作「なれのはて」では終戦前夜に秋田で発生した土崎空襲がテーマの1つになっていてある主要人物の恋人が空襲で命を落とすし、NHKの朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で、上白石萌音演じる安子は最愛の人である稔を戦争が原因で喪う。別の朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」では杏演じるめ以子は戦争で最愛の息子を喪っている。
戦争に限らず、死が描かれる作品は多い。
「アシガール」という漫画ではヒロインの唯が偶然戦国時代にタイムスリップし、偶然出会った「若君」に恋をして彼を死の運命から守る為に奮闘するし、「葬送のフリーレン」という漫画では主人公のフリーレンの旅はかつての旅の仲間だった勇者ヒンメルの死をきっかけに始まる。新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」では、東日本大震災で母を喪い
「死ぬのは怖くない」
「生きるか死ぬかはただの運」
という死生観を持つヒロインの鈴芽が、地震を防ぐ「要石」となって死者の世界に行ってしまった草太を救おうと奔走する。
そしてその際に彼女は
「草太さんの居ない世界が私は怖いです!」
と口にする。
これら全ての作品の根底にあるのは「大切な人の死」だと思う。

私は死とは遠い場所で生きてきたと思う。祖父を2度送ったし、幼稚園の先生や中学校の先生の死に相対した事はあるけれど、それだけだ。
私は、大切な人を喪った経験が少ない。
大切な筈の祖父を喪った時私は泣けなかった。父方の祖父は、彼が不在だという感覚がストンと腑に落ちた時に涙が出たけれど、母方の祖父は長い事入院していた事もあってか、今も不在の感覚がわからないし涙も出ないままだ。大切だった筈の「家族」は、知らない間に「他人」になっていた。
それに、ありがたい事に死の危険と常に隣り合わせという事もない。
私は大切な人が死ぬとどうなるのかあまりピンときていないし、自分の死が人にどの様な影響を及ぼすのかもあまりピンときていない。大切な人の為に行動できるモチベーションがあまりよくわからないし、大切な人が目の前で事故に巻き込まれそうになった時などに咄嗟に助けられるかわからない。
何処かの誰かが歌った様に私にとって命の価値は限りなく軽くて、そんな私はきっと神様にも、命にだって嫌われている。

「死にたい」と思う。
私は二十数年の人生でそれは沢山の人に迷惑をかけてきた。その度に
「私など生きていない方が良いのではないか」
「私が死んでも悲しむ人など居ないのではないか」
と思う。
それに、このまま生きていたとて希望などない様な気がしてしまう。
すぐに
「死のうかな」
と考えてしまう。
そんなのは私が現状を変えようと努力しないからだ。そんな事を考えてしまうのは私が狡くて弱いからだ。本当はそうわかっている。恐らく私は自分に死の危険が迫ったら
「死にたくない」
と思うのだろう。そんな気がしている。

私が死のうとした時に止めてくれた人が居る。
両親(特に母親)もそうだし友達もそうだ。特に母親には何度も泣きながら止められた。友人の弟を自死で喪った母親は自殺に対して人一倍思うところがあるらしかった。
私が死ぬ計画を立てていた時にTwitterのフォロワーさんがDMをくれた事がある。
彼女は私の事を非常に心配し、私に感情移入すると言っていて、恐らくフォロワーの人が殆ど知らないであろう彼女がかつて死にたいと思っていた頃の話を教えてくれた。

anewhiteというバンドのボーカルを務めている佐藤佑樹さんの「ショートホープ」という記事を読ませて頂いた。

これは彼が、彼の原点となった赤い公園というバンドと出会い、そして別れるまでが書かれた記事だ。
彼はある時赤い公園のリーダーでギターを担当していた津野米咲さんの死とバンドの解散に直面する。彼は赤い公園のラストライブを見た感想を綴り、
「でも寂しいな、やっぱり。」
という言葉で記事を締めくくっている。
私はこの記事を読みながら、ヨルシカの2ndフルアルバム「エルマ」の特設サイトの一番下に書いてあった
「この作品を、2019年4月に亡くなった一人のミュージシャンに捧げます。」
という文章を思い出していた。ボカロPでありヒトリエというバンドのリーダーでボーカルを務めていたwowakaというミュージシャンが2019年4月5日に急性心不全で亡くなっていた。
これは私の勝手な想像なのだけれども、恐らく彼の寂しさはずっと彼の心の中にあるのだろう。死ぬまで、もしかすると、死んでもずっと。
この記事の最後に
「続きを演じて見ようと思います。」
という文章があって、その文章があまりにも聞き覚えがあったから、私は愕然としてしまった。
もう居ない人に向けたカーテンコール。
ほっくん(SixTONESのメンバーである松村北斗の愛称)に「curtain call」がラブソングだと気づいて貰えた佐藤さんがどうしてnoteにそれを書き残すほど嬉しかったのか少しわかった様な気がした。推しである松村北斗が自分の歌を聞いて意図を理解してくれた嬉しさ以上の何かがきっと彼の心に生まれたのだろう。彼の思いの欠片に触れた瞬間、複雑なからくりが動く様に「curtain call」の歌詞が全て繋がってしまって、全てがストンと腑に落ちてしまった。
今まで何も知らずに「curtain call」を聞き続けてしまった自分が恥ずかしくて、申し訳なかった。

