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べき弾、ねばならない砲の的を手放す

『純自分のど真ん中を生きる』
これは現在私の柱となるテーマです。

『純自分のど真ん中を生きる』と決め、
そこに照準を合わせて、自分の中のズレやブレを無くしていく、ということを一つひとつやっていく。
コツコツですが、楽しい作業でもあります。

なのですが、その前にまず、私の純など真ん中ってどこ? ということです。自分でもよくわからなかったんですよね。
私の本流はどこ? って。
そんな訳で、色々と試しながら手探りで自分ど真ん中に戻る道を辿っています。

だがしかし!
自分に正直になり、自分を大切にし、自分の気持ちを優先してみる。
これを指針に生きてみるって、いきなりすんなりとは行かないらしい。

なぜなら、私の中に古い『べき』『ねばならない』という考えがあるからです。
世の中にも『べき』『ねばらなない』が溢れている。そしてそれは私自身を縛るなぁと感じました。

自分に正直になり、自分の気持ちを大切にして、何かを手放し、新しい何かを決めようとする時に、
「おいおいえーんかい、それで。〇〇するべきなのに、えーんかい。それは自分勝手じゃあないんかい」
と、私の中のどこかから〝べき弾〟が飛んできます。そして自分に当たる…痛い…

それでも進もうとすると、
「社会の中で生きるには、人はやらなければならないことがあるよー。みんなやっていることだよー。常識だよー。自分勝手だねー」
みたいに、今度は外側から〝ねばならない砲〟が飛んできたりすることがあります。
私の中にそれと同じ〝ねばらなない〟という考えがあると、外からの〝ねばならない砲〟がそこに命中するのですよねぇ。
で、ハートがざわざわしたりめっちゃ痛かったりします。

気づけってことですよね。
私の中にそういう考えがあって、先に進みたいならそれは手放す必要があると。
「それ、もういらないんじゃあない?」とその出来事は私に伝えてる。
その考えが悪いものということではなくて、ただ、今の自分に必要かどうかだと思います。

もちろん手放しますよ。
その気満々ですから、手放します!
さようなら。今までありがとう。

でも、まだなんか繋がってる…絡まってる…
相手(考え)も捨てられないように必死みたいです。
という場合もあります。

そして、その〝べき&ねばらなない〟で、私の中にかなりの大物があるんです。
だいぶ手こずりながら、ほんの少しずつ前に進んでいる感じです。
私も覚悟を決めて向き合っています…

それがななななんと本日天啓が…
友人(私の女神)の言葉で一気に視点を変えてもらったんです。

「それ、宇宙の流れに乗ってるんだよー。
    時代の先端をいってるー。すごいよー」

だいぶ端折りますが、友人は、私の話を聞いてくれたあと、そう言いました。
今、読んでいる本の中に現在の私の状況を説明しているような箇所があり、話を聞いていてそれを思い出したと、そこを伝えてくれたのです。

それは、一般的な日本の〝常識〟からすると、新しい〝考え〟新しい〝やり方〟新しい〝在り方〟でした。
だから友人は「最先端をいってるー」って、言ってくれたのです。
なんと軽やかな女性ひとよー。

友人の発する軽やかなエネルギー(本当に発している)とその言葉と共に、

えっ?  
そうか私は最先端なのか。
今の状況は産みの苦しみでもあるわけか。

と、〝古い考えから抜け出したくてもがく私〟から、
〝最先端を走る私〟へと、一気に飛んだのを体感しました。

状況は何も、何一つ変化していないのに、視点が、捉え方が変わっただけで全てが一変してしまいました。

波動領域が変わるとはこういうことかもしれない。

女神、ありがとう〜。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように。







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