鉄パイプの十字架(短編小説)

伊澄の鉄パイプ工場が倒産した。その町は、伊澄の社長とその従業員の町だった。伊澄社長は、工場が倒産するまで、その町の神だった。その息子の伊澄健二は、神の息子だった。
しかし、工場が倒産したために、伊澄社長は自殺した。そして、健二は、ててなしの子どもになった。

工場跡に、従業員の子どもたちがいた。子どもたち十数人は、社長の息子である健二を、取り囲んでいた。

「おい!お前の父ちゃんが屑だから、工場は潰れたんだ!」直樹が健二に言った。すると他の子どもたちも、「そうだ!そうだ!お前の親父のせいで、俺たちの親は失業者になったんだ!」と言った。

しかし、事実は、そうではなかった。工場の専務であった、直樹の父親と、工場長であった、隆の父親が、先頭になって、工場の金を横領し続けたために、工場は潰れたのだった。そして、直樹の父親と、隆の父親は、横領の全ての罪を、社長である健二の父親になすりつけて、多額の金を、自分たちの懐にしまっていた。

「お前の親父が会社の金を横領したせいで、工場は潰れたんだ!社長だからって生意気だったんだよ!」横領をしていた専務の息子、直樹が叫んだ。
「そうだ!そうだ!この屑が!お前の親父は自殺したが、それだからって、工場の金を盗んで、工場を潰して、俺たちの親を失業者にした罪は、消えないぞ!」横領をしていた工場長の息子、隆が叫んだ。
「そうだ!そうだ!お前も罪を償って自殺しろ!磔になれ!」直樹と隆の子分たちが叫んだ。
「…」健二は何も答えずに静かにしていた。健二の父親(工場の社長)は、横領などせずに、誠実に仕事を果たしていたことを、健二は知っていた。しかし黙っていた。
すると、直樹の拳が、健二の顔面に飛んできた。ガツン。目に星が散った。鼻奥に、鋭い痛みが走った。ついに健二は殴られたのだ。
しかし、それでも健二はじっと耐えていた。
直樹は、健二が黙っているのを見て、腹を立てた。(澄ました顔をしやがって!こいつは昔からいつも社長の子だと言っては、格好つけてやがる。今日はその余裕ぶった仮面を徹底的にはがして、無様に泣き叫ぶ姿を見て、笑ってやるぞ!)と思った。
「おい!浩一、お前、殴れ」と直樹は浩一に命じた。浩一は、健二の親友だった。
浩一は、ブルブル震えていた。ここで殴らなければ、自分がリンチの対象になると思った。そして、浩一は、恐る恐る、健二の顔を引っ叩いた。
「もっと強く!」直樹が命じた。
浩一は健二を殴った。
「もっと!」
殴った。
「もっと!」
殴った。
「もっと!」
殴った。
「もっと!」
殴った。もはや命じられなくても、浩一は健二を殴り続けていた。そして、浩一は、健二を殴りながら、涙を流して三日前のことを思い出していた。

三日前の学校の帰り道、浩一は健二に確かに言ったのだ。
「俺は、お前の親友だ。絶対に裏切らないよ」
「ははは。ありがとう。俺は浩一に殴られたって許すよ。うん。絶対に、許す。俺たちは親友だ」健二は言った。

そして、現在、浩一は本当に健二を殴っている。(許してくれ。許してくれ)そう思いながら、拳が痛むほど殴っていた。その後ろで、罪人の子どもである直樹と隆と群衆は腕を組んでニヤニヤ笑っていた。浩一は、(もうダメだ、これ以上は殴れない)と思って、殴るのをやめて、工場の外に一目散に逃げて行った。すると群衆どもはゲラゲラ大笑いした。

直樹は、工場の社長室だったところから、立派な社長椅子を持ってきた。本革の背もたれのついた、紅の椅子だった。
そして、その椅子に健二を座らせた。健二は殴られてぐったりして、そこに座った。

「みろ!跡継ぎの社長さまだ!」直樹が言った。すると、群衆はゲラゲラ笑って「跡継ぎさまだ!御曹司さまだ!」と言って、健二を馬鹿にした。
「おい!社長の息子だったら、自分で自分を救ってみろ!」
「そうだ!そうだ!お前の父ちゃんの権力はすごいんだろ?」
「いつも偉そうにしやがって!」

そして、直樹と群衆は、健二を立たせて、十字形に作られた、巨大な鉄パイプの前に、彼を連れてきた。その十字の鉄パイプは、縦の高さは二メートルあった。そして、真ん中よりやや上くらいに、横のパイプが備えられていて、そのパイプの長さは、百六十センチあった。
群衆は、その十字の鉄パイプに、健二を縛りつけて、磔にした。荊棘で冠をつくって、健二の頭にかぶせて、「ぎゃはははは。社長の息子さまだ」と笑った。

まだ昼の最中だというのに、工場の窓から光は入らずに、なかは薄暗かった。窓から覗くと、外では雪が降っていた。暗く、灰色の、雪だった。ぼたぼたと、工場跡の荒れ地を真っ青に凍てつかせて、身体の底から冷えつく寒さ、罪の子たちの残虐が、外の世界に季節外れの雪を招いた。

「さあ!自分で自分を救ってみろ!」直樹が健二に叫んだ。しかし健二は黙っていた。隆は、葡萄のジュースを、健二の頭にかけた。色の濃い葡萄水は、健二の血と混ざって、紅色になった。

リンチが始まってから三時間が過ぎた。時刻は二時四十分を過ぎている。ごろごろと雷がなった。

そこで健二は叫んだ。
「お父さん!お父さん!どうして僕を見捨てたんですか?」
最後の息を吐き出して死んだ。

そのとき、工場の窓ガラスが真っ二つに割れて、大地が揺れた。信じられないほどの揺れだった。さらに天がわれて、光がスッとさして、天使が十字架の健二の上に降りてきた。天使は、無垢の子羊の魂をあたたかく包み込んで、彼と共に天に昇っていった。
罪の子らは、その恐ろしい光景を震えながら見ていた。地震は数分間つづいた。工場の天井からたくさんの瓦礫が落ちてきて、罪の子の頭を砕いた。また、棚が崩れて、べつの罪の子の身体を潰した。また、地割れに落ちて、またべつの罪の子が死んだ。

阿鼻叫喚の地獄だった。

しかし十字に磔られた、健二の死体だけは、うつくしいままだった。

最も罪深い直樹と隆は、しかし、怪我ひとつせずに、地震を生き抜いた。
「俺たちが、俺たちこそが、生きるのだ!」直樹は勝ち誇って言った。そして、ほかの罪の子らの死体を見て、直樹と隆は大笑いした。
「俺たちだけが、生き残ったぞ!」

そして津波がやってきた。直樹と隆も海の藻屑になって死んだ。工場も、子どもたちの町も、すべて海の底に消えた。

震災後、鉄パイプに磔になった少年の死体が見つかった。発見者である自衛隊員たちは、その死体と鉄パイプの十字架を見て、なぜだかわからないが、とても悲しい気持ちでいっぱいになった。そして、手を合わせて、その場で祈ったそうだ。

村人は全滅した。工場は跡形もなく消えた。もはや、あの日、少年たちに何があったのか、知る者は誰もいなくなった。

しかし、その土地には、かなしみだけではなく、無垢の人の清廉の名残りがあった。今では、子どもたちのために、慰霊碑が立っている。そこを訪れた人々は、子らの冥福を祈って、みな手を合わせずにはいられないのだった。

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