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デタラメな軌道

個人の感想に基づいての記事です。普通に8割くらい愚痴なので嫌な人はブラウザバックしてください。


大好きな人が居た。
ひまわりみたいな人だった。
私はたまたまその人に出会って、その人の事を好きになった。沢山の時間をその人達と過ごした。
そして色々あって、その人が嫌いになった。
でも、好きな人との縁というやつはそう簡単には切れてくれないものらしい。

私が髙橋海人というアイドルに出会ったのはもう随分前の話だ。
私は当時会社に出勤する途中の父親に通学で利用する最寄りの駅まで車に乗せて貰っていた。ついているのはいつだって日テレで、その時間はいつも「ZIP!」が放送されていた。
私は当時ジャニーズ事務所という名前だった事務所に所属しているタレントの事が大嫌いだった。ただイケメンというだけでチヤホヤされているすかしたいけ好かない奴ら。私が「ジャニーズ」と呼ばれる人種の人間に対して抱く印象は一様にそれだった。そもそも芸能人と呼ばれる人種に対しても興味がなかった。もう6年前の話だ。
だから、「ZIP!」で当時King & Princeというグループがコーナーを持っていたのも、事務所の力で贔屓されているからだと思っていた。変わった名前の人が沢山居るのだなと思った。

いつからか、土曜日の13時半から放送されている「King & Princeる。」(現「キントレ」)という番組を見る様になった。特に誰が好きというのはなく、どのメンバーも一様に好きといった感じだった。料理のコーナーが特に好きだった。

2021年の秋、私はうっかりジャニーズ事務所に所属するアイドルグループSixTONESにハマって、そして翌年の夏にはNEWSにまでハマってしまった。私はSixTONESのコーナー読みたさにアイドル雑誌を読む様になった。私はSixTONESのメンバーの1人である森本慎太郎の事が大好きで、彼は当時King & Princeに所属しており現在はTOBEという事務所のNumber_iというグループに所属している平野紫耀と親友で、神宮寺勇太、岸優太とも親しかった。彼に限らずSixTONESのメンバーは皆King & Princeのメンバーとそれなりに親しかった。SixTONESのコーナーを読むついでに私はKing & Princeのコーナーも読む様になった。雑誌でメンバーは一度も喧嘩をした事がないと言っていた。SixTONESより仲が良さそうな彼らが羨ましかった。

ある日、King & Princeのメンバーである平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人がグループを脱退し、ジャニーズ事務所を退所するという報道が出た。同時に永瀬廉、髙橋海人の2名はグループに残留する事が発表された。事実上の分裂だった。King & Princeはその日テレビ朝日で放送されていた「ミュージックステーション」でパフォーマンスを披露したばかりだった。その頃SixTONESとKing & Princeのメンバーが同じ音楽番組に出演した際に一緒に写真を撮ってお互いの公式Twitterに「#ストプリ」のハッシュタグをつけてアップするのが流行っていた。私はその日も11人でじゃれ合っている写真がアップされるのを呑気に待っていた。その日の写真が一生ファンの目に触れる事がないのも知らないまま。

それからの半年間の彼らの事を私はあまり覚えていない。
SNSは荒れに荒れ、どんどん大仰になっていく卒業式ムードは私を落ち込ませた。

渋谷に掲示されていた5人の名義で発売された最後のアルバム「Mr.5」の広告。多くの人が並んで写真を撮ろうとしていた事、母親に頼まれて列に並んだ事、駅前の広告はすぐ撤去されてしまった事ををよく覚えている


慎太郎は何も言わなかった。彼は沈黙を貫く事で親友達に報いようとしていたのかもしれない。脱退していく3人のファンの期待の視線だけが彼に重くのしかかっていた。ファンは暴走し、SixTONESや慎太郎を罵った。それは私をうんざりさせるには十分だったし、同じ様に思ったスト担(SixTONESのファンの名称)は他にも居たのではないかと思う。きっと良識的なファンも沢山居たのだろう。でもそんなものは私の目には映らなかった。いつだって私を含む余計な事を言うファンほど声が大きいものだからだ。
私はKing & Princeから距離を置いた。
私は「TraceTrace」というKing & Princeの曲が好きだった。King & Princeのメンバーである永瀬廉が主演を務めたドラマ「新・信長公記~クラスメイトは戦国武将~」の主題歌だった曲で、「未来に何を残せるか悩みながら、現在(いま)を積み重ねて僕らの歴史を刻んでいこうというメッセージを込めたミディアムポップな楽曲」(公式サイトより抜粋)であるこの曲は、恐らく永瀬演じる主人公の織田信長(のクローン)の心情に沿っていたであろう曲で当時の状況とは無関係だったのだろうが、こういう状況になってから聞いてみると今の状況を暗示している様にも思えてぞっとしなかった。
メンバーの脱退報道直後、永瀬がパーソナリティーを務めるラジオ番組「King & Prince永瀬廉のRadio GARDEN」(通称庭ラジ)で彼が事情を説明する事になり、その回は聞いた方が良いと思って聞く事にした。そこで彼が何を言っていたか今となっては何も思い出せないが、あまり人前で泣かない彼が泣いていた事だけは今でもよく覚えている。

