子ハル日和 ♯001

令和三年二月三日、子供が産まれた。
名をハルと言う。(本名ではないがそこはプライバシー的に)
124年ぶりの立春生まれの、ハルだ。
私にとって初めての子供。
里帰り出産をした妻の傍にいるでもなく、
私は東京のファミレスで昼ごはんを食べながら、仕事をしていて、報告を受けた。

その瞬間のことをなんと語るべきか、私には今もわからない。
事実だけを述べるなら、滅多に泣かない自分がわずかばかり涙を流し、
ただただ、すごい、と思った。
妻のように腹を痛めるでもなく、何ヶ月もその重さと共に過ごすわけでもなく、
傍らにいるしかなかった自分に、父親なんて意識が芽生えるのか、
それまでに不安がなかったかといえば嘘になる。
だが、その瞬間、何かを本能的に理解した。

今思うに、それをかっこつけて、飾った言葉で、
私の実感として語るなら、
これが人間で、これが生命なのだということだ。
人間の生命としての摂理、自然の循環の巡り。
はるか祖先から、今に至るまで、自分がここにいる理由を
言ってしまえばチープな、いわゆる一つの奇跡としての、
親と子という一つの生命の最小単位を、理解した。
自分がまるで覚えちゃいない、自分が生まれた瞬間を、
あるいは父や母の誕生を、思い出したような感覚だ。

そう、こうやって俺たちは生まれるのだ。
これまでも、これからも、ずっとそうなのだ。
こうして一つの新しい人生が、始まるのだ。
世界を見て、何かを感じ、出会いと別れ、夢を見て、恋をして、
苦悩と挫折、時に歯を食いしばり、
それでも喜び、笑えることもあるこの世界を生きるのだ。

文章を書いて、物語を描いて、
そうやってどうにかして生きていくことを選んだ自分が、
君に何かを書かないわけにはいかないと思い続けて
早9ヶ月。
気づいたら秋が終わり冬になろうという状況だ。

これはいかんと思ったわけでもなく、
ただふと、今なら書けるかもしれないと、
こうしてキーボードを叩いている。
令和三年十一月九日、深夜二時二十四分。
仕事が終わらず気もそぞろに風呂上がりの君を寝かしつけ、
残業を進め、風呂に入り、皿を洗った。
イヤホンからはamazarashi。夕陽信仰ヒガシズム。

ハルが聴いたら古い音楽に感じるのかもしれないが、
amazarashi、良かったら聞いてみてくれよ。
俺の人生の一つの救いになった音楽さ。
そんな物語をいつか語るよ。

「子ハル日和」
これは口下手な父ちゃんが、君に贈る、ちょっとした物語だ。
君と僕と母ちゃんのありふれた特別な物語だ。

気取ってるだろう。
とても読めたもんじゃないと閉じてしまうかもしれない。
まあそれでもいい、所詮は自己満足のためだ。
仕事として文章を書いてるわけでもないんだから、ちょっとは許してくれよ。

なるべくたくさん書き残せるといいけど、
あんまりがんばりすぎても続かないものだ。
ゆるゆる行こうじゃないか。

ああ、ひとつだけ忘れずに言わせてくれよ。

生まれてきてくれて、ありがとう。

何百万言費やしても、言いたいことはきっとたったこれだけ、
この一言だけだと思う。
君がこの先どれだけ絶望にまみれても、
思い出せよ。
覚えてないだろうから、ここに書いとくよ。

一日中、寝て、泣いて、ミルクを飲んで、吐き戻してうんちして、
寝返りひとつ打てやしない、人間誰もがそんなもんだったんだ。
それでいいってことよ。
少なくとも親ってのは、つまるとこ、
そう言う瞬間から一緒にいるんだから、
君がどれだけどうしようもなくなっても、
まあ大抵のことは屁でもないってわけだ。

そう言うことだから、その辺よろしく。
なんてこと、面と向かっては言えないもんだろ。
だからこうして書き残しておくんだ。

おっと、襖の向こうで君がぐずっている。
寝相の悪い君が布団を縦横無尽に転がるもんだから、
俺の寝る場所はいつも布団の端か畳の上さ。
そろそろ筆を置くとしよう。

それでまた次の「子ハル日和」で。





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