それでもきっと、人は生きていくしかないのだ。空っぽになってしまった椅子を抱えたまま。誰も座らない椅子から伝わる冷たさに触れたまま。

anewhiteに関するツイートをすると、時々佐藤さんがいいねをくれる事がある。
彼から通知が届く度に、嬉しい様な恥ずかしい様な、そしてそれが期待通りの様な、不思議な気持ちになる。彼の視線を薄っすら感じながらツイートをするのは変な気分だ。
ある時、アルバム「2000's」が発売された時のanewhiteのインタビュー記事で彼が
「生きることをやめてほしくないんですよね。」
と言っていた事に救われたという旨を軽い気持ちでツイートしたら、佐藤さんにそのツイートをリツイートされた。

佐藤さんにツイートにいいねを貰う事は時折あったけれど、リツイートされるのは初めてだったので私は嬉しく思いながらも動揺した。ブックマークまでされていて、恐らく彼がブックマークしたのだろうなとも推察できてしまって。
このツイートの何が良かったのか私自身はさっぱりわからないのだけれども、彼がこのツイートを見て何か思うところがあったらしいという事だけは確かだった。
彼がどういうつもりで私のツイートにいいねをしているのかはわからない。知りたいとも思わない。既読感覚でいいねボタンを押しているのかもしれないし、共感した時や本当に「いいね」と思った時に押しているのかもしれない。私だっていいねの基準は曖昧で、時と場合による。

今はインディーズバンドかもしれないけれど、彼は芸能人で、私はただanewhiteの歌が好きなだけでファンを自称して良いのかすら怪しくて、多分本当はツイートにいいねを貰う事自体が光栄な事だ。
私がanewhiteに関してツイートして、佐藤さんがそれにいいねをする。SNSというツールを介したあまりにも薄い繋がりだけれども、それでも私と彼は直接繋がり合ってしまった。
不謹慎な例え話だけれども、もし私がうっかり心が折れてしまってどっかで自殺してしまったとしよう。きっとそうなっても佐藤さんは気づかないだろう。それで良いしそれが良い。それが普通で、そうあるべきだ。でも何かが間違って彼がそれを知ったら、もしかすると悲しむかもしれない。それも、私が想像している以上に悲しくなってしまうかもしれない。少なくとも嬉しくなる事はないだろう。

教授が私がADHDだという事を先輩に話したのかわからないけれど、先輩が異様に私に優しい気がする。
沢山助けて貰えるのはありがたいし、感謝もしているけれど、どうしても対等に立てていない気がしてしまうし申し訳ない気持ちになってしまう。
そんなある日、些細な事で母親に叱られる事があった。
そうなったら急に色々な人に対して申し訳ない気持ちになり、
「やはり私はこの世に居ない方が良かったのではないか、私など居ない方が皆楽だったのではないか」
という気がしてきた。
私は死ぬ事にした。早く死にたかったし、私と関わった全ての人の記憶から跡形もなく消えたかった。
私が死んだら誰が葬儀に来て、誰が泣いてくれるのだろうと考えた。
家族、友達、教授に助教、同期の男の子達、先輩方、そして私の好きな人。皆泣いてくれるだろうか。きっと私の事なんてすぐに忘れてしまうのだろうな。そんな事を考えたら涙がボロボロ出た。
そんな時、不意に佐藤さんの事を思い出した。憧れていた津野さんを喪い、心が不安定になってしまった佐藤さん。きっと沢山泣いただろう。もしかすると、私が死ぬ事で誰かが佐藤さんみたく泣いてしまうかもしれない。そう思ったら死ぬ事などできなかった。
どうせ死ぬ事なんてできないだろうと思いながら、海を見に行く事にした。
沢山歩いた。行った事のない場所に行き、渡った事のない橋を渡り、歩いた事のない道を歩いた。
「明日も先輩と打ち合わせだもんな、学校行きたくないな」
と思った。
キタニタツヤの「私が明日死ぬなら」を聞きながら歩いた。海沿いの工場街はたまに通り過ぎるトラック以外動くものはなくて、街灯以外に明るいものもなくて、段々怖くなってきた。
私は大人しく家に帰る事にした。
家に帰る途中で、私を探し回っていたらしい母親にバッタリ会った。
母親は私の腕を引っ掴んで家に着くまで離さなかった。
家に帰ったら冷めきった夕飯が待っていて、母親がとても心配していたと言っていた父親はテレビを見ながら笑っていた。
「心配していたなんて嘘だったんだ」
と思った。流石に歩き過ぎたのか、足が痺れていた。

不謹慎な話だけれども、推しが地震で死ぬ夢を見た事がある。
外へ飛び出していく彼を私は止められなかった。
物凄く怖くて誰にも話せなかったし、あまりにもショックで未だに忘れられない。
私が死んでも悲しむ人はそこまで多くない。それは間違いない。
私が死んでも変わらず世界は回り続ける。それで良いしそれが良い。私が死んで世界が止まってしまったら困る。そうなったら多分凄く申し訳ないしめっちゃ気まずい。
でも多分、私が死んだら物凄く悲しむ人が確実に居る。それも間違いない。
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」に「恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」という歌詞がある(恐らく作詞した御徒町凧氏が死を敢えて軽く描写しようと試みた歌詞だろうと推察する)けれど、実際はそうはいかない。
私が死ぬ事で翼をもがれて飛べなくなるほどの悲しみに襲われる人が出るかもしれない。
だから私は、そう易々と死ぬ事ができない。
そしてきっとそれで良いしそれが良い。


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