正直に言うと、私の中で髙橋海人というアイドルの印象はあまり強いものではなかった。
やはりKing & Princeの中で目立つのは平野紫耀と永瀬廉で、他の4人或いは3人の印象は薄かった。
「キンプリにまっすー(NEWSのメンバーである増田貴久)に憧れている後輩が居る」
という話を聞いたのはいつの事だったか。
増田貴久というアイドルは今でこそNEWSのセンターに収まっているけれども、元々は随分と端の方に居たアイドルだ。
正直に言うと顔立ちも万人ウケするタイプではないだろうし(残念ながら彼がテレビでイケメンと呼ばれている場面に遭遇した事がない。自虐で笑いを取ろうとするきらいのある本人は最早全力でネタにしている)、同じくNEWSのメンバーであるシゲこと加藤シゲアキの様に小説を書くでもなければ慶ちゃんこと小山慶一郎の様にキャスターを務めた訳でもない。歌とダンスの実力は目を見張るものがあるしバラエティにもよく出ていたけれど、かの事務所の所属タレントの中ではあまり露出の多い方ではなかったのだ。ほんの数年前までは。
ただ、彼はアイドルになる為に生まれてきた様な人間だった。手を振るなどのファンサに命を賭ける訳ではないけれど、ファンにはなるべく目を合わせ、パフォーマンスでは絶対手を抜かず、確固たる信念の中で生きている男だった。私はそんな彼の事を尊敬している。
しかしながらそんな彼に明確な憧れを示していたのはSexy Zone(現timelesz)のメンバーである聡ちゃんこと松島聡だけだった。その筈だった。
だが、もう1人居たのだ。
とある番組で憧れのまっすーと歌唱した後感極まって号泣したというその青年は私の興味を引いた。
髙橋海人というその青年の事を私は何とはなしに気にかける様になった。
そのエキゾチックな顔立ちは彼の憧れた先輩にはあまり似ていなかったけれど、センターで目立っている様なタイプではないところや見た人を和ませるその陽だまりの様な明るい笑顔は、同じ人に憧れた聡ちゃんや彼らの憧れたまっすーによく似ていた。メンバーカラーのひまわりイエローがよく似合う人だと思った。

5月23日、2人体制になった新生King & PrinceがYouTubeで生配信を行う事になった。
私がその配信を見ようと思ったのはただの興味本位だった。私は母親と一緒に配信が始まるのを待っていた。
2人はそこで様々な発表を行った。新しいシングルの発売、新番組の放送、対面のファンミーティングイベント、新しいロゴの発表など。彼らはどちらも決して明るく騒ぐタイプではなかったけれど、彼らの生み出す空気感は何処か穏やかでふわふわしていて、肝心の2人は呑気にケーキを食べながら笑ったりしていた。2人は気丈に振る舞っている様に見えた。しかしながらそんな2人からは悲壮さは一切感じられなかった。それが彼らからティアラ(King & Princeのファンの名称)への最大限の気遣いで、優しさだった。
翌日の庭ラジを聞いた。恐らくそうではないメッセージも沢山届いてはいたのだろうけれど、番組には彼らを応援する温かいメッセージが沢山届いていた。
「それはさあ、違うじゃん」
と言って永瀬は泣いた。その言葉を言うべきは自分達の方なのだと言って彼は泣いていた。次に彼の震えた声を聞くのは嬉しい出来事の後であって欲しいと思った。
2人は多くのものを失った。誹謗中傷だって殺到していたと思う。なのに、何故かこの2人についていったら楽しい事が起こりそうな予感がした。ただそれだけだった。

渋谷に掲示されていた2人の名義の最初のシングル「なにもの」の広告。双子の様な2人はいつも楽しそうに笑っている

結果的に言うとこの予感は当たっていた。残されたティアラ達は勿論、レーベルや事務所のスタッフ、事務所の先輩タレントやそのファン、様々な人達が彼らを全力で後押しした。当時髙橋海人がオードリーの若林正恭を演じ、南海キャンディーズの山里亮太を演じた森本慎太郎と共に主演を務めていたドラマ「だが、情熱はある」の主題歌だった「なにもの」はタイトルやタイアップ先のドラマの内容の重さに反して明るくポップな曲で、MVでも永瀬、髙橋両者が陽の当たる道を軽やかに歩くという明るいものだった。収録されているカップリング曲も様々な曲調で、明るい曲調のものばかりが収録されていた。そこには「残された者達の悲壮感」などは一つもなかった。「なにもの」や「名もなきエキストラ」を聞いているとビー玉を見ている時の様に心がピカピカした。
Dear Tiara盤というファンクラブ会員限定のCDには「話をしようよ」という楽曲が収録されていた。元々楽曲のプロデュースや共作詞などを行っていた髙橋が初めて1人で作詞を担当したとの事で、私は一足先にファンクラブ会員になっていた母親に頼んでそのCDを注文して貰う事にした。これもまた興味本位だった。私はいつだって興味という名前の野次馬根性で動いている。
「話をしようよ」を初めて聞いた時、「『私なんか見えてないでしょ』ってきみは言うけど なわけないじゃん 全部きみのためで僕らのため」という歌詞があった事に驚いた。
私はKing & Princeのライブに行った事がない。それどころか当時の私はジャニーズのライブすら1回も行った事がなかった。大晦日にフジテレビでやっている、所謂カウコンと呼ばれる年越し番組は見ていたけれど、当たり前だがステージの上のアイドルから視聴者の姿は見えない。だから彼は私の事は知らない。当たり前の事だ。
それなのに、彼は私の事を知っていたのだ。
「ああ、この人には私の事が見えてるんだ、見えてないけど見えるんだ」
勘違いも甚だしいけれど、私にはそれが「わかった」のだ。
SixTONESやNEWSのファンをやっていて、私は彼らを大好きで応援する人の多さに今でも新鮮に驚いてしまう。彼らの事が好きな「ファン」が何万人どころか何十万人単位で居る。凄い事だ。親衛隊が居た「SLAM DUNK」の流川楓どころの騒ぎではない。私はそんな彼らを誇りに思うし、勿論認知(アイドル本人に自分の存在を知って貰う事)されたいとかそんな事も思わない。勝手に好きで居て、勝手に応援しているだけだ。
でも、いつも思う。私1人くらい居なくても、彼らは痛くも痒くもない。彼らは「私」の存在も知らないし、手を振られようがすぐに忘れる。
「一番後ろまで見えてるよー!」
は彼らのつく優しい嘘だ。
それを責めるつもりもないし、そんな事すら思わない。彼らの振りまく「愛」は、本物だけれど本物ではない。そんな醒めた思いがいつでも頭の隅にある。
でも、髙橋海人という奴の目はちゃんと見えていたのだ。別に居ても居なくても構わない、存在すら知らない「私」の事が(そしてこれは恐らく永瀬廉もそうだ)。
今ならわかる。ディズニーランドのパレードでミッキーがある方向を見ただけで
「ミッキーと目が合った!」
と言う人が何人も出る。あれと同じなのだ。「私達」を「見ている」様に見せるのが上手いだけで、彼らの目には何も見えていやしないのだ。
でも、別に長く追いかけている訳でもなければ興味本位でCDを買っただけの私にも彼らは笑って手を差し出してくれたから。だから、勝手に彼らに必要とされている様に思ってしまった。彼らの差し出してくれた手が救いだった。そう勘違いしてしまった。
暫く私は彼らの魅力に抗っていたけれど、比較的すぐに陥落した。

