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台風がくる前日のような

(2019年9月4日の夜、
 明日はがんの生体検査の結果を聞きに行く、という夜に書いた文章です)


子どもの頃、台風がくる前日、ちょっとだけワクワクしませんでしたか?

いえいえ、大人はそんな不謹慎なことを言ってはいけません。
大きな被害が出るかもしれないし、人の命がかかっているわけですから。

でもね内緒の話ですが、私は55歳になった今でも、ほんのちょっと
台風が来る前はワクワクするんです。あ〜、言っちゃったよ。
怖いよりも、好奇心が勝っちゃう感じ。
そして、明日2019年9月5日「がんの生検組織診断」の結果が出るという今夜も
実はそんな感じなんです。恥ずかしながら・・・。

胸にしこりを見つけ、ネットで見つけた乳腺専門クリニックに行ったのは8月23日。3Dマンモグラフィーって最新機器で出た結果は「形がいびつ」で「血管を巻き込んで」て「ちょっと堅いところ」がある、ってことで「今日、生体検査しておきましょう」。局所麻酔で胸をほんのちょっと切って、組織をとる。

ちなみにこの検査の時、先生が「局所麻酔をしますが、歯医者の麻酔みたいな感じです」とか「こんな音がしますが、驚かないでくださいね」と、本当に細かく丁寧に説明してくれ、その通りに検査が進んだ。この10〜20分程度の検査で「この先生は信頼できる」と完全に思い込んだ自分にびっくり。
で、この時に、先生は先生で私の様子を見ていたと思う。落ち着いている、と感じてくれたと思う。率直に話してくれた。

「先生はどれくらいの確率でがんだと思われますか」
「う〜ん。9割の確率でがんだと思います」

そうきたか、というのが最初の感想。
「なぜ私が?」とか「まさか!」とかではなく、「そうきたか」って感じ。
神様がそういう時限爆弾を仕込んでいたとは知らんかった。
10月に行く予定の海外旅行のこととか、夫と子どもたちにどう言おうかとか、そういうことが頭をよぎったけれど、不安はほとんどなく。

9割がん、と専門医が言うんだから、結果を待つまでもなく、がんなんでしょう。
その日から関係者へのカミングアウトが始まります。
まずは医療系の会社に勤める娘。たまたまその日に東京から帰ってきたので、車を運転しながら「お母さん、がんかもよ」と告げる。娘は冷静に受け取る。わりと想定通り。
次は、10月のプラハ行きを予約していた旅行会社にメール。この4月に下の子も社会人となり子育て卒業、結婚30周年記念にプラハに行く予定で、9月2日には残りの金額を支払うことになっていた。がんの検査を受けているので、9月5日まで確定を待ってほしいと書くと、すぐに旅行会社からは温かいメールが返ってくる。
そして、次は私が勤めるクリニックの看護師長。彼女も甲状腺がん経験者で、私と同じ年で信頼できる友人のひとりでもある。そして次にクリニックの院長。これからどの道を行けばいいのか、分岐点ごとに強力なナビゲーターになってくれるはず。

求人広告の世界から、在宅医療のクリニックに勤めて7年目、ここにいたからこんなに冷静に「がん」という病気をとらえられるのだと思う。「命」や「死」や「病」はつねに私の身近にあり、患者さんを目の前にしないからこそ抽象的にそのことを考える機会に恵まれた。
でも、そういう経験がない夫や息子は?

いつ話そうか、本当に悩んだ。いつ、どんな風に?
8月31日、たまたま娘の会社の三者懇談があって!(3年目の社員の両親が呼ばれて本人や上司と面談をする。これはこれで面白かったけれど、また別の話)夫と東京に行き、娘と共にランチを食べた。ふたりで話すよりも、娘が一緒にいる時の方が夫も冷静に聞いてくれるのではないか。そんな風に考えた。そして、もしも彼がうろたえれば、がんの人が何でも相談できる「東京マギーズ」に連れて行って看護師さんに話をしてもらおうとまで考えて、話を切り出す。ランチを食べながら、あくまでも自然に、さりげなく、内心とってもドキドキしながら。
「実はね、この前検査に行ってきたんだけど、乳がんかもしれなくて」

「・・・・・・2人に1人はがんになる時代だからな」

冷静!!すいません、あなたをみくびっていました。そういえばあなたは立ち会い出産の時も、泣き出したり、うろたえたりする父親が多い中、しっかり見つめて「昔、保健体育の映像で見た通りだった」と冷静だったね。思い出したよ。
ありがとう!冷静に受けとめてくれて、本当にホッとしたしありがたかった。

その後、治療がはじまると休みをもらったりして迷惑をかけることになるクリニックの仲間たちにも何人かに告げてみるが、みんな冷静に温かく受けとめてくれる。そうそう、がん、ってそれくらい当たり前の病気になってきたよね。
だから、いまの私に「がんと向き合う」とか「がんと闘う」とか、そういう言葉はない。そんな大げさなものにとらえずに、ただ淡々とまじめに必要な治療をしよう。そして治療中も仲間や家族と向き合って仲良くしながら、日常生活を暮らしたい。ボクシングのリングみたいな闘いの場所である病院にも入院するだろうけど、自らグローブ持つわけじゃない。

人は明日交通事故に遭って死ぬかもしれない。蜂にさされて死ぬ人だって、側溝に落ちて死ぬ人だっている。人はなかなか死なないが、あっけなく死ぬ動物でもある。
だから、たとえ余命宣告を受けたとしても(そんな大げさながんじゃないと思うから、こんなこと言うのも恥ずかしいけど)、「余命1年です」って言われたとしても、それが私にどれくらいインパクトを与えるのか、いまの私にはわからない。
(こうした命の話はなかなかしにくいが、がんになった、であろうことのメリットは、当事者として語る権利ができたかもしれない)

死は怖くない、なんて言葉は不遜な感じがするから言わないけれど。
誕生と死は神様の領分だから、それを軽々しく扱っては絶対にいけないけれど。
神様の領分だからこそ、自分ではどうしようもなく、やってきた時に受け入れるのだと思う。
がんは治療が痛いだろうなぁ、苦しいだろうなぁ、と思うと憂鬱にもなるけれど・・・。
それでも、どうしても好奇心が勝っちゃうんだな。

「天気予報では明日は台風がやってきます」
さて、さて・・・。

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