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No.12 ~体のこと~自己共感とコヒーランスで自分に寄り添った一カ月

昨年の11月の頭からひと月ほど、私は自己共感とコヒーランスで生き延びた。本当に。

その二つがなかったら、ハートと頭が爆発していたような気がする。

表面上はそうでもなかったかもしれないけれど、内側は、だいぶ混乱や動揺があったと思う。

自己共感というのは、NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)の講座で学んだ、自分自身の内側で今起こっている感情を感じ、そこに寄り添う、という方法だ。(超略式説明)

コネクションプラクティスで使うクイック・コヒーランスは、
・頭にある意識を心臓の辺りまで下ろし、
・意識を心臓(ハート)に集中し、
・心臓から呼吸をするようなイメージで、
 ゆっくりと呼吸を繰り返す。(五秒で吸って、五秒で吐く)
・その後、心臓(ハート、胸の辺り)を、感謝や愛や喜びの気持ちで満たす
 
 という方法。(感謝が一番コヒーランス度が高くなるらしい)

これは、脳~心臓~身体を同期し、気持ちや体を落ち着かせてくれる。
免疫機能も上がるそうだ。

私は10月に年に一度の定期健診を受け、その検査結果で、肺に大豆1.5大の影が見つかり、至急精密検査を受けるよう勧められた。
その時に画像も医師と一緒に確認し、「ここですよ」と言われた。

看護師さんに、
「至急精密検査の予約を取ってくださいね。なるべく早くしてくださいね」と念押しされ、医療関係者がそう伝えるような案件なんだなと思った。

肺? 肺なの? 本当に? 以外な個所だ。
じゃあ他なら以外ではないのか? と言うと、うーん……だけれど……。

自宅からそう遠くない、大学病院で検査を受けようと思った。
ウェブサイトで診療科の情報を見たら、同郷の医師がいた。記された出身大学からそう思った。
予約はその医師にしよう。たんじゅーん。

予約は約三週間後。
とても長い三週間だった。
早く検査を受けてはっきりさせたいような、
ずっとその日が来なければいいような。

検査当日、診察室でお会いした医師は、HPの写真よりもずっと柔らかい印象だった。声も、話し方も、穏やかで誠実そうで、少し緊張していた私はスッと安心した。

まず、健診センターでもらった画像を医師と確認した。
医師が「この辺りかな」と言って指さすけれど、なんだか違う気がする。
もっと下の方で、もっと大きい影だった。気がする。

「まぁ、もう一度X線も撮ってみましょう」と言われ、
診察後、直ぐにX線とMRIの検査室に向かった。

本来ならば、MRIは予約が必要で、
別の日に改めて来院する必要があるのだけれど、
「別の日に来るのも大変ですよね」と、
その日に全て終わらせましょうと言ってくれた。

心の中で「同郷の先生ありがとう。この医師を選んで良かった」
そう思った。
結果をあまり先に延ばせないということもあったのかもしれない。

「MRIは予約の方々がいるので、少し待つかもしれません」
とのことだったが、そちらもすんなり済んだ。

「 画像診断は専門の医師がしますが、そちらが詰まっているので、お時間がかかるかもしれません」
と 言うことで、院内のスターバックスで本を読みながら1時間過ごした。

診察室に戻ると、検査の画像と共に医師が待っていた。

「大丈夫、何もありませんよ。安心してください」
と優しく医師に言われた。

その言葉を聞いて、本当に心底安心した。泣きそうになった。
何にかわからないけれど、感謝が込み上げてきた。
憂いのない心、心の健やかさ……

「色々とありがとうございました」
お礼を言って、診察室を出た。

私の体の中で何かが起こっているのかもしれないと知ったその時から、
真っ暗闇の中で迷子になったような気持ちだった。
今までの日常とは景色が全く変わったような感覚。

今、私はどういう状態なのだろう。
どこに向かえばいいのだろう。
どうなるんだろう。
家のことは? 何を整理すればいい?
取り敢えず、息子の受験が終わるまでは黙っておこう。

健診では、はっきりと診断されたわけではなく、
疑いの状態だった。
もしかしたらそうかもしれない。もしかしたらなんでも無いかもしれない。あやふやで宙ぶらりん。

途方に暮れ続け、不安や恐れや戸惑いや、何だか分からないもの達が
ずっと気持ちを掻き回す。

私に出来たことは、自己共感で自分の感情に寄り添うことと、
コヒーランスでハートと繋がることだけだった。

感情が痛すぎて、重すぎて、自己共感もコヒーランスも出来ないことも度々だった。
その時は、そこにある感情と体が発する感覚をただじっと感じ続ける。
苦しいけれどそれしか出来ない……

でもそのおかげで、感情に振り回されず、思考に振り回されず、
今のことも、近い未来のことも、頭で考えて心配し過ぎることがなく過ごせた。
何より、湧いてくるどんな気持ちも否定したり、蓋をしたり、
見ないふりをしたりせずにいることが出来たと思う。

感じよう。全部感じ切ろう。
それしか出来ることはないし。

嘆く自分と、出てくる感情を感じ切るチャンスだよ、と思う自分。
状況を憂う自分と、大丈夫、何ともないってなるから、と言い切る自分。

一度、NVCの共感的コミュニケーションを学んだ友人に話す機会があった。
彼女は黙って私の話を聞き続けてくれた。
そして、私の気持ちに寄り添ってくれた。
励ましも、助言もなく、ただ、寄り添ってくれた。
有難かった。

長い長い一か月だった。

つくづく思った。
命は永遠ではないということ。 
知ってはいたけれど、
初めて私自身の目の前に突きつけられた。
この生はいつまで続くかわからない。
自分で決めることも、選ぶこともできない。
私は本当に限りのある中で生かされているのだな。
今、私は悔いなく生きているだろうか。
この命を使い切りたい。
そう思った。

Love & Peace,


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