髙橋海人という奴はメンバーカラーはひまわりイエローだったけれど、実際のところひまわりイエローというキャラではなかった。
まず彼はかなりネガティブだった。彼は自分に自信がなく、いつも過剰に自分を卑下していた。彼は寂しがり屋で独占欲が強く、海人担(髙橋海人のファンの事)が他のアイドルに目移りしようものならすぐ拗ねた。おまけに彼は人見知りで恥ずかしがり屋で、口下手で不器用で泣き虫だった。彼はまあ、所謂「陰キャ」というやつなのだった。彼のセンスは独特で、いつも独自のルールの中で動く不思議なミニゲームを考えたり、見た事もない様な漢字を作ったりしていた。
例えばこれは最近の話なのだけれども、ある日彼は家の近くで青と紫のまだら模様の不思議な卵を拾った。彼はInstagramのストーリーで募ったファンのアドバイスに従って(まさかの蝋燭で)その卵を温め、色々と世話などをし、結果緑色っぽいもさもさした生き物が孵った。セロリをよく食べとんでもないスピードで走るというその不思議な生き物は「セロル」と名付けられた。その生き物は最近もKing & Princeのイベントに遊びに来たりなどしていた様だった。
どういう訳で彼がその過程をInstagramに投稿していたのかはよくわからない。気紛れだったのかもしれないし単にファンを遊びに付き合わせてあげようと思っただけなのかもしれない。
私はその不思議な生き物は彼のイマジナリーフレンドで、彼はそれを絵に描いていただけなのだと結論付けた。
彼は自分が所謂マジョリティの側の人間ではない事をよくわかっていて、上手く馴染めない事を思い悩んでいるところがあった。彼がいつだか困った様に笑いながら言っていた
「人間に馴染めない」
という言葉は私の中に強烈な違和感と切なさをもってひっかき傷を残していった。私もなかなか集団に馴染めないところがあるので、その言葉を思い出す度に少し胸が苦しくなった。今はどうだか知らないけれど、自分の声を「変な声」だと悩んでいた事もあったらしかった。
けれど、彼は優しかった。彼は人を傷つける事を嫌った。だからこそ、人を傷つける事を恐れて自分の思っている事が上手く言葉にできなかった。口が悪くてほんの少し腹黒いところがない事もないけれど、おっとりしていてマイペースな彼は人を和ませる天才だった。彼は色々な事ができた。歌や絵が上手で料理も演技も上手かった。彼のダンススキルは目を見張るものだった。私は彼のダイナミックなダンスが大好きだった。でも、才能があるだけでは厳しい芸能界で生き残る事などできない。才能に溢れた彼は自分に自信がない故にいつも努力を怠らなかった。憧れていると公言するまっすーやケンティー(Sexy Zoneに所属していた中島健人)を追いかける姿はさしずめ太陽を追うひまわりによく似ていた。
そして彼は3ヶ月早く生まれただけの永瀬廉の事を愛していた。
永瀬廉というアイドルは、なかなか難しい奴だ。いかんせん何処かの雑誌が年に2回投票を募っている国宝級イケメンランキングに殿堂入りしてしまう様な、所謂「イケメン」である。少し色黒で整い過ぎたその顔面は彼に「クール」、更には「冷淡」なイメージを与える。
彼は人に馴染まない。別に孤立している訳ではないし、寧ろ友達は多い方だと私は認識している。口を開けばこぼれてくるのは長く過ごしていたらしい大阪由来の柔らかい関西弁。人見知りのきらいはあるけれど性格も明るい。幼少期に家庭の都合で引っ越しが多く様々な場所を転々とした彼は、それでも長く暮らした大阪で作った沢山の友人達と今でも交友があるらしかった。まあ簡単に言うと所謂「陽キャ」なのである。しかし彼は1人で居る事を苦にしない。メンバー同士で話している中でも1人でドラマの台本を読んでいたりスマートフォンを眺めていたりする。彼は1人で過ごす事が苦ではないのだろう。それどころか1人の時間を定期的に作らないと何となく窮屈に感じてしまうタイプなのかもしれない。しかしながら彼のそういった行動の数々はどうにも「すかしていて」「やる気がない」様に見えてしまうらしい。ラジオを聞いていればそんなやる気がない人間でない事はわかる。私の勘違いかもしれないけれども。彼は少々変わり者ではあるが真面目で謙虚で努力家の気立ての良い好青年なのだけれども、口が悪いところがあるのも手伝ってどうもそれは伝わりきってはいない様なのだ。
そういう訳で彼はいつも謗りを受けたりする事が多い。髙橋海人という奴はそんな彼の事を心配して、自分と引っかけて彼に文句を言う意見が出る度にその意見を遠回しに否定して彼を守ろうとしている様に見えた。
彼らは互いを思い合っていて、私はそんな2人を信じた。

