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ゲーム初心者「なんでマリオは何回も死ねるの?」

とか、「なんでこのバーが溜まらないと動けないの?」みたいな疑問は、割と”初心者あるある”らしい――と、聞いたことがある。僕の人生経験上、言われてみれば分からないでもない。

かつて初心者だった頃を忘れた上級者の皆さん、こう訊かれたらどう答えますか?

ゲームにあって、映画や小説に無いもの

聞いた話には続きがある。「なぜ初心者はこんな疑問を持つのか?」というと、「映画や小説のように”設定”しか存在しない世界しか知らないから」――とのことだ。

それに対して、マリオの残機制やATBバーといったものは、言わば”システム”にあたる。

上級者にとって「ゲーム世界は”設定”と”システム”で出来ている」ことは、意識しなくとも自明のことなのだが、初心者にとっては「全て”設定”になっていないとおかしい」――ということだろう。

(ごくシンプルなゲームだと”設定”が存在しないものもあるが、そういった例は目を瞑ってもらいたい)

同じことがアナログゲームでも発生している……?

と、ここまでデジタルゲームについて聞いた話を語ったが、ふと思った。もしかしたらアナログゲームでも同じことが発生していないだろうか?

例えば『人生ゲーム』は、「大金持ちを目指す」等の”設定”と、「ルーレットを回して出た目だけ進む」等の”システム”から出来ている。その意味では、よく見るデジタルゲームと同じ構造だ

つまり順当に考えれば、アナログゲームの世界でも同じことが起きるはず――

…………。

という気が全くしないのは何でなんだぜ?

デジタルゲームの画面から排斥されたもの

それは多分、デジタルゲームの画面にある変化が発生しているからだろうと僕は思っている。

「ゲームってリアルになったね」なんてもう聞き飽きたけど、それとは無関係……ではないが、ちょっと違う。リアルになったと同時に、ある物がこっそり排斥されてきたのだ(今のうちに言っておくと、だから良い/悪いという話ではない)。

それは”システム【感

『マリオ1』でゲームをスタートすると、まず真っ黒い画面に残機数が表示される。『FF1』の戦闘画面では、右側に仲間キャラが縦一列に並んでいる。

そういった画面は、否応なしに「ゲームは大なり小なり”システム”で占められている」という認識=システム感を僕らに植え付けていなかっただろうか。

しかし、あくまで傾向の話だが、今はこの”システム感”を画面から無くそうという流れがある。

ダメージ等の数値が表示されないゲームは多くなってきたし、『FF15』の主人公は戦闘中も自由に動き回る。もちろん、単純にCGが綺麗になったことも寄与していて(だから無関係じゃない)、リアルさの増大と”システム感”の減少は半ば表裏一体だろう。

デジタルゲーム初心者に生じる認識の齟齬

つまり初心者の目には、デジタルゲームが段々と「”設定”しか存在しない世界」に映るようになっているのだ。

僕のような人間は、決して”システム感”が無くても”システム”が消えたワケではないことが理解できるし、攻撃すればクールタイムがあってマリオが残機制という話はすんなり受け容れられる。

だが初心者はそうはいかない。アナログな自分の手でルーレットを回せば、「ルーレットを回す」という”システム”の存在を認識できるが、デジタルゲームではそれができなくなるのだ。

(言い換えれば、「昔のデジタルゲームでこの手の齟齬は発生しなかった」という話なのだが、そこら辺はどうなのだろう……?)

結局、なんでマリオは何回も死ねるの?

正直、タイトルの質問をされても、有効な返事を僕は持ち合わせていない。

端的に答えれば、「それは『人生ゲーム』に”なんでルーレットで進むマスの数を決めるの?”って言ってるのと同じ」だ。だがこれで納得できるぐらい頭がキレる人は、こんな質問をする前に自分なりの答えに行き着くと思う。

ま、こんなこと訊かれるような人生送ってないから、個人的には別にいいんだけどね。ガハハ。

よろしければ、是非お願いします。