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寄り添うひと

2018年の2月5日にFacebookへ投稿したものを転載する。私にとって、とても大事な出来事だったので。そしてきっとこれからも、大事に何度も思い出す出来事なので。


2018年2月5日
亡き友人を偲ぶ会が終わってしまった。これから友人の気配はどんどん遠く薄れていくのだろう。自由に羽ばたく友人を想うことは楽しい。想わないこともまた愛しい。
友人について書くことももうなくなっていくのだろうし、関連することを書く機会はもっとなくなるのだろうから、友人を支えたヘルパーさんのことを載せておこうと思う。

以下は年始に書いた。(長いよ)

年末に友人があの世に旅立って、あまりにたくさんのひとが泣いた。
友人にはあの世の花見の場所取りを任せているのだが、方向音痴だから今頃あの世の地理を把握するのに必死にちがいない……かと思いきや、きっとこの世と同じであまた開催されるあの世系イベントに参加すべくスケジュールを組んでいることだろう。あの世で新しくファンになっちゃうアーティストもいたりして、あぁいそがしい!などなど。

友人の思い出も、ご家族の計らいに心打たれたこともたくさんあるのだが、今回は誰も書きそうにないところ、友人の最後のお誕生日会&クリスマスパーティーに寄り添ってくれたヘルパーさんのことを記しておこうと思う。

友人の旅立ちは突然ではなかった。
病気の発覚は突然で、卵巣肥大の可能性を示唆されたときには癌だなんて思ってもみなかったから、ふたりで「腐女子の妄想が肥大した!」などと笑った。
そこからはあれよあれよと深刻な診断と手術と、治療の日々が続いた。日常の困難や治療の苦痛も、治療が終了して残りの人生をどうするか、どう痛みと折り合うのか、自分の気持ちをどこへもっていくか、全てが闘いだ。最期まで闘っていた。(緩和ケアはモルヒネで意識が朦朧とするけど痛みからは逃れられる、と思っているひとが多いことを知ったが、それは人によるんだと思う。友人はずっと痛みと闘っていたし、奇跡的に回復するなんて願いを抱くことはできないような、そんな感じだった。データの蓄積がある病気だからか、いつまで生きられるだろう、という予測もかなりの精度だった)
それを支えたご家族は、わたしには想像しきれない苦労と思いやりがあったはずだ。友人の最後のお誕生日会&クリスマスパーティーを実現してくれたのもご家族だ。そこにはご家族と、たくさんの友人と、そして唯一の他人といえる、ヘルパーさんがいた。

友人は緩和ケア病棟で日々を過ごしていたから、お誕生日会&クリスマスパーティーを実家で開催するという願いを叶えるためには、介護タクシーでの移動が必須だった。
ヘルパーさんは介護タクシーでの移動介助と、パーティーの間中、友人を介助していた。(仮にAさんとしよう。)
Aさんは小柄な中年女性で、友人の酸素ボンベの影に隠れてしまいそうなほど、良い意味で存在感の薄い人だった。
たくさんの人たちが大騒ぎしている間も、さりげなく友人とコンタクトをとり、サポートをする。毎日こういう仕事をしている、プロとしての働きぶりだ。わたしもはじめはAさんのことを気にかけてはいなかった。空気みたいに感じることはAさんの仕事ぶりが素晴らしいということでなので、玄関で最初に挨拶をした以外にAさんと関わることはなかった。
けれど、パーティーが進んで、友人がとても喜んで、家族や友人一同が泣いてしまうような場面で偶然、Aさんがこっそり涙を拭ったのが見えて、わたしは胸の真ん中を掴まれた気がした。

終末期の患者さんを毎日毎日見ている職業で、毎日毎日こういう場面を見ているはずのAさんは、拭ったあとも涙をこぼしては、自らを律するように深呼吸していた。わたしは友人にとても近い位置に座っていたから、Aさんの細やかな表情ひとつひとつを感じることができた。Aさんは患者だけでなく、わたしたちの痛みの一部分を確実に引き受けて、その場を満たしていた様々な感情を受け止めて、寄り添っていた。
すごいひとだ、と思った。

今まで、セレモニーに関わる職業のひとが「泣けなくなった」と言うのを何度も聞いた。職業としてそこにいる限り、感動はできないと。感動している場合ではない、というのもあるけれど、単に慣れてしまう部分が大きいと。

Aさんは、そういう職業でありながら、今この場で起きていること、に対してきちんと心を揺らしていた。たった一度だけ会う他人に心を揺らしながら、存在感なく淡々と仕事をしていた。Aさんが涙を見せたのはその一瞬だけで、友人を心配させたりわたしたちに気を遣わせたりすることはなかった。
パーティーが終え、友人が介護タクシーに乗せられて、緩和ケア病棟へ戻っていく。それを介助するAさんの、滞りない手つき。
Aさんは毎日、表に出すことはなくても、毎日毎日、こうして誰かに寄り添っているのだろう。

わたしやわたしの周りには、表現に関わっている人が多い。感受性が豊かで魅力的な人も多い。その仲間の端っこに居るわたしも、ほんの少しくらいはそれに似たものを持っていたらいいと願っている。けれど、日常の些細なこと、当たり前になった仕事のひとつひとつ、いっときしか関わらない他人の日常を、Aさんのように受け止めることのできる人が、世の中にどれだけいるだろうか。その一瞬さざめく波に気づき受け止めたうえで淡々と仕事を遂行できる人が、どれだけいるだろう。

映画にしろ小説にしろニュースにしろ、理解しやすい病名や命の危機を抱えた本人に感情移入することはたやすい。けれど、当事者を支えている周りに対して寄り添う心を持つ人は、少ないように思う。(当事者になりたがる人は、うんざりするほど多い。自戒含)

Aさんはきっと、泣いてはいけなかったんだろう。けれど、わたしはAさんが泣いてくれたことで、Aさんの心に気づくことができた。Aさんのおかげで、友人が周囲と築いてきた関係性がすべて肯定されるような、そんな気持ちになれた。(友人はとにかく気ぃ遣いな性格で、やさしさや平穏を望む人であった) この気持ちは、この先出会うかもしれないAさんのような職業の人々に対する、想像力の種になる。想像力はすべての思いやりの元だ。Aさんは、すごいものをくれた、と思う。

ひとのつながりは本当に有り難くて、常にゆらいでいて、その瞬きが胸を刺すときもあるけれど、世界は、有り体に言って、うつくしくて、愛なんだ。

ね。





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