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ファーストアルバム「いちじく」解剖作業vol.3

こんにちは。
シンガーソングライターのSETAです。

今回は、アルバム「いちじく」の三曲目に収録されている「私のせいで」という曲の解説をしようと思います。

タイトルが意味深なこの曲…………どんな曲かはこちらを覗いた上でお読みください。笑

この曲は、以前解説した「普通の女の子」の後に作った曲です。

実はこの曲には、元となる曲がありまして今の事務所になる前、ライブハウスで歌っていた「トーキョー」という曲から進化した一曲。トーキョーという曲を知らない方には「なんのことや」と思われるかもしれませんが、端的にいうと東京に1人でてきた時の葛藤や別れについて書いた曲です。

実際、トーキョーを書いた頃の私(19歳)は高校時代からお世話になっていた会社を離れることになり「別れ」をダイレクトに感じておりました。

【誰のせいでもない別れ】とは、【誰のせいにもしない別れ】であり「正当化された言い訳」なのでございます。すると、大体私は「私が悪かった」と言って心を落ち着かせます。

話が飛び飛びで申し訳ないですが高校時代に愛読していた漫画に「僕等がいた」というものがありました。そこで、あるキャラクターがこう言うわけです。

「他人のせいより自分のせいにするほうがラクだからね。」

高校生の私は「なるほど!」と納得しました。

それ以来、大人同士のお別れ特有の「誰も悪くない」と言う( そういうことにしておきたい )場面に出くわすと私はいつも「自分のせい」だと思うようになりました。

トーキョー、という曲はそういった大人の別れにはじめて実際に直面した直後に書いた曲でした。故に、荒削りで独りよがりな曲になってしまい今はお箱入りです。笑

さて、「私のせいで」は二度目の大人の別れをモチーフにしています。その別れについては語りませんが、兎にも角にも19歳の時に体験した別れと似た別れが21歳頃にやってきました。

その時も、もちろん「自分のせい」だと思うことで自分がこれ以上傷つかないようバリアを張りました。ですが、時間が経って、新しい今の居場所に落ち着いてから見直すとなんだか違う見方もある気がしてきました。

そもそも、誰のせいにしても
この世界は変わらないということと
誰のせいにしても
私は私の世界からはみ出ることはないのだ
という見方です。

自分の25年という人生のレールの中で、もちろん誰かに迷惑をかけたこともあるし、逆に誰かに酷いことをされたこともあります。ですが、それも全て「私の人生」。人が私との思い出を忘れたとしても私が覚えている限り「私の人生」なのです。

そんなことに気づいた時「自分のせい」の使い道が少し変わりました。

今までは、傷つかないために。
もしくは納得できない出来事を無理やり自分に納得させるために使う手段だった言葉が、自分がこの世界と繋りつづけるための言葉に変わりました。

ある意味それは「開き直り」に近いのかもしれません。悲しいでも、投げやりなわけでもなく、ただこの世界でのこれからの人生に開き直ってやる!という感じ…………それは、すごく清々しい気持ちでした。

もちろん、ぱっと聞くと「私のせいで」という言葉はネガティヴ全開なワードではあるんですが、自分のせいにしてまで自分はまだこの世界で生きていたいんだな。となんだか意外と前向きな成分も含まれているのかも…………そういった気持ちがこの曲になりました。

こんなことを言ってはなんですが
どう生きようと最終的には灰になる運命ですから
常々、自分の人生だけは自分のせいにして
生き切りたいと思うのです。

そういった気持ちを
詰め込んだ、私的前向きな一曲が「私のせいで」です。

もちろん、凪のような無力感を感じながら聴くこともできるし、ネガティヴの裏に隠したちょっとだけ前向きな気持ちに寄り添いながら聞くのも皆様にお任せします。笑

気になった方は是非フルバージョンもお聴きください!

それでは、以上ファーストアルバム「いちじく」より「私のせいで」の解剖作業でした。

SETA


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