ふにゃりと音のしそうな柔らかい笑顔が好きだった。少しクセのある柔らかい声が好きだった。憧れを追いかける真っ直ぐさが好きだった。笑いを取ろうとして全力でスベってしまうのに、自分が普通だと思っている事が人から面白がられてしまう不器用さが愛しかった。ペットのベタと本気でコミュニケーションを取ろうとしているところが好きだった。「アイドル」という仕事を楽しんでいるところが好きだった。ファンの気持ちを色々考えているところが好きだった。本当は怖がりで自分に自信が持てなくて、それでも努力を重ねて笑ってファンの前に立ってくれる姿が好きだった。確固たる信念をもって「アイドル」を全うしている姿が好きだった。
私はアイドルが大好きだしアイドルを尊敬しているけれど、アイドルもファンも碌なものじゃないといつでも思っているから、
「来世だってアイドルをやりたい」
と笑う彼は私の救いだった。「アイドルを応援する」という行為自体にいつでも負い目のある私は、せめて彼ら彼女らが「アイドルであるからこそ得られる旨味」が「アイドル"なんか"をやっていたから失わなければならなかったもの」を上回っていて欲しいと常に願っている。言い方はだいぶ悪いけれども。
髙橋海人というアイドルはそれを上手く受け取れている様に見えた。そんな彼の姿は私の中の罪悪感を少し軽くしてくれる様に思えた。
今となっては私は彼を純粋な気持ちで応援できていたのか全く自信がない。もしかすると彼を応援したかったのではなくて救いを求めて彼を見ていたのかもしれない。でも、純粋に「好きだ」という気持ちもあったのだと思いたい。思い込みたいという方が正しいのかもしれない。

それから半年間はずっと楽しかった様に思う。ファンクラブのコンテンツは充実していて、彼らはいつも不思議な空気感の中でじゃれ合っていた。最終回を迎えた前番組と同じ枠で新しい番組も始まった。
ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害疑惑問題が少しずつ大事になり、どのグループも渦中に飲み込まれていく中でも2人は平和そのものだった。彼らは優しくて楽しいものだけを届けようとしていた。
ある日、永瀬が髙橋とKing & Princeを脱退した後も自身の主演映画の公開予定の都合で事務所の退所が見送られていた岸優太をラジオに呼び込んだ事があった。
喜ぶ人も居れば、嫌悪感を示す人も居た。私は何となく後者だったのだけれども。
彼らは特に気まずさもなく和やかに賑やかに会話していた様に聞こえた。かつて5人で賑やかに騒いでいたKing & Princeの欠片がそこで光っていた。
番組が終わる時、かつてリーダーを務めていた岸は2人に
「応援している」
と言い残して去っていった。
永瀬が何を思ってそんな行動に出たのかはわからない。ファンに安心して欲しかったのか、不仲の噂を否定したかったのか、それとも単純に自身の冠ラジオという場を利用して話したかっただけなのか。
でも恐らく、誰かしらを思った行動なのだろうとは思った。実際、私の岸優太という奴への印象はほんの少し柔らかいものになっていた。

