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『Detroit: Become Human』感想 攻略ではないから、その選択は尊い。(ネタバレなし)

唐突だが、あなたには他人を安楽死させるスキル・道具・時間等が充分にあり、また誰にもバレずにそれができるものとする。

今、目の前に難病に侵された人が現れ、「生きるのが苦しい、生き地獄でしかない、安楽死させてくれ」とあなたに頼み込んできた。

A:安楽死させる B:安楽死させない

どちらを選ぶか考えてから読み進めて欲しい。

僕はこの手のアドベンチャーゲームに明るくないが、存外に面白かった。

(明るくないので頓珍漢なことを言うかもしれないけど御愛敬で)

アメリカのデトロイト州、人間そっくりのアンドロイドが実用化されている近未来が舞台。物語は3人のアンドロイド=主人公の視点を、行ったり来たりしながら進行していく。

基本的には3D空間内を歩き回り、要所要所で選択肢を選んだりして、その内容次第で話の展開が変わる……というゲームだ。

QTE風味の場面も時々あるが、アクションゲームというワケではないし、RPGのようなバトルがあるワケでもない。

そして何よりこのゲームには、明確なグッドエンドがない。

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例えば一般的なテキストアドベンチャーだと、「○○とくっつくルートを目指す」「バッドよりグッド、グッドよりトゥルーが良い」みたいなものがあると思うのだが(プレイ経験ほぼゼロなので妄想かも)、本作にはそういったものも全然ない。

バッドエンドめいた結末もちょっとあるが、「バッドエンドだ!」という感覚はなんか薄い。

一応「この展開なら手に入るトロフィー」とかもあるのだが、「単にトロフィーが欲しい」「全ルートをコンプしたい」以外の理由でそこを目指すのもなんか違う。

実は最初、主人公の1人が途中で死亡したのでクリア後にやり直してみたが、なんか虚しい。

この「なんか」、一体どこからくるのだろう?

さてここで冒頭の質問の話だ。

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あなたはどちらを選択しただろう? どのぐらい迷っただろう? 選ばなかった方の選択肢には、どんな正義があるだろう?

本作には、こういった「正しさの不明瞭な選択肢」がかなり目立つ。

そして独断と偏見だが、物語を大きく左右する場面ほどこの手の選択肢が用意されやすいし、その後の展開も「どちらが良かった/悪かった」とは言いにくいものが多い。

僕はテキストアドベンチャーを「攻略」するゲームだと予想している。

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「特定のルートや結末を目指して選択肢を選ぶ」というテキストアドベンチャーのプレイングは、「攻略」という観点で語られるし、「攻略」である以上は「正解/不正解」が存在する。

だが本作の選択肢には、正解も不正解もない。

だからその選択には、プレイヤーの信念だけが、純粋に反映される。

結果的に何が引き起こされても、それはプレイヤーが信念を貫いた結果、あるいは貫けなくても貫けないなりに足掻いた結果だ――たとえバッドエンドになっても。

ゲームから「攻略」という当たり前の要素を引き抜いた結果生まれたもの、それがこれであり、そして「なんか」だ。

このゲームの案内役は、「何があろうとやり直しをせず、一度エンディングまで辿り着いて欲しい」と語る。

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ゲーム内には膨大な可能性が用意されているが(全部で映画40~50本分ぐらいの脚本があるらしい)、そうやって辿ることができる道は、全体のごく一部でしかない。

それはさながら、人生の可能性からどれか1つを選ぶごとに、他の無数の可能性を全て切り捨てるかのようだ。

あなたはどうやってその取捨選択をしているだろう?

オープニングからエンディングまで続く足跡は、プレイヤーの信念の道。

攻略ではないから、その選択は尊い。

よろしければ、是非お願いします。