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VR空間は法で縛られるべきか否か

※ことばの定義
VR空間:VR機器を用いて参加可能な、自身の分身となるアバターを用いて他のユーザーとコミュニケーションが可能な空間。
 既存のVR空間にはVR機器を用いずとも参加可能なものが存在するが、区別がややこしくなるため、この記事内においてはVR機器を用いて参加した場合についてのみ考察するものとする。


 いつか、VR空間が法によって縛られる日が来るのではないだろうか?

 ……という体でVR空間をゲーム(≒仮想)と考えている人とVR空間を現実と捉えている人とのVR空間への向き合い方の違いを書こうとしたが、そもそもゲーム(≒仮想)と現実との違いってなんだ?という思考のドツボに嵌ってしまった。みたいな内容の記事である。


ゲームなら何してもいい?

 武器を持ち、生物を傷つけるようなゲームは無数に存在する。
 その表現内容の是非を現在進行形で問われ続けているとはいえ、表向きはゲームはゲームということで割り切って、現実では到底行えない、現実の法によって裁かれてしまいかねないような事をゲームクリエイターは表現することができているし、プレイヤーはゲームの中であればそれを実施することができている。


現実のルールは私達を守ってくれている?

 一方で、現実はゲームのようにはいかない。世界共通のルール、各国の法律、地域の条例、住居のルール、暗黙の了解などさまざまなものが現実のプレイヤーたる私たちを縛り付けているのだ。しかし、それは意味もなく縛り付けているわけではない。

 筆者自身、法について詳しく学んできたことがないため間違いがあれば是非とも適切な表現を教えていただきたいのだが、素人考えで言うなれば、ルールは自身または他者、いずれかの人間を守るために存在すると思っている。まあ、明らかに人に不利益を与えるようなルールがあるのもまた事実ではあるのだが……誰かしらが損をするかもしれないが、それによって見知らぬ誰かを守る。そのためにルールがあるのではないか。


VR空間はゲームか、現実か

 さて、VR空間はゲームなのか現実なのか考えてみよう。

 VR空間はゲームか?YESとも言えるし、NOとも言える。
 VR空間は一般的な定義ではVRSNSという分類に属することがあり、明確にゲームと分類されることはそう多くはない。しかし有名なVRSNSの多くはSteamというゲームプラットフォームからアクセスすることができる。VR空間内ではその気になれば過激なゲームのように何でもできる。もちろんVR空間を提供する側やアバターを提供する側がルールを定めていることもあるだろうが、それに反しない限り銃撃戦はできるし、現実に似せた空間で現実ではできないようなことをすることもできるし、自身や他人のアバターを傷つけたりするようなことまでできる場合がある。


 銃撃戦をしたり、現実に似せた空間で現実でできないことをしたり、自身や他人のアバターを傷つける、といったこと自体はVR空間に限らず、それを可能としているゲームであれば他のゲームでも可能だろう。そしてそれらは、ほとんどの場合プレイヤー本人ではなく、プレイヤーが用いるアバターなどが代理となり、行われる(図1)。

(図1)これまでのゲームにおけるプレイヤー、アバター、他プレイヤーとの関係のイメージ

 この場合、アバターを傷つけたとしてもそれを受ける側は自身の代理として動いているアバターが傷を受けるのみとなる。人によってはアバターに強い思い入れがありプレイヤー自身の感情などに影響を及ぼす、といったこともあるだろうが、アバターが傷を受けたことでプレイヤー自身も実際に傷を受けたような体験をすることはほとんど無いのではないだろうか。


 しかし、VR空間では少し話が変わってくる。VRという手段を用いることにより、プレイヤーはまるでVR空間内におけるアバター自身になりきったような、自分自身こそがアバターであるような体験をすることになる(図2)。

(図2)VR空間におけるプレイヤー、アバター、他プレイヤーとの関係のイメージ

 さて、この状態で銃撃戦をしたり、現実に似せた空間で現実でできないことをしたり、自身や他人のアバターを傷つける、といったことを行った場合、それはアバターだけが代理でその影響を受けて済ませることができるのだろうか?
 例えるなら、アバターという着ぐるみの中にプレイヤー自身がいるような状態でアバターが傷を受けた時、プレイヤー自身も傷を負っていないと断言できるだろうか?いやまあ、ほとんどの場合プレイヤー自身が物理的な傷を負いはしないだろうが、それでもプレイヤーはあたかも自分自身が傷を受けたような体験・経験をしてしまうのではないだろうか?

