◇特集【長寿企業に学ぶ】インタビュー1.株式会社 鮑屋
安土桃山時代からの流れを受け継ぐ老舗企業『鮑屋』。
相模湾で獲れた新鮮な海産物を食卓へ届けている。
仲卸を事業の柱として信頼を築き、加工製造、
さらには小売へと事業展開をしている。
長寿企業の秘訣を常務取締役の市川将史氏に聞いた。
4世紀に亘って築き上げた地元小田原での信頼
時代の変化を乗り越え 新たな事業展開も追求
― 創業時の様子を教えてください。
市川 創業は1587年、今年で434年になります。小田原の地で創業し、ずっと市川家の直系で続いています。
初代は市川六左衛門で、跡取りは13代目まで「六左衛門」を襲名制で名乗っています。明治時代、15代目市川敬太郎から襲名は止めて、現在17代目です。ずっと血筋で来ています。
江戸時代には小田原藩の約480名が江戸に出向する際に、鮑屋が魚を賄いました。お殿様からも信頼されていて、鮑屋を通して売買するようにとお触れがあったらしいです。まだ、名字が無い頃に、鮑の御用商人になったことで、鮑屋六左衛門と呼ばれていたようで、「鮑大臣」の異名も取っていました。
昔は、小田原で鮑が今よりもたくさん獲れていました。高価だったのか、小田原辺りの食として根付いてはいなくて、海のない山梨の名物になっているんですよ。北条と武田の交易の中で、小田原から海産物を持って行き、向こうからは銅などの鉱物を持って来ました。当時、甲州まで何日もかかるので、鮑を醤油樽に漬け込んで、馬の背に揺られて持って行きました。着く頃には程よく煮貝になったと。山梨では今でも、市川六左衛門が届けたと伝えられる「鮑煮貝」が名産になっています。
当初は漁師から買った魚を、「棒振り」と言って担いで、行商をしました。その後、漁をして網も張りましたが、今はしていません。
屋号は、藩から鮑の御用商人に指名されたので「鮑屋」ですが、荷印というのがあって、「さ」の一文字です。創業者の六左衛門の幼名「崎次郎」の頭文字をとり「さ」を荷印にしました。「さじるし食堂」というのも荷印が由来です。
― 現在の事業内容は?
市川 今は仲卸事業が経営の基盤で、売り上げの90%以上です。スーパー、ホテル・旅館、食堂などに卸しています。二つ目は工場での水産加工・製造事業。三つ目が小売り事業で、「さじるし食堂」や、小田原駅のミナカ小田原で「魚商(さかなや)小田原六左衛門」、芦ノ湖畔にスイーツの「箱根チーズテラス」があります。卸、製造、小売が事業の三本柱です。
小売り商品はオリジナルブランドが60種類ほどありますが、加工業はまだ13年目の後発事業です。他社と同じものを作ってもしようがないので、原料や味を変えて世にない新しいものを作っています。「王様の塩辛」が売れ筋で、普通はスルメイカを使うところを、当社はアオリイカを使って甘味を出し、食感を良くしています。
― 過去に経営危機はありましたか?