髙橋海人に熱愛報道が出たのは、半年ほど前の事だったと思う。相手は年上の有名女優。幸か不幸か慎太郎もまっすーもそんなものとは無縁であったし、小山慶一郎の熱愛報道も見た当初はギョッとしたものの興味もなく存在すらすぐに忘れてしまった。推しの熱愛報道に「自分事」として触れるのは初めての事だった。最初はそんなに気にしていなかったし、寧ろ喜んでいた。時間が経つにつれてその報道は私の心にボディーブローの様にダメージを与えた。メンバーの脱退報道でファンもメンバーも憔悴しきっていた時期にも彼女のマンションでまぐわっていたという報道は私より先にKing & Princeに興味を持っており、しょうれん(平野紫耀と永瀬廉のコンビの名称)が大好きだった故に当時憔悴していたティアラの1人であった母親を酷く幻滅させた。その報道が事実かどうかは関係なかった。
私は別の事を考えていた。
「だが、情熱はある」の時の彼と慎太郎の扱いの差みたいなものを私は薄っすら察していた。毎回いつも視聴していた山里さんはセリフ量を数えるなど持ち前の嫉妬深さで笑わせたりしていたけれど、プロモーションに出演する頻度の差から登場シーンの頻度の差まで、その扱いの差は現れている様に思われた。鈍感な私ですら察するくらいだったのだ、実際は相当なものだったのかもしれない。
慎太郎は髙橋海人とも親しかった。平野紫耀、神宮寺勇太、髙橋海人、森本慎太郎(そしてそこに時折岸優太も顔を揃えた)がよく出歩きよく遊ぶ「いつメン」だった。この記事を読んで
「実際は違う!」
と思う人が大量発生する事が予想されるが、少なくとも当時の事を詳しく知らない私はそういう認識でいる。
入所順からすると彼らの先輩にあたる慎太郎はKing & Princeがデビューする事になった事も先にデビューする気まずさから教えては貰えていなかったのだが、彼はどちらかというと友人の活躍に嫉妬するというよりは
「紫耀おめでとう!」
であったり
「海人すげー!」
みたいに素直に祝福したり感嘆する人物だ。だからこれは特に深い意味はなかったのかもしれない。けれど、ある時彼が
「あれは俺のドラマじゃなくて海人のドラマだ」
とこぼした事があった。彼らはW主演だったにも関わらず、である。慎太郎はその頃自分とは真逆の性格の山里さんを演じるにあたって肉体的にも精神的にもかなり疲弊していた様だった。彼が時折出演するラジオ番組「SixTONESのオールナイトニッポン サタデースペシャル」でも彼は役作りに苦労している旨をこぼし、メンバーの田中樹を心配させていた。基本的には受けた仕事の全てを楽しむスタンスの彼が消耗する姿を見せるのはなかなかない事だった。普段は陽気で飄々としている姿を見せている事が多い彼は、自分の性格と近いところがあるものの実在する人物である若林さんをプレッシャーと戦いながら演じ、並行して新生King & Princeとして動き出す為に忙しく走り回っていたであろう髙橋とはまた異なるしんどさを抱えていた様に思えた。
勿論そんな彼の姿や言葉を叩き棒にするつもりはない。彼の悲しみも辛さも達成感も嫉妬も、全て彼だけのものだ。きっとファンの前ではあれでもおどけて見せていた方できっとどうしたって言えない思いだってあって、そういう思いは眠りながら見た夢と一緒に記憶の果てに追いやってしまったのか、或いは墓場まで持っていくのか、それすら私が知る事はない訳だけれども。
それでも、私はそんな彼の姿を見ていたのだ。テレビ情報誌「ザテレビジョン」が毎クールごとに募集する「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」の主演男優賞に髙橋海人を選んだ審査員達が、ここには書けない様な酷く残酷な言葉で慎太郎を罵倒するのを見た。
「ドラマを見ていない」
と嘯く審査員すら居た。そんな審査員達に何故髙橋海人こそが主演男優賞に相応しく森本慎太郎は全くもってそうではないと叫べる権利があるのか。彼の努力は報われなかった。報われなかったどころか最後の最後に踏み躙られたのだ。私以上に彼の事を何も知らない人達によって。報われるとか踏み躙られたとかそんな事を決めるのはその審査員達でも私でもなく慎太郎自身である事を私は失念していた。
だからこそしんどかった。
どうしても
「慎太郎が消耗してた時もこいつは女とイチャイチャしてたんだ、女と遊ぶ片手間で演じてただけだったんだ」
と思ってしまって堪らない気持ちになった。
本当はわかっている。こんなものは熱愛報道が出たのが気持ち悪くてそういうところに転嫁しただけだ。熱愛報道の出た人間の歌うラブソングはやけに生々しく聞こえる事を知った。
その時のファンの空気感も本当に最悪だった。髙橋海人のInstagramのコメントには誹謗中傷が殺到した。何気に見たコメントの一番上に
「担当降ります(アイドルの担当、つまりファンをやめる事)」
「れんにだけは迷惑かけちゃ駄目だよ」
というコメントを見てしまった時、私はそっとInstagramを閉じた。
Twitterには
「報道を信じるな」
というコメントから
「早く平和な空気に戻さないと」
というコメントまで様々なコメントが溢れていた。
メンバーの脱退・退所でそれぞれのメンバーのファンが暴走し、言い争い、罵り合った。ティアラの間に流れていた穏やかで平和な空気は恐らくその空気感に胸を痛めた心優しい2人がどうにかして作り出した仮初の平和に過ぎなかった。それまでずっと平和だった場所にさざ波が立ち、波紋が広がり、それは大きな波になって全てを壊していってしまった。少なくとも、あの頃の私にはそう見えていた。
そういう空気感がしんどくて私は界隈から離れた。
彼に対する気持ちは、どう処理すべきなのかわからないまま箱に閉じ込めて鍵をかけた。
暫く経って、彼が恋人と別れたという噂を聞いた。真偽ははっきりしなかった。もしかしたら、それは私を含めた面倒なファンが原因なのかもしれなかった。彼の幸せを壊してしまったのは私達なのかもしれなかった。
その後シゲも慶ちゃんも結婚し、担降りもアンチも大量発生し、特に慶ちゃんのInstagramのコメント欄は閉鎖を余儀なくされるほど大量の誹謗中傷が殺到し、愛してるだけの国の幻は跡形もなくなってしまった。今も何処かで彼らの話でファンが荒れているとかいないとか聞くし、他のグループのファンがNEWSに嫌味を言ってくる事もある。私は悩んだり彼らを憎んだりしながら今もチームNEWS(NEWSのファンの名称)をやっているけれども、詳しい事は知らない。NEWSはこれから少しずつ終わりに向かうし活動範囲も小さくなってしまうかもしれないけれど、私も私のフォローしている人達も相変わらずNEWSが大好きだし、ライブ映像を見れば相変わらず楽しいし、フェスに出れば大量に新規のファンを獲得して帰ってくるし、何となくこの先も大丈夫な気がしている。

彼の事は大好きだった。彼に元気を貰っていたし、彼を応援したいと思っていた。そう思いながらも、私の大好きな人達とは似て非なる「王道アイドル」の道を歩んでいる様に見える彼に私は嫉妬した。まるで慎太郎に見せつけている様にすら見える彼の姿は鼻について気分が悪かった。もしかしたら「いつメン」の4人が心の中で慎太郎を見下し、嗤っているのではないかとすら思った。こんな事を思うのが海人担として間違っている事も、こんな事を考えている私に一番腹を立てるのが他ならぬ慎太郎自身なのもわかっていたから、私は殆ど無意識でこの感情を押さえつけていた。自分が思っている事とほんの少し違う事を言う度に胸がキリキリした。
彼への感情はビー玉越しに眺める様にいつだって何処か屈折していた。ビー玉越しの彼だって十分綺麗だったけれど、ビー玉越しの彼はいつだって上下逆さまで歪んでいた。もしかするといつか破綻する事を運命づけられた感情だったのかもしれない。

