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『近畿地方のある場所について』の話 5

私が『近畿地方のある場所について』を書くに至った裏話的なものです。
本編を知らなくてもお読みいただけます。
※Xより転載

 私が小学生の頃の話です。 学校の正門の花壇の脇に「戻ってくる石」と呼ばれる石がありました。 小さな柵に囲まれた花壇の隅に、少し場違いな大きめの石が置かれてありました。
 その石はいつから置かれていたものかはわかりません。 ただ、移動させてもその場所に戻ってくるといいます。 例えば、ケイドロの起点にするために、校庭に移動させても必ず次の日には同じ場所に戻っています。
 いつからか、その石は同級生の間で語られる怪談話に使われるようになりました。 実は石には幽霊が憑りついている。だから、夜中になると花壇にひとりでに戻ってくるのだ、と。 上級生が度胸試しとして、わざとその石を校庭の端の体育館倉庫の裏まで持って行って隠したという話も聞きました。
 ただ、私の記憶では、石はいつも変わらずに花壇にありました。 移動させられても戻ってきていたのだと思います。 登下校の際に、ふざけて石を踏む同級生もいました。 「血だらけの女の人が見える」と言って近づきたがらない女の子もいました。
 ある日、どういう理由かは憶えていませんが、私は帰りが遅くなったときがありました。 下校時刻がとっくに過ぎた校内を同級生の友達と二人で歩いていました。 校門近くまできたとき、あの石のそばに人影が見えました。 それは、老齢の用務員さんでした。
 用務員さんは、薄暗いなか手についた土を払っており、なにか作業をしていたようでした。 それを見た私の友達は用務員さんに言いました。 「おっちゃん、その石さわったら呪われんで」 用務員さんは応えました。

「そうか。だからいたずらされるんか。ええか、これはな、お墓なんや」

 私と友達は怪談が信ぴょう性をおびてきた興奮と恐怖で「うわー」と騒ぎました。 用務員さんは気にせず続けました。

「職員室で飼ってる金魚が死んでしもたときに、埋めてあげてるんや」

 その意味を理解した私たちは途端に後ろめたくなりました。 不謹慎な噂に。それを怪談として語っていた自分たちに。 今思えば責任転嫁だったのでしょう。私は言いました。 「でも、〇〇ちゃんとか、この前ふざけて踏んでたで。それならちゃんと金魚のお墓って言うたほうがええんちゃう?」
用務員さんはなんともいえない顔をして言いました。

「でも、おっちゃん、先生とちゃうからなあ」

 用務員さんがどんな気持ちで言ったのかは、わかりませんでした。
 ラベルを貼ることは対象の見方を単純化するうえではとても役立ちます。 ですが、同時に危険も孕みます。 「不条理なことはおばけの仕業」「この人はきっとこんなタイプ」「社会的位置づけとしてこうあるべき」 本当に怖いのは、ラベルを貼ることで安心して、本質を見失うことなのかもしれません。


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