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君は泣かない

椎名林檎の「幸福論」という曲が好きだ。
明るくポップな曲調に、愛する人への素直な愛情にあふれた歌詞が好きで、聞く度に本当にこれが彼女のデビュー曲なのかと驚かされてしまう。「丸の内サディスティック」などから想起される彼女の色気や薄暗さの様なものとかけ離れているのは勿論、デビュー曲とは思えないほど完成され過ぎているのだ。

推しが泣かない。
慎太郎(アイドルグループSixTONESのメンバーである森本慎太郎)も泣かないし、まっすー(アイドルグループNEWSのメンバーである増田貴久)も泣かない。
矛盾する様だが、この言い方には語弊がある。彼らは泣かない訳ではない。撮影で泣く演技をしなければならない時もあるし、感極まって声を詰まらせる事もある。ただ、あまり泣かないというだけだ。
感受性は結構豊かな方だし、結構感情のブレも分かり易い方だと思うのだけれども、感動する映画を観て泣く事はないし、思うところがあっても基本的にブログで愚痴を言う事はない。
悩み事があっても誰かに相談するタイプでもない。
「寝たら忘れるタイプだから!」
というのが彼らの言い分である。

勿論彼らは強いと思う。彼らの強さに守って貰っている自覚もある。でも、本当は違う。自分の弱さを開示しない姿にプロ意識を見る人も居るけれど、弱さを開示できないのはある意味弱いからだと私は思ってしまう。
それが悪いと思っている訳ではない。そんなもんかと思うだけだ。寧ろ彼らが愚痴ばかり言う様な人だったら多分こんなに好きになっていないだろう。
でも、ほんの少しだけ寂しいと思う。
私は彼らの優しさや前向きさに時に引っ張られ、時に救われたり守って貰ったりしてここまで生きてきた。でも、強くあられるばかりなのも寂しい。アイドルに対してファンが抱く感情としてはあまり正しいものではないかもしれないけれど、私だって彼らを守りたい時もあるのだ。

修士課程を修了した先輩が卒業した。
先輩方は最後には皆泣き出してしまい、彼女達の後輩にあたる先輩方の中にも何人も泣いてしまう人が出た。
私は彼女達と大した付き合いがあった訳ではないので、彼女達が卒業すると言われても泣けなかった。勿論寂しい気持ちはあった。でも先輩方を前にしている時、何故か寂しいと思えなかった。沢山話したかったのに、上手く話せなかった。何となくぼんやりした挨拶ばかりを繰り返して私は彼女達と別れた。家に帰ってから彼女達と対面する前にあった寂しさが戻ってきた。今更どうしようもなかった。

先輩方が最後に話す言葉を聞いていた時、私が思いを寄せている先輩が斜め後ろに居た。
ふと視界の端の彼が手を顔に持っていった様に見えて思わず振り返ってしまった。
彼が単に鼻を触っていただけだったのか、目元を拭っていたのかはわからない。しかしながら彼の目元はいつもよりほんの少し赤い様に見えた。

私はあまりよく泣く人間ではない。
しんどい気持ちが限界を超えたりするとそれが涙になって流れてくる事もあるし、ドラマや映画の登場人物にうっかり貰い泣きしてしまう事もあるけれど、普通の人が泣くタイミングで一緒に泣けるタイプの人間ではない。

祖父の葬儀で泣けなかった。元々心臓が悪かった祖父はある年の冬に低体温症を発症して長い事入院していた。最後にお見舞いに行った時はずっと眠っていて会話すらできなかった。
何となく
「これが最後になるだろうな」
という予感がした。不謹慎だったのでその言葉は心にしまった。
「またね」
と言って帰った様な気もするし、言えなかった様な気もする。とにかく、また会えるとは思えなかった。
棺の中の祖父は瘦せ細り、まるで別人だった。現実が受け入れられなかったのか、逆に受け入れ過ぎてしまっていたのか、悲しさすら湧いてこなかった。
こんな事実は受け入れたくないけれど、大好きだった筈の祖父は、私の中で知らない間に「他人」になっていたのだと思う。だから、あの日からずっと祖父に負い目がある。

多分私は他人に興味のない冷たい人間なのだろう。
私も別れに対峙した時に泣ける人なら良かった。

「"恋人"ってその人が泣いてるとき抱きしめていいというライセンスだ」というツイートを見た。

好きな人に対して性欲のない私にとって、どうやらお付き合いをしていなくてもデートはできるらしいという気づきはかなり大きなもので、そうなると私の中で「好きな人と恋人になる意味」はかなり曖昧なものになってしまっていた。
「なるほど、それなら好きな人と恋人になりたいな」
と私は思った。

慎太郎やまっすーが何処かで悲しい思いをして泣いていたって私はそれを知る事はないし、それを知ったとて抱き締める事も涙を拭う事も、ハンカチを差し出す事すらできない。
そもそも私は誰かが泣いていたって慰める事なんてできないし、話に相槌を打つ事さえ上手くできない。大好きな人を傷つける事はあっても守れる様な柄じゃない事は私が一番よくわかっている。

大切な人と別れても泣く事もなく黙って立っている事しかできない私は、大切な人が泣いている時、一体どうすれば良いのだろう。大切な人が泣いている時、私みたいな冷たい人間に、大切な人を守る事などできるのだろうか。

今日も先輩は研究室で研究をしているらしいという事を知った。
私の知らないところで彼が生きているという事実がどうしようもなく嬉しかった。
そんな馬鹿みたいな自分を抱えながら私は「幸福論」を聞いている。

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