そうして半年が過ぎた。
私も研究室に配属されて忙しくなっていたし、SixTONESはこの2年間CDを出しまくったりなどしてバイブスをぶち上げると宣言しているし、

来年の劇場版名探偵コナンに私の大好きなキャラクターが登場する事が判明した事情で俄かにコナン熱が再燃していた事もあり、私はSixTONESやNEWSの情報すらまともに追えていない状態になっていた。ましてやKing & Princeが何をしているのかなど何も知らなかった。打ち上げ花火のイベントをしているらしい事、2人の主演ドラマがある事、それに伴いそれらのドラマの主題歌の両A面シングルが発売されるらしい事だけは風の噂で知っていた。
永瀬が主演を務める「東京タワー」の方はテーマが不倫だというのもあり見るのに勇気が要った。髙橋が主演を務める「95」はいつ放送されているのかすら知らない。どちらも録画はしてあったけれど見てはいなかった。CDも注文はしていたけれど、聞く気にならなかった。
ただ、いつだかに放送されていた音楽番組で披露していた「東京タワー」の主題歌「halfmoon」の寂しげな曲調と永瀬演じる透の心情を丁寧に掬い上げた様な歌詞が私の心を捉えて離さなかった。
私は「halfmoon」を聞く事にした。YouTubeにMVがあった。この事務所の楽曲のMVがフルサイズでYouTubeに載る事など以前ならあり得ない事だった。少しずつ事務所が変わっていっているのをそんなところでも感じた。
「95」の主題歌「moooove!!」の方はそこまで興味が持てなかったので「halfmoon」の方ばかりを聞いていた。私はティアラというより、「halfmoon」が好きなだけのスト担或いはチームNEWSだった。
途中の「デタラメな軌道通って無茶苦茶な弧を描いてた 暴れ出した想い」という歌詞が好きだった。透の抑えられない気持ちが端的に表現された美しい歌詞だと思った。最早ティアラとも名乗れないほどKing & Princeへの興味を失っていた私からしたら誰のパートかなどどうでも良い事だった。「ずっと堕ちていったならどこかに辿り着くんだろう でもあなたに出会いたい」と続く歌詞は、透の哀しい願いの様に思えた。

4月10日に東京ドームで、5月29日と30日に大阪の京セラドームで「WE ARE! Let's get the party STARTO!!」(通称ウィア魂)が開催される事になっていた。
実を言うと私はまだ事務所の新体制に全く馴染めていない。嫌悪感すらあると言っても良い。
このウィア魂自体もそこまで興味が持てなかったのだけれども、配信を見たがった母親がチケットを購入していた。ライブの時間は研究室のコアタイムとばっちり被っていたので、私はアーカイブを見るつもりでいた。
状況が変わったのは29日の昼間の事だった。永瀬廉が体調不良で出演できないという情報が出た。耳の怪我だという情報も暫くしてから知った。
「難聴になってしまったらどうしよう」
というツイートを見た。ライブで見る度にいつも大きな耳当てをつけている剛くん(KinKi Kidsのメンバーである堂本剛)や八乙女くん(Hey!Say!JUMPのメンバーである八乙女光)の姿を思い浮かべた。れんれんがライブの時にいつもあんな耳当てをつけていたら嫌だと思った。剛くんだって八乙女くんだって耳当てをつけたくてつけている訳ではない筈だ。あんなものつけなくて済むならその方が良いに決まっている。私は難聴の事を詳しく知らない。彼らは一生あの耳当てと付き合わなければならないのかもしれない。そんな人は1人でも少なくあって欲しいと思ったし、剛くんや八乙女くんもいつか耳当てなしでステージに立てたら良いと思う。ステージで転んで耳のそばを切ったとか、その程度の怪我であって欲しいと思った。
そんな訳で、ライブには髙橋海人が1人で出演する事になった。私は
「そうなのか」
と思っただけだった。勿論れんれんの事は心配だったけれど、それ以外に何の感想も抱ける筈がなかった。

