普通でなきゃいけないと思っちゃう理由

いつも以上に雑記メモです。

タイトルに対する答えは、大抵批判されるときは普通か普通じゃないかで測られるからです。

死ぬときの通知表でどれだけ普通に関するチェックリストを多くチェック付けられたかが測られるわけじゃないんですけど、あたかもそんなものがあると思いこんじゃってる気がします。

生きているときに「こうじゃなきゃいけない」っていうのは、みんなが抱いていると思い込んでいる「普通」のチェックリストの項目っぽいんですよね。

これは「普通」とはなにかという話に通じるようで、そのつもりではありません。

前提としての普通はあって良くて、それに迎合するのが全てではないという話です。

今が良いと思えたり、死ぬ間際には自分だけにしかない時間が思い起こされるはずです。

それにもかかわらず、ユニバーサルで渇いた普通なんかで人生の時間を過ごすのはもったいないという話です。渡世には便利なのでほとんど普通に沿って生きますが、それが全てじゃないので、数割は普通じゃない自分を認めても良いんじゃないんですか?

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