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『近畿地方のある場所について』の話 3

私が『近畿地方のある場所について』を書くに至った裏話的なものです。
本編を知らなくてもお読みいただけます。
※Xより転載


 私の大学時代の卒業研究のテーマは「恐怖感情を他者に伝える際の身体表現」でした。 その内容は、被験者が短いホラー映像を見て感じた感想を、第三者に言葉で伝える際のジェスチャーに、どのような傾向が現れるのかというものでした。研究の内容は、細部は変更していますが概ね作品内で書いたものと同じです。
 この実験の中で被験者のうちのひとりが「霊を見た」と言いました。 同じ学年でしたが別の学部の女性でした。 女性は、自分が話をしている間、黒い影が見えたと言いました。
 その影は人型で、天井に逆さの状態で四つん這いの体勢を取っていたそうです。 影は、片手で天井を叩き続けていました。 影が天井を叩くのに合わせて、女性には「ドンッドンッ」と音が聞こえていたそうです。
 もちろん私には影の姿も見えず、その音も聞こえていませんでした。研究棟も新しい建物で、特に曰くなどもありません。 私はこの奇妙な話を研究室の仲間達にしました。 皆、論文執筆の息抜きに聞いた怪談話として盛り上がっていました。 それ以来、仲間の一人は、友人と開催した飲み会などで度々この話を披露していたようです。

 ある日、その研究室の仲間は自宅の賃貸マンションでサークルメンバーと宅飲みを開催し、この話を披露しました。 今や洗練された語り口で大いに場を沸かせていたとき、上の階から大きな「ドンッ」という音が聞こえました。 出来すぎたタイミングに、語り手を含む皆が本格的に恐怖したそうです。
 数日後、その仲間の部屋のポストに管理会社から手紙が投函されました。 その手紙には「周辺の部屋から騒音の苦情を受けているので、気をつけてほしい」と書かれていたそうです。 騒音がこの話と関係があるのかを知るすべはありませんでしたが、それ以来、この話はしないことに決めたそうです。

 私が思うに、単にその仲間は連日友人を招いてバカ騒ぎをしていたせいで上の住人から苦情をもらっただけなのだと思います。 黒い影にしても、怖い映像を見せられてその話を説明するという非日常の中で、被験者が霊感を得たような気になっただけなのでしょう。
 現に私はこの話を色々な人にしていますが、特に怖い思いをしたことはありません。 余談ですが、実験の中で「映像にない場面」の説明をはじめる被験者も何人かいました。 恐怖感情というものは人の想像力をたくましくさせるのだという知見を得た研究でもありました。


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