脚本家で見る、「愛の不時着」 私たちに訪れた分断と不時着
「愛の不時着」における愛の着地点
「脚本家で見る、」という括りで、これまでに韓国ドラマ
「100日の郎君様」「怪しいパートナー」の紹介をしました。
今回は、「愛の不時着」について書いてみようと思います。
このドラマに関しては毎日膨大な記事が出ています。
コロナ禍での外出自粛期間には連日テレビで芸能人が話題にするほど盛り上がり、ニュース記事では毎日のように魅力を分析解剖する!というものが
出ているし、モード誌でも
「ユンセリのファッション」「愛の不時着にも、行ってみたい世界の橋」などと
関連づけたいろんな記事を見ます。外出自粛期間が終わっても、
まだまだNetflixでの日本の視聴者1位、人気は衰えません。
と、他の韓国ドラマとは比べものにならないほど書かれているものが多いので、
ここでは脚本家で見るこのドラマの特徴に絞って書いていきたいと思います。
脚本家で見る〜、と言ってもこれまでもそうですが、具体的に脚本を批評するとかいうものではありません。自分でも脚本を書くので、恐れ多くてそんなことはできません。
あくまでも韓国ドラマファンとして、これまで観てきた脚本家の他の作品と合わせて共通点から、傾向、こんな意味があるのでは?を読み解いてみよう。という試みで紹介しているものなので、もしよろしければ以前のものも読んでみていただけると嬉しいです。
その前に、一つ、いろいろな記事を読んでいて気になったことを。
?スマホ(携帯)が登場しないから面白い
ある記事の中で、
「スマホ(携帯)が使えない」ということがこのドラマの面白かった要素として取り上げられていましたが、個人的にはそんなに大きな理由とは思いませんでした。
SF、ファンタジーが多い韓国ドラマでは時代背景や諸々、スマホを使えなく設定するのはそんなに難しいことではないからです。
スマホ(携帯)の出現によってドラマ(特にラブストーリー)が面白くなくなった。というのはよく言われることでそれはあると思います。
ただ韓国に限って言えば、ドラマの中でのスマホの取り入れ方はすごく斬新で、あと韓国人の名前の特徴、ニックネームの付け方などをうまく絡めてそれをスマホに登録するところなどは、逆に韓国ドラマを面白くしたと思いますし、
むしろスマホの登場は韓国ドラマの人気をここまでにした要因だと思っています。なので、このドラマはあえてその面白さは手放したとも言えると思います。
ファンタジーの舞台として北朝鮮を設定した
脚本家、パク・ジウン作品の共通点
「星から来たあなた」「青い海の伝説」「愛の不時着」
*不時着に対する執着!?
*小賢しい女
*家族といる自分、他の誰かといる自分
*パク・ジウンの考える愛の終着点
脚本家、パク・ジウンはこれまでの作品で、
韓国を、異星人からみた宇宙、人魚からみた陸の世界というファンタジーの舞台
にしてきました。いつもの世界が不思議の国になるという仕組みです。
そしてこの「愛の不時着」では、隣国北朝鮮をその舞台の(逆に北朝鮮の
人々にとっては韓国がSFの世界)ファンタジーにした。
ファンタジーが抵抗なく受け入れられる韓国ドラマでしかできない、灯台下暗し?現実的なファンタジーとの組み合わせという構造でもう面白いことが約束されています。
不時着に対する執着!?
「愛は不時着」という記事でも書いた、脚本家パク・ジウンの
不時着に対する執着ともいえるこだわり。
前述のファンタジーの世界への入り口は、いつも不時着です。
不思議の国をさまよいながら、自分の気持ち、あなたへの愛・・・
居場所だけではなく、幾つもの世界に迷いこんでいきます。
小賢しい女
以前「逃げ恥」こと「逃げるは恥だが役に立つ」の中で一躍有名になった
『小賢しい女』ですが、この脚本家の書くドラマの主人公はみんなちょっと
そんな要素がある気がします。
「星から来たあなた」「プロデューサー」「愛の不時着」
どの主人公も相手のセリフを待たずに自分のことをよく喋る。
観てるこっちがええい、黙って!と思ってしまいますが、この会話にヒロイン本来の優しさや弱さが表れていたり、後になってあの捲し立てたセリフの中に!?とドラマを引っ張る大事な要素が入っていたり、実はすごくよく考えられたヒロインのおしゃべりだとわかり、グンと惹きこまれていきます。
あなたといる私、家族といる私、他の誰かといる私
誰でもそうですが、いろいろな場所にいると、その場ごとに自分のキャラクターを微妙に変えていると思います。変えているというより、変わってしまう。
どこかでは結構しっかりものだったり、無口な人だったり、わりと抜けている人になったり・・・
例えば、家族といる自分、が嫌だったとする。
独立して暮らすようになって、あの頃の自分から変わった!と思っていても、親戚一同集まったり、家族と過ごしたりするときは、嫌になるくらい昔の、家族という関係の中での自分に戻ってしまう、というようなこと、よくあります。
「分人」は作家・平野啓一郎さんの言葉のようですが、
この脚本家の書く(特に)ヒロインはその傾向が強めに書かれている気がします。
あなたといる私、家族といる私、そして他の誰かといる私。
そしてこの脚本家のドラマでは、家族といる私はいつもだいたい苦しい。
パク・ジウンが考える「愛の着地点」
不時着で始まった愛が、最終的にどこに着地するのか、終着点はどこか?
ラブストーリーの着地点をどこにするかは、脚本家の考えが一番現れるところのひとつだと思います。
「愛の不時着」とそれにもっとも近いドラマである「星から来たあなた」
二つの作品で示された着地点から見えるのは、
結婚ではない。少なくとも。ということです。
「星から来たあなた」では、宇宙に帰ったもう一生会えないと思った
キム・スヒョンは、彼女に会うために戻ってきます。
でもそれは、いつも前触れなく表れて、またいなくなる、そんな不確かなもの。
不確かだけれど、二人には確固たるものがあるから、それで十分。
「愛の不時着」でも二人がともに過ごせるのはおそらく一年に2週間、
結婚に比べると僅かな時間。
僅かだけれど、確固たるものがある二人にとっては、それで十分。
分断から生まれた愛
分断、自由に会えない愛、というこのドラマの根本的な構造が
コロナ禍という偶然にも私たちが置かれた状況にビッタリだった。
だからこそ、ここまで観られた気がします。
こんなことでもなければ、ある程度自由にどこにでも行けていた私たちが、
とても特殊な状況で分断され、自由に行き来できなくなってしまった。
遠距離のカップルはどうしていたのだろう、と考えていました。
私たちに偶然訪れた分断、それをまだ咀嚼できないうちに
分断が生んだ愛の世界に、観ている方が不時着しのめり込んでいったのではないか。
ここまで構造的なロミオ&ジュリエットではないにしろ、
「会いたいのに会えない」という感覚を、痛感する時期だったから。
さらに、この初めて経験する不安と混乱の状況は、まさに不時着。
あえていうなら、この現状は、私たちに起きたファンタジー。
私たちは、突然姿を変えた世界に不時着しているのではないでしょうか。
ドラマの世界と、私たちの現実に奇跡的な共通点が生まれたからこそ、
これだけ観られるドラマになったのだと思います。