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イメージなんて幻想ならば、変えていける〜子宮とおっぱいを無くして考えたこと〜

47歳の時に子宮筋腫の手術で、子宮を全摘した。
子宮筋腫は20代からあったが、生理のたびに出血がひどくなっていき、その頃には数値だけ見ると輸血が必要なほど貧血がひどくなった。
筋腫だけとるという方法もあった。
「この年齢で筋腫だけとっても、またすぐに筋腫は出てきますからね。筋腫がある人は閉経も遅いので、また筋腫が大きくなっていきますよ。子宮をとっても卵巣はそのままなので女性ホルモンが急激に崩れることはありません」と医師からは全摘をすすめられていたが、抵抗があった。・・・なんだろう。
今さら三人目の子どもを産みたかったわけではない。やはり女性のシンボルをとってしまうことへの抵抗だったのかな。
筋腫だけとる予定で進めていたが、入院の日になって「先生、やっぱり子宮全摘にしてください」と決心できた。

・・・私は忘れっぽくって、過去のことはよく覚えていない。友達や家族からは、思い出話のしがいのない人として、いつもがっかりされる。
こうしてnoteを書いているのも、今わたしが思っていること、考えていることを書き留めておかないと明日には忘れてしまうからに他ならない。

そうそう、そして子宮を内視鏡手術で全摘した。それくらいの事実は覚えている。
脇腹にわずかに残るふたつの傷跡のみが手術の痕。
採取した子宮は膣側から取り出しているそうだ。術後に「内視鏡の手術ですのでモニター映像を録画しています。見ますか?」と医師に聞かれて、
もちろん見ました。
これもよく覚えていないが、赤くて生々しくてテレビ映像みたいで、きれいだったことだけ記憶に残っている。

子宮をとりたくなかったのは、ネットで調べてみると、それをきっかけにうつ状態になった人を何人も見かけたからだ。女性として自信が持てない、そんな風になるのはイヤだったし、心配だった。

・・・で、私は子宮をなくしてどうだったのか。

快適だった〜!!
当時は貧血がひどくて長い階段など、途中でひと休みしないと上れないようになっていた。手術後はスキップしながら上れる勢いだ。
生理が重たかったから、長い会議などは本当に不安だった。生理がないとは、なんと快適なことか!!
生理がないのでいつ閉経したのかもわからず、更年期もほとんど感じることなく55歳を迎えた。
あまりの快適さに、喪失感なんて全然感じなかった。
女性にとって大切な子宮を無くしてからも、
私が女性であることも、私の日常も、私の健康もまったく変わらなかった。

55歳の秋、乳がんでおっぱいを2つとった。
「両方にがんがあるのと、MRIの画像をみると他にも点在しているように見えるんですね。これも全部とった方がいいと思います」
医師に両側全摘をすすめられ、その通りにした。
早期ではあったけれど再発するなら3年以内という進行が早いがんだから、とにかく治療することを優先したかった。

そして、おっぱいを残す、ということにこだわりすぎたくなかった。
おっぱいだけが女性じゃないわ、とフェミニズム的な思考も働いたと思う。

今では少しずつ増えている「同時再建」という方法もあったが、しなかった。
同時再建とは、乳房をとる手術と共に新しい乳房を再建する手術をしてしまうことことだ。
いまは同時再建は保険診療で行えることになっている。これは、多くの先輩たちの働きかけによってやっと実現した尊い道だ。大切な乳房を病気によって無くし、それによってメンタルや社会活動に影響が出ている人たちも多く、もっと容易に再建できるようにしようという願いが叶えられた。
けれども、それは私の中にモヤモヤしてものを残していた。

おっぱいがないのは病気なの?なぜ、女性はおっぱいが無くてはいけないの?
おっぱいがないと、なぜ女性はそんなに傷つかなくてはいけないのか?
ふくよかなおっぱいを持つ「女性らしさ」とは、作られたイメージだ。
機能としては、子宮は子どもを出産するための、
おっぱいは子どもにお乳をあげるためのもの。
出産して、育児も終わった私には、その機能はすでに必要ない。
「女性らしい身体」が勝手につくられたイメージであれば、
自分の中のイメージさえ変えれば受け入れることができる。そう考えて手術に臨んだ。

けれども、実際には手術後の自分の姿に私は傷ついた。
柔らかなものがあった場所には、15センチほどの赤い傷跡が残った。
男性のようになるのだとイメージしていたが、そうではなく
胸骨体と呼ばれる肋骨を束ねている骨が一番前に出て
そこから肋骨に沿うように少しえぐれたように皮膚がのっている。
もともと肉付きがよいので、その下にポコンとお腹が出ている。
他人からどう見られるかではなく、
「女性らしさのイメージの喪失」とかそんなものではなく、
傷つき醜い姿になった自分にダメージを受けた。

抗がん剤が始まってからは、これまた女性のシンボルと言われる髪の毛をなくした。手術前の私の髪は美容師泣かせの髪量を誇り、背中まで伸びた髪を毎日カーラーでゆるく巻いていた。それもすべてなくなった。(これはすぐに戻るけれどね)

「女性らしい」というイメージシンボルをすべて無くした。

人はイメージの中で生きている。
「女性らしさ」だって「自分らしさ」だって、「自分はこうありたい」というのだって全部イメージだ。
けれどもこれは事実ではなく、単なるイメージであり一種の幻想だ。頭の中で描いたイメージなのだから、頭の中で変えることができる。
喪失を乗り越えるのではなく、
喪失した後の自分をどう受け入れ、どうこの状態に慣れ、
喪失の後の自分自身のイメージどう作るか。
新しいイメージ、新しい物語をつくることで、自信を持って生きていける。

手術後しばらくはブラジャーにパットを入れて着けていたりしたが、
いまは何も着けていない。
乳房が無くても生きていける、という私の新しいイメージの中で
他人の目を気にして偽物の乳房を着ける、というのはどうもしっくりこない気がしている。けれども今はちょっと「強がって」振る舞っているが、
これもそのうち自然に落ち着いていくだろう。
背中を丸めず、スカーフで胸元を隠さずとも、
もっと胸を張って(笑)生きていけるようになるだろう。
始めていかなくちゃ、慣れていかない。

人が描く女性のイメージをすべて無くしたとしても、それでも私はおんなです。
女じゃなくなったわけじゃない。
ただの傷だらけのおんなです。




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