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『尾道滞在記⑦』

八時半起床。体温35.7°。この街に来て七日。色々なことがあった。あったというのは社会のことで、この一週間目に見えてコロナは感染拡大し、トンガでは火山噴火があって津波速報が夜を駆け巡った。東大前での受験生への刺傷事件や茨城での発砲事件、刺殺事件など枚挙にいとまがない。自分はこの一週間、有体の言い方をすれば、まるで時がとまったようなこの街で、至極鈍感に過ごしていたといえる。人もまばらな商店街をいったりきたり、喫茶店に入り、書店や古書店で購った本を読み、珈琲を飲んだ。それでも当然社会とは隔絶していない。尾道PCRセンターで受けた検査の結果が陰性だったことで少しだけ安心した。
宿のこたつに入って街を眺めながら、原稿を書き、おむすびをほうばり、夜が更けたら、本を読んで眠った。当初、考えていたようなカンヅメができたかというと、想定していた文章量には到底及ばず、また意気込んで取り組もうと思っていたいくつかのことには僅かに手をつけたに過ぎない。だからといって不本意だったということは全くなくて、それよりもむしろこの街の空気、出会った人から沢山のものを貰った気がしている。なんていうと、たかが一週間ばかり滞在して去っていく人間が何を分かったように、と自分でも思うけれど、それを許容したうえで、やはり自分はこの街にだいぶ助けられた。

防波堤に腰かけて缶コーヒーを飲んだ。船の起こした波紋が停泊している釣り船を揺らしている。ちょっとした渦みたいなものもできている。海のない街に生まれた自分にとってはすべてが新鮮だ。無糖の缶コーヒーは少しだけ味気ない。喫茶店ではブラックでしか飲まないのに、缶コーヒーだと甘いものが飲みたい。
ほぼ毎日、使っていたコンビニで滞在中最後の買い物をする。いつも通りおむすびを買って、ゆでたまごを二個買う。いつもの石段を上がって部屋へ戻る。道すがら、何匹もの猫に会った。バイクの隙間から覗いていたり、日なたで丸まっていたり、自分の横をすたすた歩いていったりした。夜には配信をしようと思っていた。この街で拙いながらも作った歌があって、それを歌いたいと思った。
ご飯を食べ、ギターを弾いて、シャワーを浴びると、あっという間に配信の時間になった。尾道滞在中最後の配信ということもあって、色々な人が観てくれた。ぼそぼそとしゃべり、静かに弾き語る感じで聴きづらい部分もあったと思うけれど、ほとんどの方がずっと最後まで聴いてくれていた。ライターズインレジデンスに参加していた他のライターの方も配信を観てくれており、恥ずかしくも嬉しかった。コロナ禍ということもあって交流を深めることは難しかったけれど、仕事を続けていればいつかまたどこかでお会いすることもあるだろう。二十一時に始めた配信が、終わった頃には二十二時をとうに過ぎていた。自分はすぐに調子に乗るので、ついつい長時間、配信をしてしまう。リクエストにも出来る限り応える。自分の作った歌が誰かの思い出に寄り添っていることもあるのかと思うと、いつも不思議な気持ちになる。部屋で少し微睡んでから外套を羽織って外に出た。尾道の街はすっかり眠っている。薄暗い石段を転ばない様にいつも以上にゆっくり降りた。

この街には深夜に店を開ける変わった古本屋があって、長い夜をまんじりともせずに過ごしているような人たちがよなよな集まってくる。古本屋はこの街の灯台だ。そこにはふにゃふにゃし、もにょもにょとしながらも芯に一本筋の通った少し偏屈な店主の青年がいて、まあなんというか、ほっとするのである。そんな青年の周りには人が集まる。

本はときに人の道しるべになり、拠り所になり、大袈裟だけど救いになることもある。反面、全く役に立たないこともあって、その役に立たないという部分が、人の気持ちに寄り添ってもくれる。
今日は尾崎放哉の随筆集と亀鳴屋から出ている『したむきな人々』を買った。なんというか、この店で買うにふさわしい二冊だなと思った。店を出る頃にはとっくに日付が変わっていた。滞在中、青年とは何度も会った。いくらでも話すことはあって、青年とへらへら身のない話をしているのは楽しかった。自分と青年は似ている所がある。だから自分は青年と話すのが好きなのだ。

結局最後まで楽に上れるようにはならなかった石段をひいこら言いながら上る。布団に入って、この一週間のことをぼんやり考えているうちに寝てしまった。猫が連れ立って歩いていけば日が暮れて、鐘に合わせて野犬が鳴いた。ポンポン船の波紋が円を描いて朝焼け。街の面影をなぞって、いまを生きる人たちに会いにいった。毎日、本当に楽しかった。謝謝。謝謝。

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