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『近畿地方のある場所について』の話 2 

私が『近畿地方のある場所について』を書くに至った裏話的なものです。
本編を知らなくてもお読みいただけます。
※Xより転載


 私が大学生の頃の話です。 大学から近いという理由から、私は祖母の家に一時的に身を寄せていました。 祖母の家は山のふもとにあり、少し住宅地を離れると舗装されていない山道に出るような場所でした。
 当時私は陸上部に所属しており、毎日その山道を利用して坂道ダッシュというトレーニングを行っていました。
 私が坂道ダッシュをする山道の脇には、古ぼけた神社がありました。 苔むした狛犬が両脇に立つ階段を数段のぼると狭い広場があり、ボロボロの小さな本殿があるだけの簡素な神社でした。私はよくその階段に腰かけて水分補給などをしていました。 あるとき、何かの拍子に階段をのぼって本殿まで行ったことがありました。 朽ちた賽銭箱と茶色くなった綱が垂れ下がった鈴、その奥の本殿の扉の前の少しのスペースにお供え物がしてありました。
 それは、小さなせんべいでした。スーパーなどでよく見る、大袋の中に個包装にされたせんべいが入っているものからひとつを取り出してお供えされたようでした。 袋の感じからもそこまで古いものではなさそうでした。 こんな人気のない神社にも誰かがお参りに来ているんだなとは思いましたが、そのとき私は別段気にとめませんでした。
 何日か後、たまたまいつもと違う時間に私がその参道でトレーニングをしていると、神社の境内から誰かの声がしました。 階段の下から様子をうかがうと、老齢の男性の後ろ姿が見えました。 その男性はなにかに怒っていました。 怒鳴り声に近い声で、神社の本殿に向かってなにかを罵り続けていました。あきらかに様子がおかしかったので私は、忍び足でその場を立ち去り、その日は帰宅しました。 翌日、その老人がいないことを祈りつつ、いつも通りの時間に山道へ行きました。 老人はいませんでした。
 しばらくトレーニングをした後、私はふと気になって、その神社の本殿に寄りました。老人がなにに怒っていたのかを知りたかったのです。 ですが、案の定、本殿の扉はいつも通り閉じており、そこに老人が怒る理由は見当たりませんでした。 ただ、お供えされていたであろうせんべいが袋に入ったまま粉々に砕かれていました。 恐らくあの老人が砕いたのだろうと思いました。

 翌日、同じ時間に私は山道へ向かいました。 トレーニングの後、神社の本殿へ向かいました。 そこには、新品のせんべいがお供えされていました。 次の日、また私は神社へ寄りました。 せんべいは砕かれていました。 翌日にはまた新品のせんべいがお供えされており、その翌日には砕かれていました。

 私は怖くなってトレーニングのコースを変えました。 それきりあの神社へは行っていません。 神になのか、人になのか、なにかに怒り続けていた老人が怖かったのはもちろんですが、同時に、執拗なまでに祈りを捧げ続けていたであろう顔の見えない誰かの存在が恐ろしかったからです。

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