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Sの日記

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記事一覧

6月9日の日記


具合が悪い。最近、6月だというのに、寒い。海に行けなくなった。雨がしとしと降っていて散歩に行けなくなった。寒さのためか、肌荒れがぶり返した。痒くて仕方ない。
具合が悪いときに本音が出る。ちょっとしたことに苛立ったり。「冬の、体調が最悪だったときにまた戻ってしまうのではないか」と不安になったり。
痛みと痒みが身体中をかけめぐっている。痛みと痒みに想いが乗る。


不調に対して想いが抵抗する。抵

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6月8日の日記


よくみると綺麗なもの。トマトの赤色。胡瓜の緑。胡麻の形、黒色。


家庭菜園の野菜には値札が貼られていない。単純だ。
育てる、売る、買う、ちょっと複雑だ。
育てる、分け合う、食べる、単純だ。


金や法律って面倒だ。
ルールは文法だけで良い。


文法は、良い。学ぶほど言葉の世界が明瞭になっていく。


「言葉は、まどろっこしい。素直に、物事を感じるだけで良い」とも最近思う。
言葉を使

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6月7日の日記


物事を偏見で評価するのは、容易い。
物事を理解するのは、難しい。


理解したと思っていることの全てが、実は誤解かもしれない。しかし、「自分は理解しているのだ」という思い込みが強固であればあるほど、誤解は修正されず、その思い込みに沿うように、現実が営まれていく。


宇宙に対する個人的な誤解を「現実」だと思い込む。思い込み(幻想)を「現実」と誤認するところに、人間の悲劇がある。


ある

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6月6日の日記


最近、哲学の本を読むのが習慣になってきた。大量のページを読むのでなく、一行ずつ意味をほぐしながら読む。英訳、日本語訳をそろえて、英訳の方を音読する。
概念を脳内で解凍する、楽しい遊びである。
最近読んでいるのは、ヘーゲル『精神現象学』である。今年は『精神現象学』『純粋理性批判』『人性論』を読破したい(けれど、まあ、なかなか大変である)。


6月に入ってから3本ほど短編小説を書いた。5月中は

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6月2日の日記

今日も海に行く。天気予報では雨だったが、晴れていた。波も穏やかだった。人はほとんど誰もいなかった。

柔軟剤くさい本を四冊持っていく。
泳いでいるあいだ、本を砂浜に埋めておく。砂浜の砂を利用して、本から柔軟剤のにおいを取るためである。においが強烈な本の場合は、ページとページの間に砂を挟んでおく。
帰る頃に本の匂いを嗅ぐと、あのしつこい匂いがほとんど取れていた。
次回海に行ったら、別の臭い本を持って

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6月1日の日記


5月が終わった。6月になった。


楽建法という健康法がある。足で全身をマッサージする民間医療である。二人ヨーガとも呼ばれている。今日は、その楽建法の施術を受けてきた。


施術してくださった方は、非接種仲間でもある。例の注射や世の中のあれこれについて、同じ目線で、いや、私以上に深い目線で、話すことができる方である。
彼は絵描きさんでもある。じっと見てしまう絵を、彼は描く。彼とは芸術の話も

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5月31日の日記


精神的な引力と精神的な斥力に関するのメモ。

必要のない本を読もうとすると、心臓がざわつく。ざわついて読めなくなる。頭でどれだけ読もうとしても、心臓が活字をはじく。
心臓から発生する斥力。必要のないものをはじく力。
一方で欲望。知識を引き寄せようとする引力。必要のないものを吸い寄せる力。

斥力は胸の中心から、引力は胸の外側から生じる。

葛藤とは斥力と引力が同時に発生すること。ふたつの相反す

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5月30日の日記


たくさん詩を書いた。海に行ったからか、詩神を近くに感じる。海の浄化力で、心身の余分なものが脱力した、私は空っぽになった。空っぽのこころ、見通し良く、詩神のインスピレーションが直通で届く。そんな心地だ。


読みたい本が渋滞している。しかし、読みたいだけで読む時間がない。海に行ったり。砂に埋まったり。詩を書いたり。そんなことをしているうちに読書の時間がなくなっていく。


難解な哲学書が読み

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5月29日の日記


気温かなり高く、一日晴れていた。夏の日差しだった。
海に泳ぎに行った。日曜日だから人が多かった。家族連れが多かった。
砂浜、屋外、暑い気温、しかし、マスクをしている人が多かった。マスクをつけている人々が熱中症にかからないか心配だ。私はマスクをせず、裸足で浜を歩いた。
人の少ないところまで来て、海に入った。暑い日だ、水が気持ち良い。ちょっと泳いで、砂浜に戻って、持ってきた本を読んだ。本は『徒然草

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5月28日の日記

世界が不自然だ。自分自身も不自然だ。今まで確かにあると信じてきた世界が嘘のようだ。今までいると感じてきた自分も嘘のようだ。
今の自分と過去の自分が連続しているように思えない。確かに過去の記憶がある。その記憶から見ておかしくないように、つまり現在と過去(というか記憶)の整合性がうまく取れるように、今の世界と今の自分が存在している。しかし、実は今の世界と今の自分は、巧妙に捏造された偽物かもしれない。今

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5月26日の日記

今日も海に行く。
泳ぐ。泳いでいると、波が身体にぶつかるとき、いつも耳に水が入る。現在、やや耳が痛い。
中耳炎にならないように、今度海に行ったときは、耳に水が入らないように工夫しなければならない。耳に油を塗っておくと海水が入らないと聞いたことがある。次に海に入るときは、耳に油を塗ってから入ろうと思う。

私はなるべく(というか絶対に)病院に行きたくない。だから、健康管理はしっかりしなければならない

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5月25日の日記

海に行った。昨日も海に行った。二日連続。
浜辺の気温があまり上がらず、十五分程度しか泳げなかった。残りの時間は、砂浜で寝っ転がっていた。
浜で寝っ転がっていると、海が白んできた。白煙が海から上がっていた。火による煙ではない。水蒸気なのだろうか。空に浮いていた雲が下まで降りてきたみたいだった。波も少し強かった。寒かった。
なんとなく、海が人工物に見えた。不自然に感じた。世界すべてが作り物みたいで、現

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5月24日の日記

海に行った。朝早くから。海にはサーファーが数名いた。海水浴をしにきている人は私だけだった。
朝の十時過ぎに到着したが、まだ寒かったから、散歩したり、読書したり、波を見たりした。しばらくお日さまが強くなるのを待った。「入れそうだな」と思ったところで足から海に入り、徐々に腰まで水に浸かって、海中に潜る。海水の温度はまあまあ温かった。砂浜で座ったり寝っ転がったりするよりも、かえって海水の中で身体を動かし

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5月23日の日記と詩

散歩しながら詩を書くのが楽しい。最近の楽しみ。はたから見ると、歩きスマホにしか見えないのだろうけど。歩きながらふと湧いてきた想いを書き留めるのが好きだ。
下は今日の散歩中に書いた詩である。


感性を殺すほど読書してはいけない。

必要以上に読書し過ぎると、本の著者の考えをなぞることしかできなくなる。自分の感性を大事にしたいならば、読書し過ぎないことだ。


独りよがりになる孤独
自己を陶冶す

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