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そうだ、これだった!

先日映画館に行ったら『シカゴ裁判』のポスターが貼ってあって、次これ観たい! となった。

そしたらなんとNetflixで観られるらしい。

そんなあ、そんなサービス、いいんですか?? 
興奮を抑えきれずそう聞きたい気持ちになった。

脚本・監督のアーロン・ソーキンといえば、子供の頃にみた

『ア・フュー・グッドメン』に、強烈に感動したことを思い出す。

そうだ、小さい頃見たこの作品や他のいくつかの映画も大きく影響して、私は法律家か、脚本家、どっちかになりたかったのだった。

大学受験で、法律か映画かを選ぶことになり、担任の先生に
「映画はやめときなさい。映画は入れても潰しがきかない。法律やっとけばなんとかなるから」

そう言われて、まあ、どっちも勉強してみたいしと法学部を受験したのだ。

「なにそれ。潰しがきくって・・・だって今」

そう言いたい気持ちもちょっとはあるけれど、結果的に今の物語を書く、という仕事はどんな経験でも糧になるし、無駄な経験というものがない。
それに、法律は学ぶこと自体はとても楽しくて、今だに辞書のように六法全書を開くのは好きだ。

『シカゴ裁判』 最初だけちょっと見て、あとで時間があるときにゆっくり、と思ったのが運の尽き。2時間以上、モニターに釘付けだった。

そうだ、これこれ。久しぶりに法廷ものの醍醐味が蘇った。

初めて『ア・フュー・グッドメン』を見たとき、法廷、法律という限られた堅い世界の中に押し込められていたカタルシスが爆発する瞬間、

幼い、未熟だがまっすぐで豊かな正義感が炸裂して涙が流れた。
今は見えない何か、これから迎えるものが何であろうとも、向かい合って闘っていかなきゃいけない、というような気持ちの昂り。

『シカゴ裁判』では、その感覚が、最後の最後の数分もないかもしれない、一瞬に向けて丁寧に的確に描かれていて、くるぞくるぞと構えて訪れたその瞬間、久しぶりに正義感で大号泣してしまった。

そしてふと思った。この清々しく強い決意のような感覚は、どんな作品に取り組んでいるかにかかわらず、私の創作に必要なものかもしれない。


#創作のマストアイテム

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