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◇東光西風【自他共存共栄の精神に基づいた生活運動で持続可能な社会を】

環境問題、経済格差、エネルギー問題、新型コロナウイルスの感染対策など、山積している問題の解決を国や政府にばかり頼ってはいられない。
社会において利他の精神が認知されつつあり、その重要性を人々は感じ始めている。

他者を意識することで持続可能になる

 若い頃、共済主義実践運動を学び、利他の精神のことを知った時に、とても難しいことのように思った。自分のことを考えるので精いっぱいであり、他人に目を向ける余裕もなく、ともすると偽善に陥ってしまうのではないかとすら感じた。しかし、長ずるにつれ、自分のことのみで生涯を終わる価値観が変化し、利他の精神を身に付けて行きたいと自然に思うようになった。

 最近、新聞の書籍紹介欄で「利他とは何か」といったテーマの本をいくつか目にするようになり、時代の変化を感じるようになった。その内容を紐解くと、コロナ禍、また環境問題が複雑化する世の中において、自分と他人とのかかわり方が変わってきていることが、利他という発想を社会に浸透させるきっかけになっているようだ。

 日本のことわざにも情けは人のためならず、とあるが、他者を意識しない世の中は、もう今後持続することが不可能な状況に突入しつつある。サステイナブル(持続可能な)という単語がやたらと脚光を浴びているが、今後、エネルギー問題にしろ、経済にしろ、環境問題にしろ、全ての面で見直しが必要になってきているのではないかと感じる。

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利他は自分自身を活かすためにも必要

 新型コロナウイルスの猛威の中、自粛生活、在宅ワークなどにより一人ひとりが孤立しやすい社会となった。飲食業への影響も大きく、人と集まって何かをするということが少なくなり、それだけに他者とのかかわりの重要性が大きくクローズアップされるようになった。

 利他というのはもはや、利己主義の対義語ではなく、自分自身を活かすためにも絶対的に必要な発想なのではなかろうか。というのも、他者があって、初めて自己が成り立つのであって、自分の利益のみ優先して行く考え方では決して社会は発展せず、また自分自身も満たされないということに社会の多くの方々が気付き始めているからである。

 では今後、アフターコロナの社会を迎えるにあたって、我々はどのような変化をして行く必要があるのだろうか。

高度な精神性を伴った生活運動を

 これまでは有限の資源を大量に用い、世界中にばらまいて行く方向で人類は発展してきたかに見えていたが、資源にも限界があること、そして、地球の許容量にも限度があるということを知った。大量に放出された二酸化炭素の影響で、地球温暖化はさらに進み、気候変動も顕著となり、毎年未曽有の災害が発生している。あまりにも災害が頻発するので、前年にどこで何が起きたのか、思い起こせない現状すらある。

 ここで大きく打ち出したいのは、冒頭にも述べた共済主義実践運動である。この運動は決して政治運動ではなく、あくまでも生活運動である。基幹となる考え方は共産、共助、共栄を三つの柱としており、企業などでも共生という概念を打ち出したところが発展してきているが、それをさらに高度化した考え方で、我がものを一人せず、他のものを欲せず、自他共存共栄の精神に基づいた生活運動として、過去数十年来展開されてきている。

 今後の社会は物質偏重の考え方から精神生活への移行を余儀なくされている。21世紀は心の時代と言われて久しいが、本当の意味での心=精神が注目されてきている。現在持続可能な社会づくりSDGsが叫ばれるようになった世の中で、持続というのは現在の自分がこの先数十年生き続けるだけではなく、多くの他者と共存し、さらに、未来にわたっては数百年あるいは数千年、多くの子孫が繁栄する方向での持続なのではないだろうか。つまり、ここに高度な精神性が伴わないと、いくら声を大にして叫んでも元の木阿弥になってしまう。

 まずは目先の利益に捉われることを止め、現在の自分の行為が長い将来にわたって継続可能なのかどうか、周囲のためになることなのかどうか見極め、この困難な社会をいかに幸福な安定した世の中に導いて行けるか、深い思考にて判断を求められて行くものと考えられる。

 小さくは個人、家庭、地域、大きくは企業、国家といった枠組みで、夫々に生活の小さな事柄から始まってどのようなことが持続可能かどうか、判断基準に利他の精神が欠かせないものとなって行くであろう。


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