見出し画像

愛を知る男、甘利田幸男。

ウェーイ夏休みだ!
というわけでもないのですが、連休をもらったので数年ぶりに映画を観てきました。
給食にすべてを賭けている教師・甘利田幸男(市原隼人)のコメディです。
なんでこの映画を知ったかというと、咳の発作がひどくて休んでいるときに、テレビをつけっぱなしにしていたらCMが目に入ってきたのです。
発作が激しくて周りに迷惑かけちゃうから、どこにも行けなかった時期です。咳き込むので、ご飯もうまく食べられなくて。
治ったら絶対観に行くんだとココロに決めてました。
復帰即猛然と働き、抜け殻と化した先日…ふと思い出したのです。
もう、公開されてるやん。
田舎だから、公開期間がめちゃ短いやん。
行かねば!
市原隼人さんはシリアスなアクション俳優のイメージだったけど、180度イメージが変わりました。
これ、完全にイケメンと筋肉の無駄づかいやわ(笑)。
急遽誘った友人も何の予備知識も無いのに楽しめたようで、良かった良かった。
テレビドラマから発展した映画の、しかも最終話だけいきなり観てしまったカンジですが、それでも楽しめるように作ってあるところはさすがです。
良質のエンタメは、こうでなくちゃ。
市原隼人さん演じる甘利田幸男の、給食愛が深すぎて笑いました。
キレッキレの動きで奇妙なダンスを踊り、おいしさを全身で表す甘利田先生(笑)。
海老反りのまま微動だにしない鍛え上げた肉体は、このためにあったのか(笑)。
眼鏡を取らないほうがイケメンなところも魅力です。小さな目が、かえってカワイイ気がしてきました。
ちょっとイヤミなイケメン町長の石黒賢さんが実にらしくてハマっていて、校長先生の小堺一機さんのとぼけた演技もいい味を出していて、全体にほのぼのした空気が漂っていました。
個性豊かな脇役のみなさんも、元気でカワイイ生徒たちも良かったです。
わかりやすさのためには「らしさ」をしっかり押さえた配役と演技が必要なんだなー。
理詰めで厳しく生徒に接する甘利田先生。
しかし給食時間に喜びのダンスを奇怪に踊る甘利田先生を、生徒たちは皆涼しい顔で食べ進めているところから、あの姿が日常茶飯事であることは間違いありません(笑)。← どうでもいいですが、大型インコの踊る姿に似てると思う
謹厳な態度をとってもいても、給食愛深過ぎの大変態だってバレバレだと思います(笑)。
なのにクールな顔で校門に立ってる甘利田先生…ぷぶぶ(笑)。
給食愛深き同士と目される生徒に対しても、一見塩対応なのです。
終盤近くにそのクールさに変化が現れるのは、心地よい演出でした。
かつての教え子と再会した余利田先生は、別れ際に少年の頭を、腕を伸ばしてくしゃりと撫でます。
この子は背が伸びたんですね。腕を伸ばさないと、もう届かないんですね。
さりげない動作に愛情がこもってるなー、と感じさせてくれました。
ラスト近く…甘利田先生はクールに接してきた教え子・粒来ケンに対しても、同じように頭を撫でます。
ここは愛情の開放区か!
ここまで抑えに抑えて謹厳な表情を取り繕っていただけに、隠された情愛の深さが滲んでるわー。
観ていて非常に心地よいものがありました。
観る人皆が、そう感じるかどうかはわかりません。
私は両親から正しい愛情を受けてきませんでした。
「間違っていない愛情とは何か」をずっと考え続けてきたので、余計に強く感じたのかもしれません。
父の私に対する態度は歪んでおり、特別視されながら隷属を強いられ、下手したら父の知り合いに売り飛ばされそうな雰囲気まで含んでいました。
そうしたことでしか地域社会のコミニュティに加われないと感じていた父は、哀れです。
そして愛情と性をバイパス手術で繋がれてしまった自分は、ひどく生きにくくなりました。
他人から受けた親切を、性愛サービスに近いニュアンスで返さねばならないのかと、逐一考えてしまうようになったからです。
映画の中で甘利田先生が頭を撫でたのが男子生徒だったので、私は安心して観ることができました。
「間違っていない愛情」として受け取ることができました。
撫でられたのが女生徒だったら、性的な状態を含んだものとして判定して嫌悪感を持ったかもしれません。媚とかあざとさ、含まれがちだからなー。
でも「おいしい給食」の製作陣からは、誠実さが感じられます。安い媚を持ってくるような、浅い演出はしないかも。
そんなことを考えながら映画を観つつ、自分がなぜBL的なものを書くのかを再確認させられました。
歪んだ異性愛を放射されてきた自分には、同性同士の濃い感情は(恋愛的なものであれそうでないものであれ)ある種の「聖域」たり得たのでしょう。
利益のない愛に、惹かれます。
無償の愛が、自分の聖域です。
師弟関係でも家族でもなんでもいいけど、見返りを求めない感情に浸されることが、自分には必要です。
しかも自分自身は恋愛の当事者でいたくなくて、傍観者として観たり書いているのがイイという歪み。
だって性の見返りとかキックバック前提での接近って、実にイヤなものです。
甘利田先生と比留川愛先生の接近は、微笑ましく観ていられたんだけどな。
お互い自然に惹かれ合って距離が詰まってゆく場合には、利益を享受する欲得が先に立っているわけじゃないから許せるのかも? ←許せるって、偉そうに何モンじゃ。
甘利田先生…メシマズ家庭に育ったから、究極の給食変態グルメに育ったって、ホントウですか。
甘利田先生…アルコール依存症の家族がいる環境で育ったからお酒が好きじゃないって、ホントウですか。
わかりみ深すぎるんですけど。
でも、先生の愛情は本物だった。
健康で文化的な最低限度以下の環境で育った場合、他者に与えられる余裕までない場合が多いと思うけど。
甘利田先生の指先から、目から、愛情が滲んでましたね。
愛を知る男…甘利田幸男!
ただの給食フェチじゃない!(笑)
こういう先生に、習いたかったなー。
でも現実にこんな人いたら、好きになり過ぎてしまいそうだからなー。
おとなしくイカ飯愛ステッカーをスマホに貼って、コッソリ甘利田先生を推そうっと。














この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?