世田谷の見城ダビデさん:思っているよりも長居してしまう癖があるみたいで(笑)
text : Satoru Hiki
photo : Masayuki Nakano
4年くらい前だろうか。妻が乗っていたトーキョーバイクの自転車をメンテナンスに出すための店を探していて、割と近くに専門店があるのを発見した。それが小田急線の豪徳寺駅の近くにある「niente(ニエンテ)」だった。その時はたしか、状態を見てもらい、スタンドを変えてもらった気がする。
その後、子どもが産まれて、子ども用のシートが付いた電動自転車を購入し、妻のトーキョーバイクの自転車は主に僕が乗るようになった。「ニエンテ」には最初のメンテナンス以降もちょこちょこお世話になっていて、サドルを変えてもらったり、パンクしたタイヤを変えてもらったりしてたんだけど、店内に売っている衣料品や雑貨など自転車以外のもので気になったり欲しいものを購入するようになった。
それはたとえば薄手の腹巻だったり、好きなアルファベットを付けてもらえる「ゆるベースボールキャップ」だったり(僕の名前のサトルの「S」を付けてもらった)、生地が丈夫で乾きやすい「BRING」のTシャツだったりする。どれもすごく気に入っている。
「ニエンテ」はいろんなイベントもやっていて、Zineを店頭に並べている時も覗きに行って、なんかよく分からないけど面白いことをする店だなと思っていた。その時、店内に「世田谷十八番」が置いてあって、そこで手に取った後で、たまたま十八番のメンバー募集を見てコンタクトをとったということもあった。
毎回「ニエンテ」に行くたびに店長っぽい男性の距離感が心地よく、ある時はその人がかけている眼鏡が格好よかったので、どこで買ったか尋ねるとショップカードを持ってきてくれて、丁寧に教えてくれたりもした。そんなやり取りが楽しく、この人はどんな人なんだろうかと、徐々に気になるようになってきた。「ニエンテ」を運営している背景や、これまでの半生なんかも興味があった。
それである日、お店に行った際に思い切ってインタビューをお願いした。突然の申し出にも、すんなりと承諾してもらい、名刺を交換して、後日お店が休みの日に店内でお話を聞く約束をした。その際にもらった名刺には「見城ダビデ」と書かれていて、これは本名だろうか?と思いつつ、インタビューをさせてもらうことになった。
インタビューの日はSのマークが入ったゆるベースボールキャップと、「BRING」Tシャツという、お気に入りの格好で休日のお店にうかがった。
「ニエンテ」の見城ダビデさんにいろいろと聞く
──「見城ダビデ」さんってお名前、本名なんですか?
そう、本名なんですよ。
──ご両親が海外にルーツがあるとか?
いえ、親は完全に日本人です。実家が教会ということもあるんですけど、なんか父が変わりもんで。それで付けられちゃって。
──インパクトがあって、忘れられないですよね。
あんまり悪いことできないです(笑)。
──報道されるとすぐ誰かわかっちゃいますもんね(笑)。じゃあ、ちょっと見城さんの半生についてお聞きしたいんですが、今40歳ということですけど、これまでを振り返っていただけないでしょうか。
ひとことで言うと「成り行き」ですね。こうなろうと思ってなった今じゃないっていうか、その時その時で「これやろう」という感じで。割と、衝動の積み重ねで今に至るっていう感じですね。
もともとは建築家になりたくて。それで工業高校の建築科がある学校に行って、3年間建築の勉強をして、割とすんなり静岡市の建築事務所に就職できて。でも3カ月くらいしたら、無性にイタリアに行きたいという衝動にかられてしまいまして(笑)。
──イタリアに何か目的があったんですか?
ないんですよ別に。建築だからとかでもなくて。なんか漠然とイタリアに行きたいと。でも、建築の仕事はそんなに給料がよくなかったので、建築事務所を辞めて早くお金を貯めようと、土方をしたり車の工場でバイトしたりしました。それでイタリアに行きました。
フィレンツェにいたのですが、語学学校に通いながらホームステイして3カ月ちょっといましたね。最初は日本に帰国したらまた建築の仕事に就こうと思ってたんですけど、現地で学びというか教訓を得て、「常識っていうのはないんだな」って思ったんですよ。要は、日本で当たり前だと思ってたことが、海外では全然違うと。
たとえば電車が普通に15分くらい遅れたり、ストライキがあってバスや交通機関が止まったりするんですけど、それでもみんな結構楽しくやっているんですよね。あとは、大人のほうが子供っぽかったりすんですよ、イタリア人って。
──どういうことですか?
