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2021年8月28日(土)

この数日、遠藤周作の『沈黙』を読んでいました。キリシタンのお話です。舞台は長崎。井上筑後守の時代。穴吊りや蓑巻きなどの拷問があって、何よりも驚きの結末があって。私は絶望と悲しみから吐気がしました。なぜこのタイトルが沈黙と言うのか、本の装丁が物語るように、テーブルの片隅に置いておいてもズシンと響きました。私が日本人クリスチャンのせいかもしれません。
ましてや沼の色合いを思わせる深緑の表題が私を泥の中に封じ込めました。

今朝は重苦しい空で、ノンクリ(クリスチャンではない)の夫に嗚咽するように本のあらましを話しました。私は握り十字架を手のひらに、もう一度眠りました。ウサギがケージから出して欲しいと金網を噛んで訴えています。もう少し待ってね。必ず遊ぶわ。

昨日は精神科に行きました。このところ私はどうも見当識障害のようなところがある。何が原因なんだろう?どうしてこんなに様々なことを忘れ、幾度も眠りに落ち、いろんなことがわからなくなるのだろう? 私は素直に相談しました。主治医は話を聞いて、おそらくコロナとあなたの動けない体が外出できないことに拘禁反応を起こしてしまったのだろう。せん妄だと思われます…先生は言いました。私は以前、集中治療室に入院したあと、電気のスイッチが何を表すのか分からなくなったり、回転寿司の食べ方がわからず、回っている寿司に箸をつけたりしたんです。この時は重度の肝性脳症を起こした直後でした。

「何か気晴らしになることをしなさい。」先生はそのように言って、脳外科への紹介状を書いてくれました。あなたは生活を変えなくちゃいかん。

こんな貧しい百姓やキリシタンの物語にも、食事のシーンはふんだんにあって、干した魚や米、餅菓子や白瓜などは私を苦しいまでに魅了しました。私が小説を読了したのは数年ぶりですが、読み応えのある凄みに圧倒されています。

ウサギも外に出ました。カーテンやクッションと戯れています。私はこの平和に安堵しました。さてさて何か気分転換をしましょう。私は夫の沈黙に助けられました。話したいときは咳払いしながら黙りこくる夫。私に聞かせるようにウサギに話しかける夫。そう。あなたがいるから私はもう大丈夫なのです。

ドライブに行きたいな。そう告げてみましょう。
私は沈黙を破らなくては!

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