 もしそうだとしたら、現実の他人に物理的に傷をつけることは罪に問われるが、VR空間の他人に疑似的な傷をつける体験を(本人の同意なしに)与えることは罪に問われないのだろうか?


VR空間での嫌がらせという罪の大小

 既存のゲームで他人に嫌がらせをする事はできる。暴言、つきまとい、粘着、目的達成の放棄、等々挙げればキリがない。

 しかしVR空間においては更に別のベクトルを加えて(人によって捉え方の大小に差異はあるだろうが)嫌がらせを行うこともできる。
 視界や聴覚を奪うような行為、視界や聴覚を利用しそれを望まない相手にファントム・センス(VR感度)を与える行為、鋭利な刃物などに似せた3Dオブジェクトを意図的に利用して傷つけるまたはそれを想起させることによる副次的な影響を与える行為等々、これまでのゲームと比較すると、アバターの中にいる人間の五感へ悪影響を与えるような嫌がらせが容易に行えてしまうのがVR空間である。

 こうした行為は、既存のゲームにおける嫌がらせと同等の悪事だろうか?それとも、既存のゲームにおける嫌がらせ以上の悪事なのだろうか?


終わりに:縛られないのも、縛られすぎるのも困る

 ここまで、筆者がVR空間で過ごしてきた中でふと思いついた疑問を結論も出さずに書き連ねてきたが、皆さんはこうした問いかけに対してどう感じただろうか。

 前提として、筆者は法について詳しい人間でもなく、ただ純粋な興味心だけでこの記事を書いている。また、この記事の落とし所は「縛れられるべきかどうか結論を出す」ではなく、「周囲にいるかもしれない詳しい人に疑問をぶん投げる」ものでしかない。
 以上のことから筆者の考えには根拠に乏しい部分や疑問に思われそうな箇所がいくつか存在すると思うが、そういったものがあれば是非ツイートやコメントで意見をお伺いしたい。

 どのみちこの話題は私個人で完結するはずがなく、VR空間に関わる全ての人々に関係するかもしれないからだ。VR空間に常日頃から触れているからこそ意識が薄れがちだが、私達はこのVRという分野の最先端近くに居る人々であることに違いはなく、そのVR空間も居心地の良い場所ではあっても法整備が十分ではないことに変わりはない。
 もしVR空間が議論の対象になったとしたら、真っ先に槍玉に挙げられるのは我々のようなVR空間の住人であり、真っ先に意見を求められるのも同様に我々になるかもしれないだろう。遅かれ早かれ、こうした諸問題に見て見ぬふりをしたり無関心のままではいられなくなる日が来てしまうかもしれない。

 そしてこうした疑問に対する回答として、VR空間に対する法整備が検討されるような状況に至るにはそう遠くない所まで進み始めているようにも思える。
 もし法整備が行われれば、私がこの記事で提示したような疑問が出ることはなくなるかもしれない。しかしその一方で、いまの我々が享受できているようなVR空間内の事象が規制されてしまうというリスクも否めない。

 そうした法整備に対して、VR空間を体験しているが一般世間より少し詳しい程度の我々にできることはあまりないかもしれない。とはいえ、どんな形であれ意見を求められた際には迷わずしっかりと自分の意見を伝えることができるように、日頃からVR空間におけるさまざまな物事への意見を自らの中で育んでおきたいものである。

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