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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑩~社会人デビュー

統合失調症になっちゃった・・・

前回までの投稿で、私がやるかやられるかの世界を生きていて、どのように戦っているか、お分かりいただけたのではないかと思います。
やるかやられるかの世界を生きる|せっと|note
私は統合失調症の診断を受けているのですが、私の中では統合失調症の症状というものは、自分に見えているやるかやられるかの世界とは関係がないものだと思ってきました。

それでは私が感じていた統合失調症の症状とはどのようなものだったか・・・20代後半で精神科に通い始め今に至るのですが、今回から複数回に分けて、私の生きてきたストーリー、どんな経緯で統合失調症と診断されどのような症状があったか、言ってみれば「私が思う統合失調症の症状」、についてお話ししていきたいと思います。

社会人デビュー

 わたしは大学卒業後、販売の仕事に就きました。時期的には1990年代後半のことです。比較的順調に社会人生活をスタートさせることができていたのではないでしょうか、入社後ほどなくして店長に抜擢されました。

 ところが店長になったとたん、生活面や仕事面が一変してしまいました。店長として行わなければいけない業務量が非常に多かったこと、そしていきなり初めて経験するようなそれらの膨大な業務量をこなし、指示を出し、判断しなければならなくなったのですね。

 いってみれば社会人になって最初に目の前に立ちはだかった高い高いハードルであったのかもしれません。店舗勤務時代にはそれなりに個人売り上げもあげていましたし、販売業務以外の、例えば商品発注や店舗のレイアウト、品ぞろえに関する提案などといった店舗業務もかなりのところまで任されるまでになっていたため、自分としては自分のことを「結構できてるんじゃないか」、なんて思っていました。そのため店長になったとしても十分やっていける、もっといえば「やっと自分に光が当たった」、くらいにとらえていたように今となっては思います。

何かがおかしい・・・


そんな自分の自信が崩れ去るのは一瞬でした。配属先の店舗に着任したものの、「自分のスキルが全く通用しない」、「何をやったらいいかわからない」、そんな状況に直面し、かなり焦ったことを覚えています。
 それよりも何よりも自分にとって最も堪えたのは、店舗勤務時代とは全く態度が変わった店舗マネージャーの存在でした。売り上げが立たないことに対して、店舗レイアウトに関して、発注に関して、等々・・・別人か、と思うほどあたりがきつくなり、もちろん自分が至らなかった部分も多々あったとは思うのですが、過度なプレッシャーをかけられる日々、かなり理不尽な指示も多かったように思います。

 当時はまだまだ「ブラック企業」、という言葉や「パワハラ」、の概念も今ほど浸透していませんでしたし、もともと会社自体が体育会的な体質でもあったため、「根性」、「気合」、「たたいて鍛える」、みたいな雰囲気も漂っていました。自分にとっても初めての会社であったため、これが普通なんだ、この中で生き抜いていかないといけないんだ、としか考えられなかったため、必死でくらいついていっていました。


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