ヤドンから教わったこと

今回は闘病日記とは大きく離れた内容。

タイトルの「ヤドン」とは私の彼の別名。
雰囲気とマイペースっぷりがポケモンのヤドンにそっくりなのだ。どんなことがあってもペースを崩すところを見たことがない。

これが一番本人の雰囲気に近い画像。

そのヤドン似の彼と付き合って一年半になる。いや、正確にいうと絶縁してた期間があるから一年になるのか。今回はその絶縁についての話。

付き合うきっかけは彼が私に連絡をくれたことだった。当時、私は大好きな友人とすれ違い離れていってしまったことが辛くて不安定な心で日々を送っていた。彼はそんな私の様子を「儚げでそのまま消えてしまうのではないか」と感じたという。最初は他愛のない話から始まり、聴き上手の彼と話しているうちに、自然と辛さを共有しようと自分の心情を吐露していくようになった。

「心の軸が一本というのは芯が強いように見えて実はそうではない。その軸が揺らげば倒れてしまう。複数軸を持っている方が靱やかなのだ。軸を増やしてずらしていこう」彼がくれた助言はこれだった。今思うとまるでカウンセラーのような言葉だ。カウンセラーというか牧師のようでもある。

「スマホとPC、ゲーム機を捨て、違う世界をもっと見よう」と私は結論を出した。彼も賛同をしてくれた。が、直ぐに「スマホを捨て、ということは私と話が出来なくなってしまうんですね。それは悲しい。あなたと話してる時間は楽しいから」と言われた。嬉しかった。私も全く同じ気持ちだったのだ。ひねくれてるところがあるのに、自分の気持ちには素直なこの人をますます面白い人だと思うようになっていたのだ。
「話は継続したい」と連絡手段をより近しい手段に変えた。

話をしているうちに彼の方が私を意識していてくれたことが分かった。無論、私に成人する息子がいることも知っていたし、年齢や職業も把握していたので私自身は恋愛の対象にならないだろうと思い込んでいたので心底驚いた。当時はまだどこか疑っているフシがあり、一時の気持ちの盛り上がりだろうから会えば目も覚めるだろう…と自分にも言い聞かせていた。有り得ない、という気持ちが強かったのだろう。相手のことを今のように、まだ殆ど知らなかったから。一般的な男性と同様に考えていた。

しかし、一般的な男性と同様に考えていたのがそもそも間違いだった。

私はdiscordのようなネット通話という外見を見ずに声や文面から入る過程で外見を想像し、理想を重ねることをしない、というよりそういった想像力がないので出来ない。姿を見た=実体化した、と認識するだけで外見でガックリすることはない。
ちなみに逆はある。そんなドン引きするような外見ではないと思ってはいるのだが、物凄くいい女を想像されてしまっていた、というある意味心外だった経験は一度ある。今ではいい思い出だ。どこにそんな要素があったんだろうか。

彼もそこは私と同じタイプの人間で「ああ、ようやく触れることが出来た」という反応に見えた。
会って触れた瞬間に無邪気な、とても嬉しそうな表情を見せたのだ。そこから一般的な交際というものが本格的に始まった。

…が、それもつかの間。

別れは突然訪れる。
本人達の気持ちがどうであれ、周りの環境がそれを許さないことがある。先程「一般的な交際」と書いたが、私は交際の過程を交際期間を経て結婚か事実婚になるのは当然だと、ここでも思い込んでいたのだ。そこは彼も同じだったと思う。
その枠に収まることが出来ないと悟ったとき、彼から別れを告げられた。

「私は周りを裏切ってまであなたと付き合うことは出来ない。続けられない」
一夜にして態度が豹変したかのように見えた。

それを聞いて「あなたは第三者に何を言われても気持ちは変わらない、と言っていた。私に嘘をついていたのか」と言った気がする。
すると彼は「そうだ」と答えた。

瞬時に悲しさとショックで頭がボーッとした。

しかし、心のどこかで高揚感が湧いた。
「よくぞそこで自分らしさを貫き、私のために自分らしさを失わずにいてくれた。女のために自分を見失わない、これぞ私の愛した人よ」とワクワクする気持ちが込み上げた。

当時はその湧き上がる気持ちの正体が何だか分からなかったので「喧嘩を売られた瞬間の高揚感」と気持ちを処理していた。

彼は自分の気持ちを偽ることがない人なので、ここまで言い切ったからには通話もその場で一方的に切り、連絡手段を全て断ち、一切の関わりを捨てた。私は拒絶されたショックと悲しみで大きく心を乱して、突発的な行動に出る。その行動から股関節を痛め、体力が激減した今になって歩行が困難になってしまっている。
「やっぱトシだから治りも悪いよなぁ」という気持ちはあれど、何故か後悔はない。

先程、私は「拒絶されたショック」と言った。
当時は拒絶された、としか思えなかった。
一部の極近しい友人にだけ事情を話した時にもそう言った。

しかし、彼は拒絶したのではなかった。
絶縁したのだ。


この別れから数ヶ月後、彼とまた交際を再開し、その時に友人でもあり、父や兄のような存在でもある人と会って話す機会があった。
「拒絶と絶縁は違う。絶縁は相手を信じ、相手との縁を信じ、愛をもってしてでないと出来ない」
その人の言葉だった。

私は絶縁というものを知らなかった。
自分の気持ちより相手との縁や愛を信じるなんて想像も付かなかったのだ。
その大切な友人と彼は知っていて、実際に行える人なんだ。

それに気付き、彼に話してみた。
「あなたは当時私を拒絶したのではなかったんだ。縁を信じて縁を断ったんだね」
と言ったら、いつもと変わらない様子で
「そうだね」と答えた。

変わらない。つまり特別な行為ではなかった。
愛の深さと強さがなければ出来ない行為。
自分の浅はかさを恥じて、私も彼らのように人を愛せるようになろうと思ったのだった。


それから更に数ヶ月後。

私は癌を患い、普通の交際どころか当たり前のの人生を送ることすら疑わしくなってしまった。

でも、彼の様子は全く変わらない。
どんな姿になろうが、のんびりとこう言ってくれる。


I love you just the way you are.

この言葉を聞くと、生命力を貰っているような、心に強さが湧く。

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