公園にいる知らない人同志が大人も子どもも混ざって、即席のチームでサッカーをするんですよ。それで、負けた側のチームの大人が、悔しさのあまり怒って帰ってしまうんです。子どもは別に帰らないんですけど、大人のほうが。それを見て、「これでもいいんだな」っていう気持ちになって。そこぐらいからタガが外れていくというか、「人生はネタだな」モードに入っていきました(笑)。
イタリアでお金を使い果たして帰って来たので、すぐに軽井沢で住み込みのバイトをしました。その後、次に何をしようかなと思った時に、探偵かメッセンジャーだと思ったんです。あまり周りにいないですよね。これはネタになるんじゃないかなと思って。結局、探偵は面接で断られてしまったので、メッセンジャーを始めることになったんです。
最初は「ネタになれば」という気持ちで、1年続けばいいなと思ってたんですけど、職場のカルチャーが部活みたいで面白くて。音楽をやってたり演劇をやってたり、エネルギッシュな人が多かったんです。結果的に長居して、4年半くらい続けましたね。
──水が合ったんですね。
はい、すごく楽しくて。メッセンジャーの後半の頃に、メッセンジャーバッグを作ろうと独学でバッグを作り始めたんです。それでバッグ一本で行こうと思って、メッセンジャーを辞めるんですけど。1年ぐらいバッグを作って知り合いなんかに買ってもらってたんだけど、あんまり商売のセンスがなくて。それで、小売りの経験を積みたいと思っていたところ、先輩がトーキョーバイクで働いていて、声をかけてもらって、働き始めました。
トーキョーバイクも、「3年間、小売りの勉強させてください」と入ったんですけど、会社が成長していくフェーズでいろいろと面白くて、なんだかんだで10年くらい働いたんですよね。どうも、思っているよりも長居してしまう癖があるみたいで(笑)。
──居心地がよかったんですね。
そうですね。でも、ちょうど10年くらい経つにあたって、本当に僕がやりたいことというか、「好きなことはなんだっけ」って改めて考える時があって。ちょっと伝わりにくいんですけど、「絶対的な価値はない」っていう感覚が好きなんだと気がついたんです。状況や見る視点次第で、そのモノ自体は変わらないのに、価値がどんどん変わるっていくのが面白い。
たとえば日本であれば水は100円ぐらいで買えるけど、砂漠のど真ん中であればすごく高い価値がついたりする。そのモノ自体は同じなのに価値は変わる。そんな感覚が仕事につながらないかなと考えた時にひらめいたのが、アップサイクルでした。
自分もメーカーに勤めていたこともあり、モノを作る際に廃棄されるものが結構ありそうな予感があったので、そういった価値がないとされてるモノや、価値をあまり見出されてないものからプロダクトを作るのが生業(なりわい)になればなっていうので「ニエンテ」を始めたんです。
分かりやすい例が、「うるしのうちわ」というプロダクトです。漆を器などに塗る際に、塗料の中の不純物を取り除くための濾(こ)す作業があります。その時に使ったフィルターで、色やシワ感がとっても味わい深いんですが、普段は何気なく捨てられるんですよ。それを分けてもらい試行錯誤する中で、ある日ウチワにしたらいいんじゃないかとひらめき、ウチワ屋さんをいろいろ探して、香川でウチワに仕立ててもらっています
こんな風に普段職人さんが捨てているようなものでも、ちょっと見方を変えたり手を加えたりしたら誰かの役に立つようなプロダクトができたらと。思いついたら「やりたい」ってなっちゃう性格なんですよ。それで「トーキョーバイクを辞めます」と伝えたら、お店を始めてもプロダクトが何もなかったので、暖簾分けのような形で引き続きトーキョーバイクの自転車を売らせてもらっています。
──いい会社ですね。
そうですね。それまでの関係性もあって。自転車だけじゃなくて、雑貨や使い勝手のいい道具なんかも徐々に増やしていきました。近所の人に親しんでもらえるような、気の利いた店になれたらいいなと思うので、「ニエンテ」のプロダクトと並行して僕なりにグッときた商品もいろいろセレクトしています。
なかでも「MOONSTAR(ムーンスター)」というメーカーの「810s(エイトテンス)」というシリーズはとくに力を入れてます。ムーンスターが介護用やキッチン履き、南極調査団などの靴づくりで培った専門靴のノウハウを生かして、機能は残しながら普段着にも合うようデザインし直したのが「エイトテンス」です。
今まで業務用として作っていたのを、ちょっとデザインを見直して違う価値を生み出してる感覚がいいなと思ったので、全種類を扱わせてもらっています。おそらく全種類を置いているのは、世界でもうちだけなんですよ。
60歳まで細長く続けられるといいな
──店名の「ニエンテ」は、どういう意味なんですか?
イタリア語で「何もない」という意味です。絶対的な価値はないっていう意味を込めて付けました。
──今のお仕事、楽しいですか?
楽しいですね。楽しいです。売り上げ以外のストレスはないですね。もう全部マイペースでやらしてもらってるんで。
──なんか「ニエンテ」というか、見城さんの間口が広いというか、「世田谷十八番」を置かせてもらってるのもそうですが、来るもの拒まずのような感じがするんですけど。
5年前にお店をやるにあたって、もうこれから実店舗を構えた小売りは難しいというのは分かってたんですよ。なんでもネットで買えるし、僕も買っちゃうし。でも僕は実店舗には違う可能性があるんじゃないかなって思って。モノをただ売り買いするだけじゃなくて、地域やいろいろな人が集まれるスペースというか、単純に寄り合ったりご飯食べたり、身近な人の居場所になるような、そういう場にしたいと思ったんですよね。
それで今も、もちろん断るものは断るんですけど、面白そうだなと思ったことは割と「やっちゃいなよ」というか。何かやりたいけど場所がないっていう人には「どうぞどうぞ」という感じで使ってもらったりしてますね。僕もそれを面白がっているというか。
──お店はいつ休みなんですか?
