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2021年10月8日(金)

今日は朝から病院です。私には3つの難病があって、そのうちの1つの好酸球性消化管疾患と言うものを診てもらいに行きます。ちなみに明日は入院日。今日はその支度も兼ねてカーディガンを買いにユニクロに行こうと思っています。

昨日は突然、料理がしたくなり、少し丁寧に野菜を刻んで、アジアン風野菜炒めを作りました。あまりに久しぶりの調理だったので、少し味付けが濃いめにできてしまったけれど、旦那さんがおいしいと頬張ってくれたのが何よりの励みでした。今日は筋肉痛もないし、時々は台所に立ってみようかな。

私は仕事を何より好みましたが、家事に向いていたことに結婚して気づかされました。母は私の体を気遣って台所にも立たせないし、掃除も一切やらせなかったから、大事なことはみ〜んな夫に習いました。(笑)よく祖母が家計簿をつけていたのを思い出します。祖母はお姫様みたいな育ちをして、私とは敬語で会話をしていましたが、家計簿だけはきっちりつける人でした。年老いてから、老眼鏡をかけ、相撲の取り組み表に勝敗の印をつけるのが好きで、掘り炬燵であったまりながら、落花生の殻を剥いてもらい、会話を交わしたのはいい思い出です。

私が失くしてしまった実家はこの母方の祖父母が昭和6年に購入しました。昔の海軍の敷地内にあり、周りはみんな軍関係の人たちが住んでいて、今はすっかり代替わりしたので、私の世代が受け継いでいますが、独特なカラーがありました。

祖母はちいさな庭で小鳥をたくさん飼い、棕櫚竹やさまざまな薬味になる植物を大切に育てていました。私が犬や猫を飼い始めると、鳥を思ってとっても不機嫌になりましたが、私は祖母に顔立ちも一番似ていて、おばあちゃん子でしたから、寝付いてからは私が小鳥の世話をしました。亡くなるときはみんなに炬燵の部屋で見守られながら、眠るように先祖の列に加えられ、ほんのり赤味のさした頬が印象的でした。

私は亡父よりも、この祖母をよく思います。父のことはまたゆっくり綴りますが、父はよく祖母の肩を揉んで、オセロの相手をしていました。オセロの駒がひっくり返る音が懐かしいです。

夫との記念日にテーブルゲームを贈ろうかと思案してます。昔ながらのガラス玉のソリティアか、ダイヤモンドゲームか…。手を使って、ライブ感のある音と木の温もりに癒されたいなと思います。

夫は私の何を懐かしく感じるだろう。まずは手術の成功を祈らなくちゃね。

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