市川 卸売りが中心ですが、時代の変化に伴い、魚屋からスーパーに変化した時代は苦労しました。遅れをとらないように、いち早くスーパーとの取引も始めました。当時は魚屋さんからスーパーに売るなら買わないという不買運動があったことを聞いています。時代の変化に素早く対応することが長く続く秘訣であり、また同時に皆が良くなるようにしないと成り立たないですね。
特に最近は時代の変化が激しいので、同じことの継続だけでは駄目だと思ってやっています。収益の1/3は社員に還元し、1/3は内部留保し、1/3は新しいことへの投資に充てるぐらいのバランスを考えています。
実は1997年にヤオハンジャパンが倒産して、3億円の負債を抱えてしまい、長きに亘って経営を苦しめられました。ヤオハンの経営者とは親戚関係で、現社長の従兄にあたります。それが故にリスク管理が疎かになりそこまで行ってしまいました。
本当に長い時間をかけて乗り越えました。当時はヤオハンの売上比率が非常に高く、単に高額の負債を負っただけではなく、売上の半分ぐらいも無くした訳ですから、回復するのもとても厳しかったです。
卸の柱も大切ですが、他にも柱を作らないと、倒産のリスクが出て来ることも、その経験から学びました。
― 保守的になり過ぎず、チャレンジもしなければいけないのですね。
市川 私も失敗をして学びはありましたよ。小売り事業の初めに手巻き寿司の専門店を作りましたが、半年で閉めました。7、8年前には魚屋の小売業をして、これも一年で止めました。両方、一千万円ずつぐらい損を出しました。これは本当に勉強不足で、自分の本業に近い分野でやるのが良いと思ったのですが、やはり、餅は餅屋というか、これは大失敗でした。実際に高い勉強料でしたが、経験を積めて、血肉となりましたので、やってみて良かったと今は思います。
財務状況の学びで言うと、倒産するようなリスクのある投資はしないと。投資バランスというのは心がけるようにしています。失敗しても大丈夫な範囲内で行うと。額が大きくなっていって、初めてより大きなことができるという感覚です。
― 同族企業のメリット・デメリットは?
市川 不要な気遣いがいらないところはメリットですが、デメリットでもあって、他人であれば言わないようなことも言ったりして、喧嘩の原因になったりとかします。世代間の価値観の違いなどもあります。出店、撤退などの意思決定の速さはメリットに入るかもしれませんね。
事業承継についても順調ではない経験もしていて、実務や株の移行というのは数年前からしっかり準備をしているので、問題なくできてはいるのですけれど、数年前に古参社員が集団退職して、そういった意味ではうまくできませんでした。私が未熟だったと思っていますけれどね。
私が入社した頃は借金だらけで、潰れるから継がないほうが良いとも言われ、強烈に危機感を持っていました。時代が変わり、新しいことをやろうというスピード感や考え方に違いがあったり、説明不足であったりしたと感じています。
― 家訓や社訓などはありますか?
市川 10月1日から新たに「鮑屋」の代表に就くのですが、改めてこの代替わりに向けて、新時代を生き抜く指針みたいなものは今、作っております。
社会の価値観が「共生」という方向に変わってきている空気感を感じるので、こういったところを今後、経営の真ん中に持ってくることが必要だと思っています。
小田原は二宮尊徳さんゆかりの地で、「譲って損なく、奪って益なし」とか、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」など本当に良い教えがたくさんあります。この辺の経済と道徳の両立を図っていかなければならないと強く感じているところです。
― 地元小田原についての思いは?
市川 大商圏である東京に近く、箱根、伊豆などのマーケットもあります。また、相模湾の豊かな海があり、豊かな海の条件に山や川があって、栄養が豊富に流れて来る。小田原はそのすべてが整っていて良い漁場になっています。小田原には大企業はないですけれど、老舗の地場産業はいっぱいあります。
当社も地元との信頼があるから続けてできています。信頼は継承してきた一番大きな財産です。430年の歴史を考えた時に、本当に長い間、地域の人に支えられて、今日があると思いますので、少しでも地元の為に、街の価値を向上させる存在、企業でありたいなと思っています。
自分たちが納得できる、お奨めの商品だけを販売しているのが「六左衛門」、地魚を中心とした地元食材を使った飲食店が「さじるし食堂」、地元の観光ビジネスに近いところでの成功体験をしてみたくて、業種を問わず小売業にチャレンジしたのが「箱根チーズテラス」です。水産加工とはまったく違う分野で、学ぶことも多かったですね。
― 400年以上続けている秘訣と、今後の展望はありますか?
市川 話を聞く限りは、実直にやってきたからだと思います。市川家代々続いているということで、幼少の頃から市場に連れて来られて、商人として育てられている点が大きいです。堅実に来たと思います。
コロナ禍であったり、天災があったり、何が起こるか分からない時代で、テクノロジーの変化も早いので、製造、卸、小売をバランス良く成長させて、それぞれ独立できるような規模にして、一部分にダメージがあってもカバーできるような強い体制を作っていきたいと思っています。
—INFO
株式会社 鮑屋 (創業1587年)
神奈川県小田原市早川1-4-9
0465-22-5185
http://www.awabiya.net
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?