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#13 「言語の自然な学び方」を読む

研究のヒントがあると思い、セレスタン・フレネの著書を探すことにした私。
フレネの著書である「言語の自然な学び方」(訳:里見 実)を読み、要点や感想をまとめました。

セレスタン・フレネという人物

新教育運動の創始者とされる人物。
フレネ自身はフランスの僻村の生まれで、少年時代は羊飼いとして過ごす。
フランスでは貧しい出自であったが、師範学校へ進学。
在学中に第一次世界大戦に従軍。
戦傷により帰還し、以降は故郷近くにある村の教師となる。

当時の学校教育は権威主義的、時には体罰も厭わない指導が当たり前だった(と文面からは推察される。)
しかし、フレネは戦傷により、力で子どもを抑え込む事ができなかった。
フレネは、戦争による悲惨な体験と肉体的なハンディキャップから、反権威主義的な教育実践へ向かう事になったとされている。

フレネの一貫している点としては
「子どもを語り手の座に置く」という理念。
教科書や、世間一般が考える「授業」でなく、子どもの経験や感動を語ること、「自由作文」に意義があり、その活用としての「学校印刷機」とされる。
「自由作文」「学校印刷機」による活動を、「学校間通信」として遠く離れた地の学校と共有する。
また、教育活動、自身の故郷の自然や暮らしを調査する活動を担う子どもの自治組織、学校協同組合と呼ばれる仕事集団を重要なレパートリーとしている。


フレネ教育

前半は既存の教育プログラムに対する痛烈な批判。
フランスの権威主義的な、画一的な教育、また行動主義を単純化された教育技術としている。

子どもが人工的な、機械的な学び方に晒されて学力どころか、人間性を失っていると言わんばかりの印象。

娘バルの無秩序な線引きから描画、書字に至るまでの過程を分析し、人間の学び方を説明している。

初めは理解が足らず、プログラム学習としての、スモールステップ法もバルの成長過程と共通性を見いだせるのでは?と考えたが、
新たな力を身に着け、ステップアップした先では、しばらく高原を歩き、そこから更に一段の上昇を果たすという着眼は、スモールステップでは測れない成長の飛躍があることを示唆しているようにも感じた。

フレネ教育においても行動主義的な指導アプローチは行っているが、既存の教育プログラムを真っ向から否定するものではないと補足している。

また上記について、以下のようにも述べている。

学校印刷機は確かに偉大な進歩である、とわれわれは言ってはばからない。だが、われわれはそれを万能薬と見なしているわけではない。そのように勝手に決めつけてわれわれを批判したつもりになっている教育者は、じつはわれわれの仕事をまともに研究したことがないことを告白しているにすぎない。われわれが一更ならず自分たちのテクニックを方法視することを忌避して、それを自由で創造的な仕事(勉強)のテクニック、真なる教育に奉仕する手立てにすぎないと主張してきたことを、彼はあらためて再考すべきなのだ。

セレスタン・フレネ「言語の自然な学び方」P.210


フレネ教育の象徴とも言える「学校印刷機」に関しても、あくまでも教育活動上の選択肢の一つでしかないことを強調している。

よくICT教育に関する研修では言及される部分ですが、ICTを使うことが目的と化してしまう失敗をしてはならず、われわれは何を育てたいのかにまず着目しなければならない。

何を育てたいかを見た上で、発達段階や各人がもつ学びに向かう動機や意欲、本人の内から起こる学びに向かうエネルギーが必要であり、フレネとしては教師が与える教材はあくまでも教師が与えたものにすぎず、子ども自身が発するものにこそ本来の教材たる価値があると述べている(ように感じた)


なぜ「学校印刷機」「学校間通信」

当時は学校へ印刷機を導入する流れがあった事が一つ。

他者との交流の中に、社会と繋がり、各人より内なる欲求が湧き立ち、自ら学ぼうとする姿勢が形成される。

これはトップダウン的な、伝統的な、教え込み型の授業では到底身につくものではないとしている。

学校間通信は遠く離れた地に住む生徒と文章という形によって繋がることができ、そして遠方の生徒のリアルな世界観が広がり、自身のまだ知らぬ世界を取り込んでいく動機づけとなる。

フレネが生きた20世紀(前半)から、70年以上が経過する現代。

他者と繋がるというキーワードは、その本質こそ変わらないが、インターネットの発達が他者との繋がり方と密接に関わるようになった。

フレネが生きていて、インターネットを、SNSの存在を知ったら何を思うのか。また、何を考えるだろうか。
そんな思いに駆られるところ。


まとめ

・フレネ教育は伝統的教育、教育技術を至上とする教育に対する痛烈な批判が根底にある

・しかし、教育技術を否定しているのではなく、フレネ教育自体にも一般的にいう教育技術は選択肢の一つとして用いられている

・教育は、子どものもつ学びに向かう内なるエネルギーを大切にするべきであり、他者とのリアルな繋がりに、呼び起こす力がある

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