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言葉とか考える枠組みについて気になったこと

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夕飯どこで外食するかとか
自分たちが、大して吟味なく、決めてしまうのは、

思慮がないとかではなく、

A. 決まること
B. 選択肢の中で吟味検討された結果合理的な選択がなされること

で、Aの方が優先度が高いからだろうな。
大抵の場合それでいいと思うし。

本気で考えたと思われるのは以下のどちらかが見えることが必要
・熱量感じるエピソード
・本気で考えたと思われる思考結果

後者は「よく練られた選択肢」が最良で、
それを得るには「状況の深い理解」が必要で、
それは「何が課題かわかる」「どういう意思決定重力があるかわかる」と同義

「人の話を聞く」ということについて、
唯々諾々と言うことに従うという意味で受け取られやすく、
反論なんてもってのほかと思われがちだけど、

反論できるということは話の内容をきちんと理解し、自身の中で解像度高く理解した上でしか出てこないから、よほど話聞いてると言える

仕事の伝言ゲームの難しさは、ただわかっていることを右から左に流すだけで概念は単純だけど、労力がかかることによる。

AさんがBさんに時間かけて100のことを伝えたときに
BさんはCさんに同じ時間かけて100伝えたがらない

引越しもあったものをあったように移動するだけなのに超大変

一昔前に「エモい」という言葉を使うと言語表現がとぼしいとか批判してた人いるけど、飯食って「うまい」風景見て「きれい」と変わらないんだから、何を批判しているかわからない。飯食ったときに8割はうまいでいいじゃん。批判している人は毎回飯で言うところの食レポしてんのか笑

自分がコンテンツにコメントする時と、された人の反応見るときに思うのは、視聴者なんてウブな子供なんだなぁってこと。
お金なんて汚い、悪なんて許せない、そういう精神でコメントしてる自分に気づいた。
そしてクリーンを求める時代っていうのは演者に自分達との同質性を求めてるんだってこと

意外と常識とロジカルシンキングって相性いいかも。土台となれる揺るぎにくい説があった方が論理を組み立てやすいため。というか、常識を崩すなんて、1個やれたら上等で、大抵常識だけでなんとかやってける

「1+1=2なのよ。で、1+1=2なんだよね。だからなんと1+1=2なのよ!ねぇ聞いてる?1+1=2なんだってば!」
話を聞いて苦痛なパターンってこれとあまり変わらない。こちらは応用である5426×3482の話や別の話をしたいのに、「そこもう良いよ」ってなっちゃう

「ミイラ取りがミイラになる」って合理的だと思う。相手の正体を暴く、相手を利用する、相手を打倒するときには、相手になりきって相手を知り尽くすことは悪くない手段。愚かな行為と見られがちだけど、合理的だし、このパターンに陥る人が多く、ことわざになるのもわかる

現実における念能力的なもの: 特定の領域において、ある視座に到達しないと重要さがわからないもの。
例: プログラマの設計力、クリティカル・シンキング
密かに体系化されているものが多いので情報はアクセスできるが、知識として得れば終了ではなく、経験から体得することが主

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」あるある。賢者ぶって歴史に学ぼうとするけど、結局経験に学ぶことになる。未知の領域でも歴史に学べるのは、学べる対象が自分の視座より下のとき。標準語使いこなしている人間が関西弁覚えるみたいな。陰キャがパリピノウハウ知るときとはわけが違う

ゼロベース = 経緯を度外視し必然的合理性とその場の状況だけで物事を捉え直すこと。
物事の理由として当てはまるものとして、必然的合理性(=法則)と経緯がある。
その片一方の経緯を廃して必然的合理性だけで捉え直すことがゼロベースと言える。
ゼロと言いつつ残すもの結構ある

固定観念や常識を疑って言っても生活ではなかなかできない。なぜなら固定観念や常識と見えるものは大抵間違ってないから。りんごがりんごであることを疑っても間違いだし、水は100℃で沸騰するし。疑って崩せる認識はほんの一握り。しかも崩すには周到な準備や直感が必要

歴史をステート(状態)として捉えると、子供はある程度ステートレスで大人はステートフル。中学生くらいなら処理能力も大人とそんな変わらないから差分はステートの量。楔として打ち込まれた経験の歴史が大人の頭には渦巻いてしまう