能登半島地震のチャリティーソング「WE ARE」のパフォーマンスがYouTubeで生配信されるという事になっていたけれど私はその曲にもそこまで興味がなかったので、生配信を見ようと思ったのはただの気紛れで、配信を立ち上げたのも本当に始まる数分前の事だった。
何しろその曲はNEWSの歌うパートが異様に少ないのだ。NEWSはあまり映らないのだろうと私は諦めていた。結局途中でまっすーが
「みんなの声を聞かせて!」
と煽る瞬間があり、私の思った以上にNEWSが映るシーンは多かったのだけれど。
生配信を見終えて暫くして、
「そういえば途中でライオンみたいな髪型の子が1人で歌ってたな」
と不意に思い出した。
「もしかして、あれが海ちゃんだったのかな」
青と白の混ざった様な衣装を着た茶髪の青年の記憶は曖昧で、彼だという確信は持てなかった。ただ、ポツンと1人で立っていたその青年は一生懸命歌を歌っていた様に見えた。
カールのかかった茶髪を肩辺りまで伸ばしていたその青年は私が半年前まで見ていた「海ちゃん」とは随分違っていた。恐らくドラマの役作りの為に髪型を変えているのだろう。でもきっと彼は変わる事なく「アイドル」を全うしていたのだろうというのは容易に想像がついた。そう思ったら何故か不意に
「なんか好きだな」
と思った。
それから様々な事を思った。
彼の出てきた瞬間京セラドームを照らしていた様々な色のペンライトが一斉に黄色になったと聞いて、彼が相変わらず沢山の人に愛されて応援されている事実に安心した。
「信じてたくせにずるいじゃん」「私なんて居なくても痛くも痒くもない癖に」「大好きだったのにな」「ずっと応援してたかったな」
そんな思いが頭の中をぐるぐると回った。
「何で隠し通してくれなかったの」
そんな事も思った。
でも、違う。私は海ちゃんに裏切られた訳ではない。彼は私達に恋人を作らないと約束していた訳ではないし、そんなのは人権侵害だ。彼に好きな人の1人くらい居て良くない訳がないし、別に結婚しても良い。子供を望んでも良い。アイドルを辞めたって良い。沢山のファンが悲しむだろうけれども。でも、彼の人生は彼だけのものだ。交際を隠すも隠さないも彼の自由で、誰かから強制されるものであってはならない。
そんな事はわかっている。裏切られたとも思っていない。なのにどうしてこんなにしんどいのだろう。
暫く考えた。考えて、そしてわかった。
寂しかったのだ。
「居ても居なくても構わない」
と言われてしまった気がしたのだ。それがずっと苦しかったのだ。自覚した瞬間凄い勢いで涙が出た。
正直、私はアイドルは別にファンを好きでなくても良いと思っている。海ちゃんに限らず慎太郎にもまっすーにもれんれんにも、というかアイドル全員に対してそう思っている。
結局のところ、アイドルだってサービス業だ。ただでさえ誹謗中傷に晒されがちな仕事だ。ファンはアイドルを選べるけれど、アイドルはファンを選べない。愛余ってアイドルに迷惑をかけるファンだって居るだろうし、カスタマーハラスメント、所謂「カスハラ」に該当する事案だって起こっている筈だ。傷ついて疲弊する事もあるだろう。そんな事になるくらいならもういっそファンの事なんてATMか何かだと思って割り切って貰って構わないのだ。作った笑顔を振りまいて、手を振って、事務的にファンサをこなして、耳触りの良い言葉だけをファンに囁いて。自分の心を守れるならそれで構わないと思うのだ。勿論あからさまにそんな風に扱われたら悲しいし気分も悪い。今まで届けられた言葉に血が通っていない事がわかったら、きっと私は酷く傷つくだろう。しかしながら今のところ彼らからそういう空気を感じた事は今まで1度もない。それだけサービスが上手いという事だ。現在進行形で心の中でファンを見下していようがATM扱いしていようがそれを感じさせない時点で100点満点の花丸だ。
私は知らない振りが苦手だからきっと上手くはやれないけれど、ファンを楽しませてくれる為の嘘ならいくらだって私は知らない振りをして共犯者になるし、実際のところ自覚的に共犯者になった事はない。いつでも十分幸せにしてくれている、そんな彼らの事が大好きだ。
でも私は、烏滸がましくて自分勝手な私は、彼らの言う
「大好きだよ」
が本当であって欲しかった。
自分のファンに対してはっきりしたメッセージを届けてくれる機会が決して多い訳ではない照れ屋な慎太郎やまっすーの分まで彼らが何を考えているか教えてくれたのはれんれんと海ちゃんだった。
「私の事なんて見えてないんじゃん」「私なんて居ても居なくても一緒じゃん」
アイドルを熱烈に愛しながら同時にそんな僻み根性で凝り固まって何処か醒めていた私に、
「そんな事ないよ」「ちゃんと見えてるよ、ここに居て欲しいよ」
と目を合わせて伝えてくれた彼は、私の特別で大切なおひさまだった。
だからこそ、余計に傷ついた。ファンに許されるべき事など何もないのに、彼の事が許せなかった。
「やっぱり私なんて居なくても良かったんじゃん」
と思った。
本当はわかっていた。多分2人は本気で「アイドル」を全うしようとしてくれていた。ファンの不安や悲しみ、怒りも全て受け止めて、きっと沢山傷ついて、それでも笑顔で居て欲しい、楽しく応援していて欲しいと思ってなるべく寄り添おうとしてくれていた筈で、様々な事を考えてくれていた筈なのだ。それはきっと嘘ではないと思うのだ。
でもあの頃あんなに楽しみにしていた沢山の予定や
「来年も楽しみにしててね!」
と言われていた「来年」をわくわくしながら待てなくなったのも、聞くだけで今も胸がチクチクする曲があるのも、今となっては信じられなくなってしまった人をこれ以上どう推せば良いのかわからなくなってしまったのも事実だった。
でも、嫌いになれなかった。熱愛報道が出るのは2度目で、彼は所謂「女癖の悪い人間」で、報道が出たからといって特に何の弁解も説明もなく、何事もなかったかの様に彼は沈黙を貫いた。それが一番賢明な対応なのは理解していたけれど、余計に不信は募った。勿論言葉によってはますます怒りを煽る事になるだろう事はわかっている。何を言われても良い訳ではないし、きっとあの頃の彼が何を言ったとしても絶対にその言葉に傷つくファンが出た。口下手で不器用で傷つき易くて、人を傷つける事を恐れる彼は、だからこそ沈黙を守ったのだろう。それでもあの頃の私は、何でも良いから彼に何か言って欲しかった。
彼の繰り返す
「愛している」
の言葉はいやに空虚に聞こえた。彼の言う「愛」が俗に言う「恋愛感情」とは異なるものである事を理解しているにも関わらず、である。
「生半可な覚悟で廉と向き合っていない」
という言葉も嘘なのだと思った。自分にスキャンダルが起きる事で相棒が被る被害の大きさをわかっていない彼は、きっと「やる気がない」と謗られる相棒以上にやる気がないのだと思った。
それなのに、そんな彼を私は嫌いになりきれなかったのだ。いっそ嫌いになって切り捨ててしまえればその方が楽だった。
だからこそずっとしんどかった。ファンに都合の良い言葉を囁いて奈落の底に突き落とすなんてともすれば詐欺師の様ですらあった。でも、そんなのは私の身勝手な解釈だった。私は自分で自分を肯定できないから、彼の言葉を利用して承認欲求を満たしていただけだった。きっと私はそのしっぺ返しを食らっただけなのだ。私はそんな自分が嫌いで、でも私には自己嫌悪する資格すら与えられていなかった。先に手を離したのは彼の方だったのかもしれないけれど、それでも手を差し出してくれていた海ちゃんの手を振り払ってしまったのは、勢い余ってれんれんの手まで振り払ってしまったのは間違いなく私自身だった。
どうして良いのかわからなかった。デタラメな軌道を通って無茶苦茶な弧を描いていたのは透ではなくて私の方だった。絡まった糸の様にこんがらがった場所を抜けたら、いつか彼らと笑って再会できるのだろうか。地獄を抜けた先には別の地獄しか待っていないのに、地獄への片道切符を握らされた自分勝手なファンを見ても彼らは笑ってくれるのだろうか。そうであって欲しかった。そう願った私は何処までも独りよがりだった。
考えれば考えるほど涙は止まらなくて、その日は朝方まで眠れなかった。

