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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉞~ピアサポート

前回まで

自分の病気のこともオープンにしての再出発。いわば「ピアスタッフとして」、第一歩を踏み出しました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉝~何度目かの再出発|せっと|note
はじめのうちは自分の当事者経験の活かし方、どういった感じで自己開示していくかみたいなところで試行錯誤していました。
それでも徐々にちょうどいい感じに自分の経験の差し出し方がわかるようになっていきました。
その職場で、さらに自分の当事者経験を活かせるような働き方ができるようになります。
今回はそのあたりのことについてお話ししていきたいと思います。

ピアサポーターとともに

転職した先の事業所でピアサポーターのなかまとつながれたことは大きかったです。
県からの委託を受け、事業所として精神科病院に入院している患者さんの退院支援、地域移行を行っておりました。
そしてそのためのピアサポーターが事業所には所属していました。
私がその活動を任されることとなり、ピアサポーターと一緒に病院訪問や同行支援などの地域移行につなげるための活動を行うようになります。

私は職員という立場で一緒に動いていましたが、気持ちの上では自分もピアサポーターの一員、彼らの仲間である、というところが強かったように思います。
彼らと月1回の定例会などで「どうやったらもっとピアサポーターの活動が盛んになるだろう」、「どうやったらわれわれの活動を広めることができるだろう」などといったことについてああでもない、こうでもないと話し合う時間はとても充実していました。
仲間と協力して何かを創りあげようとしている、創っていくわくわく感を感じるとても楽しい時間でした。

自分の経験が武器に


自分としてはこのころ自分の精神疾患の当事者経験が活かせていることにとてもやりがいを感じていましたし、ピアサポーターの仲間たちとそれこそピアサポートし合える関係を築くことができ、お互いがお互いを支え合うピアサポートを感じることができていたように思います。
仲間から元気をもらい、そして自分も元気を与えることができていたのではないかな。
まさにピアサポートで繋がれていました。

そのうちわれわれの活動はどんどん盛り上がっていき、事業所内だけにとどまらず地域へとの広がりをみせはじめます。
もっとわれわれにできることはないか、今後どのように活動していったらいいか、などを休日に会議室を借りて自主的に集まり、話し合いを重ねていきました。

自分たちでなにかやろう


その中のある一人から「地域に根差したピアサポーター」、という言葉が出てきました。
さらに気軽に地域で集まれたり、過ごせたりできる場があればいいのでは、なんて感じに話が発展していきます。
「何かわれわれにもできることがあるのではないか」、「われわれの活動、存在をもっと知ってもらえたら」、なんてことをみんなで話し合ううちに、そのような場所がないなら自分たちで創ってしまおう、ということで盛り上がりました。
結果「ピアサポーターがいる」、ということを打ち出してこころの病に関心がある方々の「いばしょ」を始めることもできました。
けっして順調にというわけではありませんが、多くの方の支えられながら現在まで月1回の開催を続けていくことができています。

この活動はぶっちゃけお金に繋がる活動ではありませんがそれよりも大切な多くのなかまとつながれる活動であり、自分にとってもかけがえのない「いばしょ」になっています。
この活動を始めてから仲間もすごく増えましたし、それに伴って自分自身もどんどん元気になっていったように感じています。
そんな状態であったのでこのころは体調も安定しており、通院は2週間に1回デポ剤をあいかわらず打っていましたが、「もう薬は必要ないのではないか」、なんてことも思っていました。

今回はここまで。振り返ってみると今の活動につながる芽生えがこの時期でしたね。
いろんなことが動き出しはじめました。この後どんな形で花開いていくのでしょうか?いや、そもそも花開くのでしょうか?
次回以降にお話ししていきたいと思います。

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