週5で営業していて、水木が休みです。実質、木曜日も店に来て作業してたりするんですが。
水曜日は完全にオフなので、午前中はサウナに行って、昼過ぎに小学生のせがれが帰ってくるので、せがれと一緒に遊んで、ご飯を作って家族で食べてみたいな。割と平凡ですね。
──家事の分担とかは?
妻は朝が早いんで、僕はご飯の支度などの朝担当なんですよ。それで片付けを済ませてから出勤という感じですね。帰りはみんなが寝る頃に帰宅します。夜はせいぜい洗濯物を畳むくらいです。
──何度か「ニエンテ」さんで自転車を直してもらったり、ちょこちょこ見城さんとお喋りしたりして僕なりに思ったのが、ものすごい軽やかさがありません? 身軽というか。なんなんですかね、その秘訣は。
んー、常識っていうのはないんだっていうのが、スタンスになってるのかもしれないですね。人に迷惑かけずに、喜んでくれたらいいなって思ってるんですけど。
──「常識はないんだ」って、場合によるとやんちゃなほうに行くというか、逆に人に迷惑かけるのもありみたいになっちゃうこともあるじゃないですか。でも見城さんの場合は、廃材に光を当てたり、誰かに喜んでもらったり、そっちに向かうのがすごいなって思うんですよ。アナーキーなほうに振り切る人もいるのに。
んー、詐欺師の人とかすごく頭を使ってると思うんですけど、そのエネルギーをまっとうなことに使ったら喜ぶ人多いんじゃないかなってよく思うんですよ。「誰かを蹴落として自分だけ這い上がろう」なんかも同じで、人を喜ばせるほうにエネルギーを使ったら、ちゃんと評価されるんじゃないのっていつも思っちゃいますけどね。そっちのほうが最終的に得じゃないですか。
──僕はバランス感覚なのかなって勝手に思ってます。「常識なんてない」ってところから、無軌道な方向に行かないのは、バランスのとり方がいいんだろうなと。
どうですかねぇ? 一応、商売っていう枠組みの中で生きてるので、「そこまでやったら売れないだろう」っていうのは考えますよ。あと、自分がもともと好きなのは、ニュートラルなものというか普遍的なもので、あまり奇抜すぎないので、誰にでもフィットするというか。誰が使っても使い心地がいいものが割と好きで、それも関係あるかもしれません。
──なるほど。そこの「枠」みたいな部分って、振り切り過ぎないためにも大事かもしれないですね。
そうですね。商売やサービスの目線ですかね。店で扱っているものでも、「あの人、こういうのだったら喜んでもらえそうだな」とか考えて、少しずつですがチューニングしてます。
──今後の「ニエンテ」というお店も楽しみだし、見城さんの動きも楽しみですね。
そうですね、楽しみです、僕も。どうなっていくか。60歳まで続けられるといいですけどね。家賃もかかるし大変なんですよ、甘くはないですよね。理想だけじゃね。でも、細長く続けられるといいなと思っています。
インタビューの後で
インタビューを終えてから見城さんと近くのお店に打ち上げじゃないけど、飲みに行った。見城さんはその時、禁酒中だったけど「こういう機会がないと行かないので」と付き合ってくれた。禁酒を「ちょっと思いつきで」始めたのもこの人らしいなと思った。
こっちがワインや日本酒なんかをぐびぐび飲んでいる横で、ノンアルコールビールを飲みながら、楽しそうにいろいろと話をしてくれた。イタリアに行くためにお金を貯めていた時、たまたま知り合ったおじいさんと仲良くなり、その人のお宅にしばらく居候していて、数年後にそのおじいさんが亡くなった時は、世話をできる人がいなかったから遺品整理を手伝ってめちゃくちゃ大変だった話とか。サバが大好物で、でもエビを食べるとアレルギーが出てしまうらしく、毎年1回「ひょっとして治ってるかも」と食べてみるけどもやっぱりだめだっていう話とか。最近仏教に興味があって、仏教関連の本を教えてもらったりもした。まだ読んでいないけど。
インタビューの後も、「ニエンテ」のInstagramを見てると、相変わらず面白そうなイベントをちょこちょこしていて、みんなでピザを食べたり、クレソンを売ったり、数秘術を披露したり、自由で楽しそうな様子が伝わってきた。それを見ていると、また「ニエンテ」に立ち寄って、見城さんとゆるくお喋りをしてみたいと思ってしまうのだった。
この原稿の報告を兼ねて、チャリをこいでまた行かないと。
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