一晩立っても気分は晴れなかったけれど、向き合う事すらしてこなかった気持ちを言語化できただけ少し前に進めたのだと思う事にした。
情緒がめちゃくちゃな日は、暴食をして良い事にしていた。自分の気持ちがわからなかったから、私はできる限りの不摂生を自分に与えた。あまり体に良い訳ではないものを山の様に食べて、しんどくなり過ぎない範囲でイヤホンの音量を上げて音楽を聞き続けた。
生配信を見ている人達を羨ましく思いながら、私は彼ら彼女らの盛り上がりを眺めていた。
「海人くんだ」「海ちゃん!」
彼を歓迎する沢山のツイートを見て、トレンドに「チャンカパーナ」や「ブラザービート」と一緒に「海ちゃん」という言葉を見つけて私は随分安心した。
相棒の居ないステージを守ろうとした彼を、殆どの人は応援し歓迎していた。少なくともあの場に彼の敵は殆ど居なかった。その事に私は酷く安心した。気持ちの整理ができない中でも私は心の隅で彼の事を心配していたのかもしれなかった。
黄色いペンライトに照らされながら1人で「koi-wazurai」を歌った彼の事を想像してみた。何だかもう少しキンプリの歌が聞けそうな気がした。
帰り道はライブで披露されていたという様々な曲を聞きながら帰ったのだけれども、何だか今なら聞けそうな気がしたので「moooove!!」も聞いてみた。
スケートボードに乗っている彼らを見て、急に
「そういえば2人が指スケ(指でミニチュアのスケートボードを操作する遊び)に一時期ハマってたのは何だったんだろう」
と思った。何だか酷く懐かしくなって、動画を見ているファンを置いてきぼりにしてじゃれ合っている2人の姿が見たいと思った。
家で配信を見ていた母は、
「なんか頑張ってる姿を見てたらね、海ちゃんを許してやろうかなって気になったよ」
と言っていた。母の言葉は酷く尊大だったし、まだ気持ちの整理がついた訳ではない全くない様だった。
奇遇にも私も同じ気持ちだった。でも、少しだけ違った。彼は私に許されるべき事は何もしていなかった。強いて言うなら、多分この半年間は、彼を許せない私が彼を嫌いになれない私を許す為の時間だったし、彼を好きでいたい私が彼を許せない私を許す為の時間だったのかもしれない。
きっと配信を見てわくわくしていたあの頃にはもう戻れないけれど、私はこれから少しだけ普通に彼らの事を見る事ができる気がする。

「ながせのつぶやき」(永瀬廉のブログ)が更新された。いつもは数行しか書かれていないそれこそ独り言の様なブログは良くも悪くもゆるいもので、私はこれを読む度に彼がマメなのかテキトーなのかよくわからなくなる。
ブログは珍しく長文で、彼は文中で何度も謝っていた。
「心配しないで欲しい」
という思いは痛いほど伝わってきた。手術をしていて休養が必要だと聞いていたので心配していたけれど、思ったより元気そうで安心した。
この先どうなるかはわからないけれど、ゆっくり待っていようと思った。

Instagramを見ていたら、King & Princeの公式アカウントの投稿があった。
「今日でティアラが6歳です!」
という文章から始まる投稿には2人からティアラへの感謝の気持ちが綴られている。律儀な2人だ。
そこに書かれた最後の文章。
「みんなの星でいられるように頑張ります!」
私はすっかり参ってしまった。髙橋海人というアイドルはわかっている。ファンにとってアイドルはピカピカ光る「星」なのだという事を。

まともな理性を持つ人はきっとこんなものをインターネット上に書き残す事はないのだろうし、万が一この記事がエゴサが趣味の彼自身や彼のファンの目に入ったら酷く傷つけてしまう事も、嫌な思いをさせてしまう事もよくわかっている。信じては貰えないだろうけれど、本当に申し訳ないとも思っている。
それでも書き残しておこうと思った。デタラメな軌道の先、彼に対する何もかもが解きほぐされたいつかの未来でこれを笑って、或いは自己嫌悪しながら読み返せる日を願って。
大好きな人の相棒で、大好きな人の友達で、大好きな人に憧れる後輩。
私より彩度の明るい世界を生きている、何処か私に似ている人。
大好きなのに許せなくて、大嫌いなのに未だに嫌いになれない人。
彼の事を考えると今も胸がモヤモヤして苦しくなる。イライラしてしまう事もある。
彼が嫌いだった。彼の事が憎かった。何もかもが今更だった。彼の言葉も行動も全て嘘の様な気がして、憎まれ口が溢れて止まらなかった。自分の心の狭さを私が一番よくわかっていた。
それなのに、楽しそうに踊っていた姿や相棒とじゃれていた姿がずっと忘れられない。あの少しクセのある柔らかい声が今も耳を離れないのだ。
だから私は、もう少しだけ前に進んでみようと思うのだ。寂しがり屋で少し不思議で心優しい貴方の見せてくれる世界を、敬意と「大好き」の気持ちだけで見つめられる私で居たいから。
胸の中に光る星は、今も消えないらしい。


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