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アークの中身は「十戒」ではなかった。

アークの中身のコピーが剣山に。

本来アークには「十戒」という戒めでなく、人類が平和に豊かに生きるための「知恵」が収められていた。それを後世の誰かが、ユダヤ教で人々を支配統制することを目的に「戒め」という形に作り変えてしまった。

モーセが神から授けられたのは「十戒」ではなかったのである。またアークはいくつも複製が作られている。日本の剣山に存在するという説も与太話ではなく、複製のひとつが祀られていることによるものである。

地球は50年から100年の周期で呼吸を繰り返している。今は呼気の終わりに当たる時期で、吸気とのはざ間にはエネルギーが大きく動き、災害や疫病の形で現れる。アークの中身はそういう今と今後の時代に必要な知恵である。

神道とユダヤ教。
 
日本人は、もともと自然を崇拝していたと同時に、<人格神>にアクセスする方法を知っていた。それは人間が超能力を増幅することを目的にした、神との交信、祈りの方法である。渡来人(ユダヤ人だけではない)は、これを真似て儀式化することで同じ能力を得ようとした。
 
この真偽は見分けることができる。儀式が終わったら更地に戻しているのが本物である。神と交流している動植物のためにも、人間が営んだ形跡を消すのが本来で、記録や足跡を残してしまうのは擬似物の方である。
 
人間が行う宗教は一種のエンタティメントに過ぎず、神に対しては”冒涜”である。伊勢神宮も顕在意識上の神、エンタティメントの神の象徴である。また神道の元がユダヤ教であるというのは間違いである。

神道は日本古来のアニミズムに、さまざまな渡来人の宗教が混じった結果である。キリストの十字架が伊勢神宮の地下に保管されてあるというのも真実ではない。
 
出雲大社は別次元の存在。
 
出雲大社のあるこの土地は、違う次元と重なっている。この土地に立つと、脳の折り畳まれている部分に(実際に)ある小さな穴から意識の裏側にアクセスが可能になり、魂のあり様が変化し、社会通念や倫理観念から解放され、異次元ワープが可能になる。未来人スサノオがこの地にやってきた方法がまさにこのアクセスであり、UFOを使う技術である。
 
未来に宗教はなくなっていない。
 
人は歴史の中に神秘を探す。それらの神秘が科学など何らかの方法で明かされても、好んでまた次の秘密を探す。人々は常に宗教の中の謎めいたものに惹かれている。その時代ごとの救いのシンボルとして、未来も信仰は途絶えていない。

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